2010年7月24日土曜日

1-9-10 嬉しくなるくらい古い車がいっぱい。でも排ガスで胸が・・・


 ムガネさんの運転で空港を後にした。ジョモ・ケニアッタ空港を写しておきたかったがチャンスがなかった。何となくどこかで見られているような気がして。
 道は広い。景色にすごく奥行きがある、空も高い。だから、日本では目にしないような大型のトラクタートレイラーさえも何か縮尺を掛けたような感じ。周りと比較して大きい小さいが決められない妙な感覚になる。
 車は“飛ばしてます!”て感じのなかなかに勇ましいエンジン音を立てて快走。
と、前方にこの広い道をまたいですごいアーチ出現。アーチには“チャイナ・ケニア”と書かれている。
何でも、特に地下資源があるわけでもないケニアだけれど、ここにも中国の進出はすごくて、その友好の印としてたてられたアーチとのこと。

 空港からの幹線だからか信号がない。Nガイドによると、信号機はないわけではないけど、その数は少ないとのこと。
 街中に入った。運転マナーは車線もなにもあったものではない。自分の行きたい方向に少しでもスペースがあればまず頭を突っ込む、あるいは出して合流や車線変更をしてしまう。
運転に気をつけなさいよ!と言うことなのか、真ん中のスペースに一段高く事故車が置いてあるロータリー式の交差点に進入。ムガネさんは手慣れたもんで、上手に方向を変えて一路今日の宿舎ジャシーを目指す。
 このあたり、排ガスのせいか空気が悪い、胸が痛い。
法律改正で現在は製造から8年以上の車の輸入はできなくなったと言うことだが、今私の周りを走っている車、脇に止まっている車は嬉しくなるくらい古い車がいっぱい。
昔の車って本当にフロント“マスク”なんですよね。(余談でした。)
排ガス規制のない時代の車がこれだけ現役で走っているとなると空気も汚れるわけです。

 私たちを乗せたワゴン車は坂をぐんぐん登りそれから脇に折れた。とたんに舗装が切れ、ずっと続く生け垣と立派な門構えの住宅街(地区)に入った。
 その前で一度車を止めると、門番が鉄の棒で造作された門を開けてくれる。
門の内はむき出しの土ではなく、舗装されゴミ一つ落ちていないきれいな地面だった。
ジャシーの建物は何か懐かしい雰囲気。ちょうど昔の洋館・宣教師館のような作りだったからだろうか。
 今夜私が泊まる男子寮に行くには、同じ建物なんだけど一度外へ出て裏にまわらないとだめと言うことで、荷物をもらいみんなと一度分かれる。
ムガネさんはまた明日出直してくるそうで、Nガイドと打ち合わせをして帰っていった。

0 件のコメント: