2010年7月29日木曜日

1-9-13 ジャシー 私の泊まった部屋


 夕食を終え一人部屋に戻る。
 窓の外はまた雨が降り出した。
雨は大粒で暖かい。それにそもそも地面が暖まっているせいか、一雨降って気温も下がりさっぱりするような雨とはちょっと違う。
 窓枠もベットも机も木製。それにベットのマットレスは全体に少し堅めで真ん中が少し盛り上がっていて、懐かしくも好ましい。
 蚊はいないようだが念のため蚊取りをつけて横になる。
 このツアーに参加を決めたときから覚悟していたので、この快適さは思っても見ないプレゼントだった。
 グゥーッと手から背中、足の先まで伸ばしてみる。
気持ちが良い。

1-9-12 ケニア・スワヒリ語学院=ジャシー


 ジャシー(ケニア・スワヒリ語学院)。校長・運営責任者は日本の人でした。
以前は大勢入学希望者がいたそうですが昨年は2名しかいなかったとのこと、昨今の世界の中における日本の位置が関係してでしょうか。

 今日明日とお世話になるジャシーで食したアフリカはケニア・ナイロビに着ての初めての食事は、普段私が日本で自炊しているときよりも遙かにまともな日本食で、品数も多い物でした。
 元々、こり出すと徹底するタイプの人の様でしたが、この学生減による時間的余裕と経済的にも足しになるということで拍車がかかっていたのかな。
 いろいろ話しを聞いてみると、種類によっては気候との相性でしょうかうまくいかなかった物もあったようですが、日本から野菜の種を取り寄せて農家に作ってもらったり。私も口にしましたが、今ではスーパーに卸すまで上手くできるようになったお豆腐なんかは、本やネットなどで調べてもなかなか思うようにできあがらないものだから日本の有名なお店に直接電話して教えてもらったりしたそうです。
 ちなみに日本食材、どこのスーパーでもとまではさすがに行かないようですが、けっこう手にはいるそうです。
 おいしいコシヒカリに舌が慣れてしまっている私が、美味しいじゃない!と思ったお米は、隣国タンザニアから輸入している物でした。

2010年7月28日水曜日


 明日からは青年海外協力隊の人と一緒になるということだが今夜は一人。
鉄製の門を開け今日泊まる部屋のドアの前に立ち錠を開け部屋にはいる。
 
 部屋の間取りは、ドアを背にして立った場所が、左に台所の小部屋のある広い部屋。ベンチシートと大きなテーブル、壁にはペンダントライトがついている。
前に進んで廊下に出ると、面して二部屋。私が今夜寝る部屋はその左側だった。廊下の左奥はトイレ。トイレに向かって左側にバスルーム。

 シャワーは、ヘッドの所にちょうど蓮(はちす)みたいな形・サイズの電気式瞬間湯沸かし器が着いていて、それでお湯が浴びられるようになっていました。
でもこれが恐いんですよ。
 なにが恐いって、この電気式の湯沸かし器の黒い絶縁(?)テープでぐるぐるまきにされている配線がむき出しになっていて、感電するんじゃないかと思って。 水(お湯)を浴びるわけだし、ボルトも日本より高いわけだし。どきどきですよ。
 トイレは、便座のねじがはずれていたのを知らずに蓋をあげたら、便座が便器の向こう側に落ちてしまい、そのときの音も結構大きかったしびっくり。
水を流すレバーの動かし方も少しこつがいりました。

 トイレの水をためているタンク、パッキンが劣化しているのか少しずつ水が流れ続けていました。これがまたそのときは気付かなかったけれど、夜中寝静まったらポッポッポッポタポタッといいリズムを刻むんですよ。
 日本だったら同じ水漏れでも決まったリズムを刻みそうだけど、ここのは強弱があったり微妙にずれていくんですよ。
 これからを期待させるなぁ。

