2012年4月29日日曜日

素敵なものに接したとき話し合える人がいる素晴らしさ

  先日、映画「アーティスト」のことをブログに書いた後気になったことがあったものだから、昨夜ジュディ・ガーランドとジェイムス・メイスンの「スター誕生」を観ていました。


 当然ながら前と同じ展開と終わり方。と、わかっているんだけど最後まで観てしまいました。

 朝を迎えてから「オズの魔法使い」ではなく、ジェイムス・メイスンつながりで「砂漠の鬼将軍」へ行きました。

 続いてシナトラの「波も涙も暖かい」へ行こうとも思ったんだけど「ボーイズ・オン・ザ・サイド」を選びました。

 「ボーイズ・オン・ザ・サイド」、ずいぶん久しぶりでした。でもこれが沁みたんだなぁ。

 日曜の夕方。思い当たることもないのに涙が出てしまうことがあります。

 この作品、前に見た時も悪かったわけではないけど、以前観た時と私の状態が異なっていたんでしょうか。



 その時感じたんです。

 素敵なものに接したこと、今のこの気持ち、を誰かに話したい、聴いてもらいたい、話し合いたい、共感しあいたい、と。

 そうできること、そうできる相手、関係があることは素晴らしいことなんだと。

すべての人に平等に与えられているもの 始まりがあれば終わりが生あれば死が

 定期的にヨガをするようになって2年近くなります。


 最初のころ、一つ一つのアーサナーができるできない以前に(最初から先生と同様になんてことは無理な話ですから)、一週間耐えに耐えてやっと迎えた土曜に“早く”とまでは言わないけれど起きて出かけること自体がとてもつらい朝でした。

  様々なアーサナーを教えてもらっています。インドの文化、伝統的なもの、比較的最近考案された系統の物。系統も指導法(指導者)も様々。

 その中で、私には今回のスタイルがぴったりでした。アシュタンガ・ヨガというそうです。教授の仕方も私に合っているし幸いです。 

 いろんなアーサナー、いずれもいいんだけど、特に私は“呼吸”にまつわるものがすごく効いています。

 身体的にも効果を自覚できるけど、それ以上に感じるのは精神的な安定。自分を見つめ直す、気づきですね。



 以前からヨガには多少ならず縁がありました。それは文化的、平和に関しての思想的なものからだったかもしれません。

 昔々、こんなにヨガが定着する前、“屍のポーズ”というものを知りました。
他のポーズをしなかったわけではないけれど、この屍のポーズは何となく感じるものがあって繰り返していました。

 最初の日にこのポーズが出ました。私が屍のポーズと言っていたものは“シャバースナ”というんだそうです。

 思わず喜んでしまいましたけど、ちゃんとできてたそうです。「最初なのに」と感心されてしまいました。



 ところで“シャバースナ”屍のポーズは、死んだ状態のこと、死体のことでもありますよね。全身弛緩状態、究極の完全な弛緩状態ということですね。

 神は始まりであり終りである。あ~うん。生があれば死がある。

 その過程にどのような違いや差があろうとも“死”というのはすべての人に訪れるもの。究極の平等と言うことなのでしょうか?

 それがヨガのアーサナーのなかでもある意味究極のものとは。

深いなぁ。

2012年4月26日木曜日

映画 「アーティスト」 「ヘルプ」

 映画「アーティスト」を観てきました。


 いろいろ話題になり評判に=良い作品とは限らない のが常だけど、この度は前評判を裏切ることのない良い出来、作品でした。

 サイレントからトーキーに切り替わるときの悲喜劇を扱った作品はこれが始めてではありませんし、それらと同じような発想・切り口のシーンもありました。

 全体のトーン、立ち居振る舞いもサイレント作品を思い浮かべさせるところもありました。

 観ていると「あーッ」と思わず小さな声の出るような伏線がいっぱい張ってありました。

 全編を通して流れ、扱われているテーマは「愛」かなぁ。

人と人の信頼、善意、真摯な態度、友情、愛情、希望、一度は落ち込んでも立ち直る人のすばらしさ。その時の周りの助け

 いろんな人の助け 協力を得ながら新たなスタートを切った主人公。
 厳しく観れば、その後だって決して順風満帆じゃないだろうなぁと思ってしまうけれど、ハッピーエンドで終わる作り方も大変好ましいものでした。

 出演している女優、ペピー役のベレニス・ペジョ。 
 肉感的な女優ではないけれどガリガリでもない。
 仕草など、いろいろ観ているうちに かわいい と思ったけれど際立って美人というわけでもない。
でも好ましい女性。


