2010年10月3日日曜日

映画「いのちの山河/日本の青い空Ⅱ」を観て


 映画「いのちの山河/日本の青空Ⅱ」観てきました。

ストレートに伝わってくる描き方で、幾度も涙が流れる感動的な作品でした。

 この手の作品によくあるパターン。たとえば、ヒューマンな想いで行動を起こした人たちの大本にあった生存の権利(憲法では25条)の説明などでの、“出演者の台詞で話を進める”がなかったわけではありません。
 でも、昭和20年代、高度経済成長期以前とゆう時代は、戦争の傷跡まだ生々しくも自分たちの手で新しい日本を作るんだとゆう気概に燃えていた時代でしたから。今よりはるかに“民主主義”とか“憲法”が現実的な問題として身近だったし口に上った時代でしたので、同様のことは有ったと思います。

 日本全体が貧しかったけれど、戦争を起こした社会への反省、民主主義を定着させようとゆうみんなの想い、今自分たちががんばれば変わる、どうにかなる。そうゆう黎明期、そうゆう時代だったし、そうゆう人たちがいた時代だったのです。
 ですから映画に描かれた、問題、人々のことは、程度の差あれ当時の日本では特異ではなかったと思います。

 でもなぜ岩手県・沢内村で、日本で初めて丸々一年間乳児死亡ゼロを達成、医療費窓口負担なし(年齢を区切って段階的に実施)が実現したのか。
 そこの所、その実現にかかわった人たちをいくつものエピソードとともに描いた作品。

 沢内村のみんなは・雪にはかなわないと“熊でもないのに冬はじっと耐えるだけの生活”・栄養状態が悪く、風を引くとすぐ肺炎になる、そして医者にかかれずあっけなく死んでしまう赤ちゃん・お歳よりは食い扶持を減らすため自死する、そんな現実の前に立ち上がる勇気と、なにより希望をなくしていました。

 この映画の主人公・深沢晟雄は、中国から引き上げ、都会での暮らしを経て、何十年ぶりかで戻った故郷の、幼少期の記憶(祖父が病に倒れ死んでから初めて埋葬のための死亡診断書をもらうため離れた町の医者にかかりに行く。赤ちゃんも、栄養状態が悪く、風邪を引くとすぐ肺炎になる、そして医者にかかれずあっけなく死んでしまう。)と変わらない村の生活・医療の現状に直面します。

 深沢は海外で仕事をしていたことから英語の先生を頼まれ、生徒を通して自分の幼少期となんら変わらないそんな村の現実に気づきました。その後、熱心な行動をかわれて教育長・助役になり、村を変えるにはと村長になった人。
 深沢は、あきらめ立ち止まっていた村人を変えるため、限られた村の予算をやりくりしてブルドーザーで除雪、冬でも隣村の病院に行けるようにして、やれば変えることができるんだとゆうことを実行してみました。(それは、冬でも経済活動が可能になったとゆうことにもつながった。)
 村長として、3つの課題・すこやかに生まれる・すこやかに育つ・すこやかに老いる、のために・保健活動に力を注ぎ・医療費負担の軽減をはかり・産業の育成に力を注ぎ貧困の克服に努めました。 

 この根底には、現場を見・声を聞き、感じる力があり、決断する力があったからに他なりません。人間やっぱり、ヒューマンでなければ。人間には、ヒューマニズム、勇気そして希望が大切だと思います。

逆説的ですが、広域合併がもてはやされ大都市と合併した小さい市町村が、大きな市の外れになってしまい、自分たちで自分の住むところのことが決められなくなっている昨今、小さいからこそできたこと、小さいからこそできること、とゆうのをもう一度考えてみる時にあると思います。

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