めおと楽団ジキジキ


評論 「めおと楽団じきじき」
 おもしろ楽団というふれこみ。前評判でも“おもしろいんですって!”と耳にしていたのでどんなに楽しませてくれるのか期待も大。同時に、ただのおふざけだったらいやだなぁとも思っていました。
 オープニングの挨拶、紹介に続いて入場してきた女性は“キューバの元気の良い大人の女性”の迫力の かおるこ さん。続いて、体格ではかおるこさんにかなわないけど笑顔の良い きよし さん。
 かおるこ さんは入場してからマイクの前に立つまでの短い時間で会場の客筋をしっかりチェック。見られた!と気配を感じてドキッ、これはただ者ではない。
 さっそく一曲目「ホテル北津軽」。感情豊かな語りから始まり、よく練られた韻を踏んだ歌詞。滑舌・声量・表現をいっそう豊かにする強弱、勢いのある歌唱。
おもしろさだけでないこの演目は、確かな実力・基礎に裏付けあればこそというのをこの一曲目から感じました。これはただの素人の一発芸的な出し物とは質的に別の所にいる。本物のエンタティナーだなと感じました。
 何曲か披露した後、これも笑いを取りながら二人の紹介のところで かおるこ さんが武蔵野音楽大学の声楽科卒業ということがわかり腑に落ちましたねぇ。基礎、型があればこそ崩せるんですから。そうでなければただの“形無し”ですものね。
 “宗家デコ弾き”も楽しませてもらいました。
これも含めて、かおるこ さん、酸欠で倒れたことがあるというのもさもありなんとゆう熱演でした。
 会場で販売されていた2003年発売のDVDを購入。内容は今回の公演でも変わらず披露された物もありましたけど、これらは定番の作品でもあり、良い物は何度見せてもらっても良いのでそれはそれ。合間に映る映像でも中の良さそうなほほえましいシーンがいくつも出てきました。もちろんサインしてもらいましたよ。
 私自身、歌でも演奏でも出し物の時は、酸欠状態まで行かなくとも精一杯力を出し切る事の大切さを改めて痛感しました。

2010年7月25日日曜日

映画2題「フローズン・リバー」「トイストーリー3」




画2題
「フローズンリバー」(少し前になりますが)
 もともとは低予算作品の一本で、製作にも宣伝にもどんどん資金を投入して話題になる作品ではない。でもストーリーも作りも勝るとも劣らずの出来ばえ。
 人間として女性としての弱さと、母親としての強さと決断。結果としてそれが人間としての成長につながったところが良く描かれていたと思う。
 題名にもなっている気候の厳しさがいっそうストーリー展開を際立たせている。
 毎日の生活も人生も、もう充分に耐えがんばっている。でもがんばってもどうにもならない生活。映画としてはその辺りがよく描かれ伝わり見応えのある作品になっていたと思う。
 だがそれ以上に私の印象に残ったのは、人を老けさせるのは年齢ではなくて悲しみだと言うこと。
実際のところは、より一層そう見えるようにメイクをしているんだろうが、特に1ドルショップのパートの仕事に出かける前に口紅を引くところは際立っていた。
 それにしても俳優とはすごいものだ。

「トイストーリー3」
 こちらは話題にもなっているし予算もかけている作品。
 ディズニー、アメリカのこのての作品の作り方はいつも感心させられる。かわいくも切なさを感じさせ、友情・仲間・家族・家へ帰る・へこたれないという味付けがよおくきいていた。
 この作品がずうっと残ってとゆうことになるかどうかは別として、多くの作品作りに共通するこれらのテーマはしっかり生きていた。
 必ず見たほうがいいということではないけれど、どれを見ようか迷ったとき選んでも後悔はしない一本。

