映画としてはその前に観た「ルビー・スパークス」の方が書きたいことがいっぱい頭にあるんだけどここではクロード・ガニオン監督の「カラカラ」を観ていて人生
生き方で感じたことがあったのでそのことを。
映画について少し。
描き方 テンポについては、長編デビュー作の「keiko」の時にも感じたことを再度感じました。クロード・ガニオン監督には こう見えているんだろうなぁ
聞こえているんだろうなぁ、こう思っているんだろうなぁと。
全否定はしませんけど少し違和感を感じます。
でも、視点は私小説的なものからずいぶん変わったのかなぁ。
舞台が沖縄と言うこともあって、戦闘機の爆音の事、沖縄の多くを占める軍事基地の事、沖縄の人以外がいかにその認識がないかと言うことが(ちゃんと)映し出されていました。
それをうまく取り入れていたと思います。
始まりでは「どうしようもないのよ」と言わせていたヒロインに終わりには「あなたならこの現実を多くの人に知らせることができるからぜひ一度見に来てくれとマイケル・ムーアにEメールしたのよ」と言わせているところは、主人公の人生に向く姿勢が変わったということをわからせる作りになっていました。
基地の問題をこういう切り口で取り上げる手もあるんだなあと思いました。
さて今日の本題。
この映画の主人公は年を取ると白色人種は老けて見えるのかなぁ とさえ思ったほどの男性。設定では60少しなんだけど。
ベジタリアンだとはいうけれど気づかなければ肉だって食べてしまう。ケンカは小学生以来したことがない。争いは逃げるようにして避けてきた。ばからしい
(楽しい?)ことはしないで来た。
子どもにも妻にも愛想を尽かされた、そんな職場をリタイアしてから何年か過ぎた主人公。
その主人公が旅先で、夫婦のもめごと
それに関しての出来事の中で ○○を“取り戻して”いく 。
映画のカットとしてそこまで必要だったかなぁというところはあったけれど、男としての活力、そして人間としての尊厳を取り戻して行くところは、それが“旅”
での出会いと言うものだったんでしょうねぇ。
終わりには活力と言うか、生命力を取り戻して最初より元気“若々しく”見えましたよ。
どの人も年は重ねていくけれど、それで 「年寄りになるか」 「大人になるか」 はその人次第。と言うことを改めて考えました。
私はどんな大人になっているだろうか?
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