2010年10月2日土曜日

布と子消  親の想い


会場となったお寺の参道 手作りの灯篭が迎えてくれました
この土曜・日曜(9月25・26日)と宮城弁で語る横山貴央さんの公演に行って来ました。
 土曜の方はどちらかというと小さな子どもでも飽きないように、いろんなジャンルの比較的短いお話をたくさん。お話しとお話しのつなぎのやり取り、間合い、押したり弾いたりが、ベテランだなぁと感じさせる展開で進みました。
 何より、孫を寝かしつけるおばさんがせがまれてお話しをたくさんするとゆう設定が自然で、次々変わるお話に1時間を越す公演時間でしたが、飽きてぐずるような子はいませんでした。
 二日目の日曜は大人を対象にとゆうこともあってか、一つ一つの話も長く、はらはらどきどきさせたり、ゾーッと怖い思いをさせたり、声の大きさ調子もがらりと変えて、聴かせてくれました。

 初日の話の中で“間引き”をテーマとした話しがありました。
貧しい寒村でどうにもしようなく、生まれた赤子を間引く・土の神様にお返しする。親は木で子どもの形をとりずっとともに暮らす。
 説や取り決めなどいろいろあるようですが、当夜はお話の最後に「~それゆえ漢字で書くと子消しと書くんですよ。」とゆう説明がありました。

 わたしはこの話を聞きながら、こんなことを思っていました。
「こけしの話」。 こけしを人形(ひとがた)と位置づければいろいろ腑に落ちることがあります。
 もうずいぶん前、昔にこんなことを死ぬまで思っていたとゆう母親の話しを知りました。
昔は布がとても貴重でしたから、接ぎも当てたし行商先で古布をもらって再利用とゆうこともしていました。そんな時代、農作業の時に産み落とした子を木の葉でくるんで弔い埋めなければならないことがありました。その時、せめて布でくるんで埋めてやりたかった、とずぅっと想っていた母親のことを。
 とゆうことを。

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