2010年7月24日土曜日

1-9-10 嬉しくなるくらい古い車がいっぱい。でも排ガスで胸が・・・


 ムガネさんの運転で空港を後にした。ジョモ・ケニアッタ空港を写しておきたかったがチャンスがなかった。何となくどこかで見られているような気がして。
 道は広い。景色にすごく奥行きがある、空も高い。だから、日本では目にしないような大型のトラクタートレイラーさえも何か縮尺を掛けたような感じ。周りと比較して大きい小さいが決められない妙な感覚になる。
 車は“飛ばしてます!”て感じのなかなかに勇ましいエンジン音を立てて快走。
と、前方にこの広い道をまたいですごいアーチ出現。アーチには“チャイナ・ケニア”と書かれている。
何でも、特に地下資源があるわけでもないケニアだけれど、ここにも中国の進出はすごくて、その友好の印としてたてられたアーチとのこと。

 空港からの幹線だからか信号がない。Nガイドによると、信号機はないわけではないけど、その数は少ないとのこと。
 街中に入った。運転マナーは車線もなにもあったものではない。自分の行きたい方向に少しでもスペースがあればまず頭を突っ込む、あるいは出して合流や車線変更をしてしまう。
運転に気をつけなさいよ!と言うことなのか、真ん中のスペースに一段高く事故車が置いてあるロータリー式の交差点に進入。ムガネさんは手慣れたもんで、上手に方向を変えて一路今日の宿舎ジャシーを目指す。
 このあたり、排ガスのせいか空気が悪い、胸が痛い。
法律改正で現在は製造から8年以上の車の輸入はできなくなったと言うことだが、今私の周りを走っている車、脇に止まっている車は嬉しくなるくらい古い車がいっぱい。
昔の車って本当にフロント“マスク”なんですよね。(余談でした。)
排ガス規制のない時代の車がこれだけ現役で走っているとなると空気も汚れるわけです。

 私たちを乗せたワゴン車は坂をぐんぐん登りそれから脇に折れた。とたんに舗装が切れ、ずっと続く生け垣と立派な門構えの住宅街(地区)に入った。
 その前で一度車を止めると、門番が鉄の棒で造作された門を開けてくれる。
門の内はむき出しの土ではなく、舗装されゴミ一つ落ちていないきれいな地面だった。
ジャシーの建物は何か懐かしい雰囲気。ちょうど昔の洋館・宣教師館のような作りだったからだろうか。
 今夜私が泊まる男子寮に行くには、同じ建物なんだけど一度外へ出て裏にまわらないとだめと言うことで、荷物をもらいみんなと一度分かれる。
ムガネさんはまた明日出直してくるそうで、Nガイドと打ち合わせをして帰っていった。

2010年7月19日月曜日

確かに髪の毛は白いけど



 10年ぶりに異動をした。
就職して最初に配属になった所ではあるけれどその後あちこち転勤していたので、私も相手のことを知らないし相手も私と会うのが初めての人なので「第二の人生がんばってください。」とか「まだ現職ですか。」なんて言われてしまう。
 今度の業務はこれまでの仕事に縁のあることではあるけれど、同じ業務に就いている人がパートだったり嘱託だったりする上に、私の髪の毛が最近一段と白くなってきたものだから。    
 苦労してるんですよ。
 映画館でもシニア割引の対象者と間違われたことは一度や二度じゃないからほんとにそう見えるんでしょうね。
 70・80の人にも、20代だったらこんな口の利き方はできないだろうなぁというのが自然に話せるようになったのは感謝しているけれど。

めがねのムガネさん


 空港の外、道の向こうにはヤシの木が。  
当然明るい。いきなりスコールのような大粒の雨。
いやぁーイメージ通りだなぁと喜んでいたら、季節は乾季なのにこんなふうに雨が降るのはおかしいのだそうだ。