 DVDを買っても良いと思いました。





 実はこの「アーティスト」の前に「ヘルプ」を観ていたんです。けれど、あるシーンが引っかかってブログにアップできずにいました。

 「ヘルプ」自体は観る前から楽しみにしていた作品。
 観ていて思い出したのはグレゴリー・ペックが出ていた「アラバマ物語」。
片や一人の黒人の裁判を巡っての弁護士・父親・人間を扱ったもの。片や大勢の黒人ヘルプ(家政婦であり、乳母)が出て来るもの、という違いが。
 物語の時代も、作られた時代も違いますし。カット割り、より長く回すかの違いがありました。
 結果として、しっとり感ではアラバマ、テンポではヘルプですね。


 気になったところとは「自分の日常生活では黒人差別・人種差別をしておきながら、婦人会活動でアフリカの子どもたちを助けようのチャリティ活動を行っている。」このつじつまの合わない行動のところ。
 私はこの女性たちとは違う!と思ってはいるけれど、このシーンではびっくりしました。



  60年代はあらゆる面でいろんなことがありました。

 公民権運動 フリーダムライダーズ フォークソング 月面着陸 ケネディ マーチン・ルーサー・キング ガンジー ネール ・・・    69年にはウッドストックもありました。

 世界が大きく変わった70年代につながっています。

 私自身この時代が好き。 引かれます。

2012年4月23日月曜日

今更 “想定外” って言葉で責任逃れはなしよ!


夜の街も確実に暗くなりました  3・11前より
   政府・野田政権は繰り返し繰り返し「電気が足りなくなる、原発が再稼働しなければ停電だ」と国民を脅しています。


 計算の根拠となった数字は、そういう数字もあるのだろう。

 けれど、どの数字とどの数字を使うかに作為を強く感じています。

 電力需給見通し、根拠となっているのは猛暑となった2010年の数字。



 なんで2011年の夏じゃないの。2011年の3・11以降じゃないの。

 原発以外(電力会社以外)の発電施設の稼働、新設。

 生産機器、生活機器の節電効率のアップ。技術革新による省エネ。

 何より、それらの省エネ機器に切り替えることも含めて、生活スタイルがすっかり変わりましたよ。

 この潮目は強まることはあっても後戻りすることはないでしょうね。

なぜこの流れ、数字をみないのかと不思議で不思議でなりません。

 わざと目をそらしている、要は(都合が悪いから)みたくないんでしょうね。



 ところで。脅しが通用しなかったときどうなるんでしょう。

いや、どうしようと考えているのでしょう。

 まさか考えていない。いまさら“想定外”なんてこと言いませんよね!

参加する前からの疑問2題 ・営利企業がなぜ原発をやめない ・なぜ高知で研究?

参加する前から疑問に思っていたことがあります。


・利益を上げなければならない大営利企業なのに、これだけ会社に損失を与え続けている原発をなぜやめないのか。

・ビキニ水爆実験で被曝した漁船の数を調べあげた幡多サークルがなぜ高知のサークルなのか。

不思議で不思議でなりませんでした。



 高知・幡多サークルのこと

 当時の日本の食糧事情では、肉はなかなか口にできる状態ではなく、タンパク質はもっぱら魚に頼っていた。そういう状況の中でマグロは大変重要な魚種であった。

 そして遠洋マグロ漁に多くの漁船を出していたのは静岡・焼津港と高知の各漁港だった。

 それが高知において研究が行われる遠因となった。



 腑に落ちましたよ。こんなにすっきりと腑に落ちたこともありません。

 第五福竜丸一隻と考える方が不自然とは前々から思っていましたけど、千数百隻がビキニ水爆実験で被ばくしたという調査報告がありました。

 だからだったんですね。





 ちなみに。

 当時日本ほどに遠洋に出かけてまで魚を取り食べる国はなく、水爆実験で被害を受けた漁船・国は日本以外にはなかった。日本漁船は、ビキニ水爆実験・原爆マグロの影響でこの水域での漁を控えた。

