「おんなの子かて やれるねん
そやけど せんそう いややねん
へいたいさんには ならへんねん」
おんなの子のマーチ
2011年4月に亡くなった島田陽子さんの遺稿集
「じいさん ばあさん」 -詩とうたと自伝-
を紹介する一文の中でみつけました
ついに来たか
早くに日の落ちる冬の夕方。道路はブラックアイス状態。道の脇は風でサーッと吹きやられてしまう軽くさらっとした粉雪。
昨11月末に水気の多い重い雪で、地中海地方で春を告げる花とされているミモザの太枝が折られるなどして、今年の冬はどうなる事かと心配になったものの、その後の穏やかな日々の冬、年末年始だったのに。
冬なんだから当たり前、と言ってしまえばそれまで。楽な時ばかりではない(同様に 辛い時ばかりじゃない とも)と言ってしまえばそれまで。
でも辛い毎日が続く時はとても辛い。
東京オリンピックを大成功の下に終え、高度経済成長はずっと続くと信じて疑わなかったころ、大阪万博の明るいテーマソングを私も覚えています。
この度初めて知りましたけど、この歌を作詞した人(島田陽子)はそんな“明るい日々”の中で生きた人ではなかったんですね。
いや、だからこそだったのかも(!?)しれなかったんだなぁと考えさせられました。
そう言えば、誕生してからもうずいぶん経つのにいまだに歌われ、その明るい曲調と詩で硬く凍えた気持ちが緩み太陽の暖かさを思い出させてくれる「手のひらを太陽に」を作詞し昨年惜しまれながら亡くなった
やなせたかし
さんがこの詩を生み出したころはほんとに何もかもが思うようにならず認められることもなくどうしようどうなるだろうと思った時だったと言うことを聞いたことがあります。
そういうものなのでしょうか?
好きな事、映画や集り練習に行く気力がわいてこないし、食欲も誰かに会おう話そうというエイャっと言う気力もどこかに行ってしまい、まずいなぁと自分でわかっているけどこもりがち。
まだ私なんかあまいのか、余裕があるよと言うことなのか、それともこれから何かが形となって表れてくるというのでしょうか。
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