 今回のツアーの詳しい説明は今日の宿舎となるケニア・スワヒリ語学院(JACII)通称ジャシーでということになったが、そこまで一時間くらい車に乗るのでトイレに行っておいてくださいとのこと。
“トイレ” 
機内やドバイのトイレも写しておいたが、ここジョモ・ケニヤッタ国際空港のトイレも写しておくことにする。(申し訳ない。写したと思ったのだが見当たらない。“空港”では今思うとすごく注意というか控えていたようだ。写真はドバイ空港トイレ関連の一枚。)
空港のトイレはなんだか昔の鉄道の駅にあったような、便器ではなく壁に向かって用を足すタイプのものだった。臭いは特にない。
 両替もしておく。100$が7100ケニアシリング。
 いよいよ建物を出、コントラストの強い日差し、暖かい大粒の雨の中道路を横断、これから乗る車の止まっている駐車場へ小走りで向かう。
 さすがだ。ランドローバーのディフェンダーが何台も止まっている。
だが残念。私たちを待っていたのはトヨタのハイエース・ワゴンだった。
大きな荷物は後ろにと言うことになったが、荷室ドアの開け方が普段日本で開けるときのように握りを操作してではなく、クランク状の鉄の棒を穴に差し込みこじ開けるようにして開けていた。防犯!?(後日マサイマラ国立公園などを走って思った、悪路で飛び跳ねたはずみでいきなり開いたりしないようにの工夫かもしれないと。)
 ドライバーはムガネさんという男性だった。
日本語がしゃべれるというわけではなさそうだが、出会ったときの挨拶程度は口にできるようだ。少しハスキーな声。良さそうな感じの人。
ガイドのNさんが「めがねのムガネさんと呼んでます」と言っていた。
確かに、あまり濃くはないけど銀縁のサングラスを掛けていた。

ジョモ・ケニアッタ国際空港到着


 着陸。
飛行機はまだ誘導路を走行中なのにシートベルト着用サインが消える前から席を立ち棚から手荷物を出している人で通路はもうぎっしりだ。
 まだ降りられるわけでもないのにと思っていると、隣のカメルーンの人も「どうせすぐ降りられないんだからゆっくり行こう」と言う。もちろん私もそのつもりだったので二人顔を見合わせる。奥の人が立ち上がったらどうしようと思っていたから正直助かった。何せぴったりサイズの席なので。

 ジョモ・ケニヤッタ国際空港の“通路”(ドバイ空港のイメージからすると本当にそんな感じ)でやっと今回のツアーの仲間がそろった。
空港内の表示は十分ではなかったが、こちらかなと思う方に歩いた。
あったあった、入国審査の窓口だ。
 入国審査の窓口は、アフリカの西・東、ケニア、それ以外と窓口が分かれていた。
入国カードは大きな方一種類だけでよかった。質問も、何日滞在か聞かれたくらい。ただ、ICチップの写真と照合するのか、ちょうどパソコンのモバイルカメラみたいな形のものの正面に顔を出させられて写真を撮られた。

 窓口を出たところは建物としては2階。荷物の引き取り場は下の方、一階になっていて見渡すことができた。
全体的に古さのせいかガランとして少しくらい雰囲気。

 荷物はなかなか出てこなかった。
ベルトコンベアーに乗って出てくる物はほとんどがハードなトランクだが、合間にソフトなトランクやラップでぐるぐる巻にされたものが混じっていた。中に一つだけ縁の裂けたソフトタイプのトランクがあったけれど、こうゆうものを目にするとやっぱりハードなタイプのものが良いのかなぁと思ってしまう。
 私のリュックはなかなか出てこない。元々、そうたくさんはないだろうなあと思っていたけれど、こうゆうのを預けたのは、少なくとも本機では私だけのようだ。
ようやく荷物を引き取り前に進むとただ広い所に、縁の立ち上がったステンレス製の台が並んで配置されたところに行き着き荷物のチェックを受けた。
 ドバイのゲートでは、ポケットはもちろんベルトをはずされたり靴を脱がされたりという人もいたけれど、すべての人を念入りに検査するわけではない。どこの国から来た飛行機の乗客なのか、風体というものがあるのだろうか。
 私の斜め前の人は、旅行鞄をガバッとあけさせられて全部店開きという体だった。私もチェックされたけれど、ザックの口を開けて小分けして詰めていたビニール袋の二つ三つを出させられただけでOKとなった。良いも悪いも、たいしたものを持っていないというふうに見られたのだろうか。