 その後に韓国の漁船が進出した。そのため韓国にも被曝者・被害がある。

 広島・長崎の被爆者のことは聞いたことがありましたけど、ビキニ水爆実験でもそうだったんですね。

2012年4月22日日曜日

1-15-52・54 織物工場 お金が足りなくなるほど買っちゃいました

 朝はなるべく身軽な状態で移動したかったので見学だけにさせてもらった織物工場(?)に寄ってもらいました。


 私はここでショールを3枚、二人も草木染のマフラーを何枚かづつ購入。

 そしたら、3人とも手持ちのケニアシリングが足りなくなって、そのうえNさんのシリングさえも足りなくなって

 この場はNさんが交渉してくれて、Nさんが後で支払いに来るから!ということでOKになりました。


 最初から現地にお金を落とすつもりで来ていた3人ですもの、たくさん買うんですよ。

 私たち3人は、もっと人数の多いツアーの時よりもお金を使っているようです。

 びっくりされてしまいました。

北朝鮮ロケット発射を政治的に利用

 素直に考えればどうにも不可解なことがこのところ頓に多いと感じます。


 原発事故の時には、出さなければならない情報さえも出さずに、意図的に隠すことさえしました。

 それが“ばれた!”とき「みなさんを怖がらせてはいけないと思って、わざと発表しなかった」とさえ言ったんですよ。

 まるで私たちの方が悪くてそれで隠したように言ったんですから。

私たちのことを思ってならやるべきことが別にたくさんあるのに。



 それがこのたびはどうでしょう。



 北朝鮮のロケット打ち上げに関して、これでもか!というほど国民を怖がらせることばかり。

 原発事故の時の「みなさんを怖がらせてはいけないと思って、わざと発表しなかった」はどこへ行ってしまったのでしょう。



 “国民の生命 財産を守る”ということから考えてもあの一連のやり方、選択 対応だけでは足りなかったと思います。

 が、その後を見ると、それ以上に恣意的な意図を感じます。

自衛隊の配備実績を作ること。 マスコミ露出を増やし認知を狙うこと、という。

ミッションを自覚できない人たち

この国、国民の代表として“日本”を維持運営している人、特に権限(責任)ある人が本当に自国の利益を守って行動しているのか異議を感じる時が多々ある。


 日本国民の代表でありながら、その自国民の方ではなく別の方を見ている政府。

 自国民を守っていない、自国民の利益を第一に考えていない(何が本当の自国民のためになることか)と感じることが多々ある



  このたび、またか という思いをさせられたのは、先日のテレビ報道でびっくりさせられた石原東京都知事の尖閣諸島買い上げ発言。それに遅れちゃならずと出された政府見解(官房長官会見発表)「~尖閣諸島の買い上げを検討する~」。

 その趣旨は、国(行政)の直接所有しているものでなければ守らないということのよう。

 個人(他人)は守りませんよと宣言しているに他ならない。



 何を、どのようにすることが ということでは人それぞれいろいろな考え主張手段の違いはあれど、私自身もこの国(国民)の愛国者だ。

 個人の物欲レベルしか所有していなくて、国全体の権益の問題になるような所有はしていない。でも私は、自分の所有物でないからどうでもいい、関係ないというようなことは発想としてない。

 日本 日本人(!)に何かしらの不利益が発生すれば気にもなるしどうにかしようと思う。直接私の力ではどうにもならなくて、想い祈ることが主になるとしても。



 以前イラクで起きた人質事件の時の政府の対応にはほんとにびっくりした。

政府発言が「~自己責任~」云々だったのだ。

 神様じゃないんだから、そりゃ探せば何かあるのが常だろう。だからと言って市井の個々人が口にするならばまだしも、自国民がその生命の危機にある時に、国・国民の代表が言う言葉か!! と義憤を強く感じた。

 国がその自国民の生命財産を守ることはまず第一に考え対応しなければなければならないことなのにそれをしていない。

このたびのことも未だにそのレベルの発想から出たことだとしか思えない。

2012年4月21日土曜日

よくできた 回文

  良い言葉というわけではないし、他人をこういう風に言うことはいいことではないんだけど、気持ちはわかるし実際子どもたちの間で流行っている言葉というものを新聞の読者投稿欄に見つけたので紹介します。


 回文になっているんだけどよく考えますねぇ。



   ホアンインゼンインアホ



 思いついた人はほんとにえらいは!