 向こうの方を見てみると、同じ空気が流れていながらそのこっちとあっちを自由に往来できなくしている素通しのガラス戸越し、自分ではそんなふうには感じていなかったんだけれどやっぱり緊張していたんだろう、顔中で“歓迎します!”と言う気持ちの伝わってくる永松さんの出迎えを受けて、正直ホットした。
 考えてみると久しぶりに日本語を話したような気もしたし。

青ナイル白ナイルそしてレッドリバー


 カメルーンの男性が“レッド・リバー”と言って指さした先には確かに渓谷を蛇行する赤い川筋が見えました。
 青ナイルとか白ナイルとかゆう言い方もあるので、赤いのもあるのかなと思ってしばらく見ていました。
 時々 ガタガタッと機体が音を立て“ポーンッ”という音と共にシートベルト着用ランプが点灯したりはしましたが、おおむね天気も飛行も良好。
今度は窓の外、空を指さして何か言うから「クラウド!?」と言うとうなずいていました。指さす先には、飛行機に並んで綿菓子のような白雲が浮いていました。日本には、お祭りの時ちょうどあんな感じの“綿アメ“というお菓子があるんですよと、と言おうと思ったが言葉が出てこなかった。
 またレッド・リバーと言う。でもどうも川の名前ではなくて、水の色そのものをいっているような感じだ。確かにこの高さからだと赤茶色の川水に感じられるけれど、正確には渓谷を刻み込んでいる山々全体が赤茶色と言った方があっているかもしれない。
 本当のところは、今がエチオピア上空なら“青ナイル”、もうケニアに入っているとしたらオモ川かもしれない。

 ナイロビまで30分というアナウンスが流れた。いよいよだ。
スムーズにと言うよりは、段階的に高度を下げている。言うなればスーッガクンスーッガクンという感じかな。
 地上の建物もだんだん見えてきた。
上空から見るケニアの地は思いのほか緑が多く、考えてみれば根拠なく思いこんでいたわけだったんですがイメージがはずれました。
それにしても緑が多い。今のご時世良いことなんだろうけど、イメージは大はずれ。

 入国カードが配られてきた。えッ!それも大小二種類。そのどちらの書式も、旅行会社のパンフにあった記入例とは違っている。
でもまあ、単語を拾い読みするレベルだけれど記入した。
前の席にいた同じツアーの人も困っていたらしく聞いてきた。
通路に身を乗り出しながら説明するのだが、エンジン音がじゃまをしてなかなかことが進まない。
仕方ないから、相変わらずあまり人様に見せるような字ではないのだが丸ごと手渡してみてもらうこととする。

2010年7月11日日曜日

1-9-5 デザート指さすカミの人


 ナイロビ行きの飛行機の席は横に2-3-2の並び。私は進行方向に向かって左側の2の席の通路側。前後もそして全体も何となく狭いというかぎっしり。
 この便もエミレーッの職員は良い笑顔。男性は、背が高い低いの前に姿勢が良いし雰囲気もある。
 離陸そして飛行は順調。眼下は砂漠だ。
なんて言ったっけ、そう“デザート”だ。小話であったっけ。
エジプト旅行中の日本人が、バスの乗員にオシッコをしたいと話したらデザートデザートという。デザートがほしいんじゃなくてオシッコをしたいんだと何度言ってもデザートしか言わない。そうこうするうちに砂漠地帯に入りバスは止まった。 そう、乗員は食事の時のDessartではなく砂漠のDesertと言っていたのだった、という話し。

 私が窓側の人の肩越しに下の砂漠を見ているのに気づいたのか、Desertと指さしてくれる。アデンという地名も教えてくれた。
 チャイニーズ?と聞くのでジャパンと答えた。
昔はこんなことなかった。アジア人、特に極東のアジア人だともうどこの人だろうとジャパンだった。
 改めて機内を見渡してみると、さすがにアフリカ系の人が多いけれど、インドの人そして中国の人も大勢いるなぁ。
 中国のあらゆる面への進出を自分の肌で実感します。
ちなみに隣の人はカメルーンの人でした。
 最初“カミ”“カミ”と聞こえたのでどこの人だろうと思ったのですが、だんだん耳が慣れてきたのか“カミルン”と聞こえるようになって、日本で言うところのカメルーンの人とゆうことがわかりました。
このあと飛行時間約5時間のナイロビまでけっこういろんな話しをしました。
カメルーンは日本でもサッカーで有名なこと、ワールドカップのこと、私はどちらかとゆうとラグビーの方が好き… 単語もいくつか、ガルフ・アデン=アデン湾、山脈=マウンテンチェーン等々。
デザートに出されたフルーツムースにウォールナッツが入っていたんだけど、これがおいしいというので日本では“KURUMI”と言うんですよと絵を描いたり話したりしました。
 そうこうしているうちに飛行機はアデン湾からアフリカ・エチオピア上空を過ぎケニアに入った。

1-9-4 アッ! ゲートが変わってる


ゲート222。
 ナイロビ行きの前にフランクフルト便があるようだ。
途中、今回同行する二人を通路の向こうに見かけたので呼びかけるも気づかずに歩いていってしまう。まだ時間があるのでどこか見てくるのだろうか。
あまり短いのもひやひやものだが、それにつけても乗り継ぎの待ち時間が長い。5時間はある。

 まだ真っ暗な時に着いたのに、今は周りも明るくなって空港の外の街並みも見える。
大きなトラックやモダンなデザインの列車も見える。計画変更に伴って建設費が予定を大幅にオーバー。その負担のことで日本企業ともめているラインはこの延長だろうか。
高いビルも見える。あれが最近完成した世界一の高層ビル ブルジュ・ハリファだろうか。でもオーバー800メーターというとあんなものじゃないな。

 チェックカウンターのところで人垣ができている。
ドイツの二家族と中国のグループそして係員とで何かもめ事のようだ。
特にドイツの人達は身振りも交えてなかなか強行だ。
カートで男性が二人来て加わった。トランシーバーでなにやらやり取りしている。
ナイロビ行きの受付はまだ始まらない。このもめ事が続いているからだろうか…
どうやら何らかの進展があったようだ。二つのグループとカートで来た男性二人が共に移動した。

 いよいよか。だがいっこうに表示がでない。
もしや!!
確か向こうに電光掲示板があったはずだ。
アッ!!
ゲートが変わってる。218番。二人はそれで向こうへ歩いていったんだ。もう時間がない。聞こえてくるのはラストコールじゃないか!
こんなに荷物が重かったっけ。足が重いーッ。 必死に走る。
よかったー、間に合った。
 218番ゲート前にはもう誰も並んでいない。でも受付はまだ終わっていない。
関空といいドバイといいあわただしい。

2010年7月4日日曜日

1-9-3 お国柄 乗り継ぎ待ち


 レストランを出て、あれだけ歩き回ってもまだ足を踏み入れていない側に回ってみる。
それにしても広い。

 チェックゲートの所もそうだったけれど、ドバイ(アラブの人)の人が大勢なのはもちろんのこととして、フィリピンの人だろうかと思える人が大勢働いている。
 そしてたくさんのゲート前を歩いていると、目的地までの乗り継ぎ便の待ち方がいろいろで、お国柄というものをみた感じがした。
こんなふうに。
 マレーシアの人たちは集団で(丸い塊ではなく順番に列を作って)ゲート前にしゃがんでいる。
 フィリピンの人は個々バラバラに待っている。
 インドの人は家族単位という印象。
 西欧の人はラフな服装でブラブラ歩いているか、(特に足載せの付いているような)イスをしっかり確
 保して熟睡。
 中国の人も多が、家族連れが結構多い。見ると同じ家族連れでも、インドの家族構成よりも子どもが
 小さい。赤ちゃん連れの若夫婦。

 中国の世界進出はすごい勢いで進んでいるけれど、一時的なものから永続的なもの定着へと向かっているようだ。

韓国企業の進出


 空港内を歩いていて目に留まったものの一つに韓国企業の名前がありました。
 日本でもすっかり定着した感のあるサムスンはもちろん、一時日本から撤退していたLGの名前もありました。写真はその一つ、携帯やパソコンの充電をご自由にという器械でした。
 航空会社のクラスによっても違うかもしれませんが、飛行中に消耗したバッテリーを自由に充電できる所があるとなれば喜ぶ人はたくさんいるでしょうからねぇ。そしてそこに大きく企業名があれば目に留まるでしょうねぇ。

 私たちの身の回りにある製品を見てみるとひところよりは他の国の名前を目にするようになってはきたもののいまだに衣類や雑貨類、そして日本企業のブランド名での中国製を多数目にする。ハイアールなどの中国企業のブランド名を関する電化製品も量販店に並び始めているものの、独自のブランド名でという点では韓国企業にはまだ差をつけられている印象がある。
 思うに今両国の違いは、企業が自分のブランド名で展開できている韓国に対して中国は国としてという感じがする。もちろん重電などでは韓国も国として売込みをするし、日本もそうだ。でも今の中国はまさに国として進出している。それもすごい勢いで。

1-9-2 エミレーツ・トランジットレストラン


 二人とはドバイ着の飛行機から降りる時別々になってしまったのでまだ挨拶もしていない。
 でも一人の人の感じはわかったのでゲートのあたりを探してみるが、それらしき人はいない。
 規模も人出も半端じゃない空港。免税店と念のため乗り継ぎゲートの下見をしたけれどまだまだたっぷり時間があるので(5時間!)、エミレーツ航空の乗り継ぎ客専用無料レストランに寄ってみる。
アルコールは見当たらなかったが、軽食も取れるし充分。
 早速ミネラルウォータのボトルの世界だ。

2010年7月3日土曜日

ドバイ空港


 ドバイに到着。
 エミレーツ航空はなかなかに良い。みんなしっかりしている。サービスもいい。
 コーヒーカップもしっかりしている。ずいぶん間が開いてしまったしそんなにたくさんではないけれど、何社か航空会社に乗った中で一番作りがしっかりしていると思った。ちなみに、色使いなんかも含めてしゃれてるなぁと思ったのはアリタリア航空。
 UAEそしてエミレーツ航空は旅行者に対してだからかもしれないけどアルコールも供されるしイスラムの宗教・文化圏としては肝要な方だと思うけれど、口にするものはみなハラルの認定付きなのだろうな。

 ドバイの空港はこれまた大きい!
免税店の数もゲートの数もすごい。乗り継ぎの人のこれまた多いことよ。すごくにぎやか。
 CD・DVD売り場が併設されているAV店で、日本で言うところのヒットチャート上位曲を集めたアラブの曲のコンピレーションCDを一枚購入。55DHS。
 $に換算して16ドル弱の支払いに20$紙幣を出したところ、レジの男性が1$はないかと聞いてくる。これは以前他所の国で経験したことだが、制度上は存在しているはずの小額の通貨が実際のところは流通していないというケースかもしれないと思った。
 日本で円をドルに両替する時、チップなんかででも使いやすいようにと思ってわざと1$や5$札を混ぜてもらっていて手持ちがあったので、まずは21ドル支払い5$札とドバイのコインをおつりにもらう。

追伸 後日ケニアでシリングに両替した時に現地のガイドの人から聞いた話では、同じ両替をするの    でも、私がその時両替した100ドル札と小額紙幣では手数料が違う、チップなんかでも小額の外貨は 喜ばないというご時勢のようです。

1-8-4  私はもっと寝られません


 搭乗連絡通路を小走りに渡り、笑顔のエミレーツ航空客室乗務員に迎えてもらう。
 長机の上にアラビア文字の新聞が平積みになっている。
 テレビのアラビア語講座などで文字は目にしているものの読むことはかなわないので、写真の多そうなものを選んで一紙もらう。
 左はファースト・ビジネスクラスの人用の搭乗口。 私?! 私はもちろんストレート。(危ない危ない)
 機内はざわめいている。
 声をかけられた。手にしていた黄色い旅行会社のパンフを見つけたようだ。
これから一緒に旅する二人だけど、席の並びも別だったのと、すぐ出発だったので挨拶もできない。
 ぎりぎりだったんですねッ。でも間に合ってよかった!!
 出発後間もなくして出された食事も済み、機内の照明も落とされ、見回すと皆休んでいるようだ。
ただ、隣の人は寝付けないのか盛んに身体を動かす。
そのおかげで私はなおさら寝られない。
困った。
時間的にはこれからたっぷりあるので薬を飲もうとするが、ポーチに入れておいたはずの薬がどうしても見つからない。
仕方がない。目だけでも閉じていようか。

1-8-3 空港でランニング1


 関空は大きい。
 まずはGカウンターを目指すこととしたが、ロビー・通路は幅もあるし長い、エスカレーターで階を上がってまた先がある。ただ表示はわかりやすくて迷うことはなかった。
おかげでGカウンターは思いの外早くつくことができた。
 今回一緒の二人はもう来ているだろうか。
 いくつも窓口がある。
 これがエミレーツの制服だろうか。ベージュ地に赤のストライプ。深めの赤のスリットの入ったスカート。同色の帽子に右脇から白いベールが左肩の方へ。なかなか魅力的だ。
 待合のいすに腰をおろす。
 時折来る二人連れに旅行会社のパンフをかざしてみるも反応がない。同行の二人ではないようだ。
 ツアーだろうか、説明を受けている一団の近くに席を移して耳を傾けてみる。ドバイ経由で、ギリシャ・ヨーロッパの方へ行くグループのようだ。
 かなり待った。二人はどうしたのだろうか。もう周りには誰もいなくなった。
さすがに心配になってカウンターで調べてもらったら、もう二人は手続きを終わり乗っていますとのこと。いつの間に。
 エミレーツは15分前にドアを閉めるとのこと。あせる。
こんなところでランニングをすることになるとは。
 持ち物チェックは、ゲートを通ったり手荷物のⅩ線検査。こちらを凝視している係官に緊張するもパス。
 滑り込みで搭乗。

羽田から関空 ちょっとそこまで乗り合いで


 羽田・関空間の飛行機はビジネスマンふうの人を中心に満席。
 飲み物のサービス有り。シャキッとさせるつもりで私はコーヒーをもらうが、スープをもらっている人もいる。機会があったら、私もJALのスープを一度試してみよう。
 夜ということもあり外の景色はわからない。でも途中オレンジ色の大きな明かりの上空をとんだ。あれは名古屋・中京工業地帯だったのだろうか。
 約1時間で到着。
時間的にも、機内の雰囲気も、旅行というよりちょつとそこまで“バス”に乗りましたという感じかな。

-以下は帰国後このときの印象から思ったこと-
 JALとエミレーツ航空の印象
 大変だというのは前から耳にしていたけれど、その後本当に破綻してしまったJAL。
 羽田から関空まで乗った飛行機はJALとエミレーツのダブルのフライトナンバーを持っている便でした。
 機種・席の作り、長時間とわずか1時間ほど、と違いがあるので単純には比べられないんだろうけど印象はけっこう違いました。
 JALの乗務員はすごくまじめという印象。制服や髪の感じ、対応もていねい。年代はどちらかというと上の人ばかりの編成。言えば、カチッとしてまじめ。でも余裕というか笑顔、良い意味での遊びが感じられませんでした。 私も人ごとではないけど。
 会社が大変ということがこんな所にも影響しているのでしょうか。本当はこんな時こそ笑顔が必要なんだろうけどね。
 エミレーツは、年齢も幅広く組んであって、笑顔もあるし、何より目があったりするとパッと明るくなるというか、なんでしょうか何でもいってください、という感じがよく伝わってきました。乗務員同志も仲が良さそうだし、度を過ぎない程度でお茶目なやりとりをしていましたね。