2012年4月17日火曜日

1-15-53 キベラのお店さまざま

大きな路から少し脇に入ったところに位置している織物工場。


 未舗装の土のでこぼこ道に変わりはありませんが、この辺りはまだキベラ地区と他地区との境界からもそんなに入り込んでいないし道幅もあります。

 この織物工場の手前にあるお店(露店)。

 ここのはサモサのようだったけれど、朝はまさにこれからという感じで開店準備をしていました。でも今はもう中華鍋(?)の油も開けあげ、片づけもほとんど終わりという感じ。           

 まだそんなにお日様の位置は低くなっていない時間なんだけど、思ったより売れるんですね。




 ここより奥の方。朝マゴソスクールをめざし、今診療所から歩いてきた道々では、油がやれているのか、温度・揚げ方なのか、真っ黒に揚がった魚のフライなんかもあったし、鉄の網に塊のまま ごろん とのせられ焼かれていた肉もありました。








 商品をガードするためなのでしょうか、窓枠に鉄格子に近いようなものから金網程度のものまでとちがいはあれど装備された建物のお店から、屋台・露店、中には小さなコンロひとつで商いをしている人まで。規模、扱い商品は様々だけど結構お店がありました。

2012年4月15日日曜日

1-15-51 この診療所で手術ができるというのはすごく意味があること

 診療所を案内してもらいます




 “手術室”と紹介されたところは工事の真最中でした。

 完成の暁には“らしく”なるのかもしれませんが今はそんな感じがしません。

 なんでも、ここでの手術対応は担当する予定の先生が結局こなくてこれまでできないままだったそうです

 このたび新たに援助を受けることができ、設備もそろえなおし、先生もどうにかなりそうとのこと。

 この設備 体制でどこまで対応できるのかを考えると心もとないけれど、ここナイロビにあるもっと設備も体制も整った病院にキベラスラムの人がたやすくかかれるとは考えられないので、この診療所で手術ができるというのはすごく意味があることと思います。



 建物は特に広いわけでもなく奥行きの長いうなぎの寝床風の建物なので、部屋のスペースをとった後のごく狭い廊下と階段を通り2階に上がります。



 2階の最初の部屋には、今まさに陣痛が来ていて赤ちゃんが生まれそうなお母さんが。(頑張って)

 その奥、続き部屋には今朝生まれたばかりの赤ちゃんとお母さん。

  親戚の人たちでしょうか、ベッドの周りにお祝いの人が駆けつけていました。かわいい子どもも一緒です。  

 おめでとうと言い赤ちゃんの顔を見せてもらいました。

かわいい

 写真を撮りたかったけれどこの時は気後れしてしまいました。

2012年4月14日土曜日

みなさん助け合いましょう。あなたの周りに一人の人がいたら、声をかけてください



「みなさん助け合いましょう。あなたの周りに一人の人がいたら、声をかけてください  


3・11 震災当夜、電気=照明のない暗闇にラジオから流れたアナウンサーの呼び掛け

一人の人がいたら声をかけて


311東日本大震災の時には、
いたるところで突然の出来ごとに恐れ驚き傷つき、受け入れがたい惨劇に直面した人がいました。

同時に、私の知っていることの770倍以上の“人は神が創りたもうた”ということを証した多くの人たち・行いがありました。

今日また、そのうちの一つを知りました。

震災当夜、電気・照明のない暗闇にラジオからこんな呼びかけが流れたそうです



「みなさん助け合いましょう。あなたの周りに一人の人がいたら、声をかけてください

  」



 これを耳にした人は皆ハッと気づいたと思います。

 この時初めて周りを見た人が大勢いたと思います。

そして、自分でもできることがあることに気付いたと思います。

希望を、へこたれない気持ちを取り戻すことができたと思います。

 「人は誰かのためなら頑張れる」のですから。





311日、私は遠く離れた日本海側 新潟市秋葉区の大河・阿賀野川近くの田んぼに囲まれた集落に居ました。

訪問したお宅が留守、住んでいないような気配だったので、お向かいのお母さんと娘さんにお話を聞いていた時でした。

車庫のシャッターがカタカタカタと音をたてました。

最初風かなと思ったんだけど受ける日差しの感じは変わらないし長すぎる。

変だなーぁと思いだしていたら私一人では抱えきれないほどの大木の広葉樹の上方の枝々が大きくそれも尋常じゃない速さで揺れたのです。音まで立てて。

立ち話をしているすぐ後ろの、家が、瓦がぞくぞくする怖い音をたて続けます。

その時初めて会ったばかりの3人でしたが自然と身を寄せました。

これまで“○○地震”と名前がつくほどの大きく強い地震をいくつか体験してきました。仕組みやそのときどうしたらいいのか、感謝すべきことに知識は身についてきたと思います。

けれど、何度経験しても平気ではいられません。



この時の揺れはとても長く感じました。一揺れでの長さは今までで一番でした。

その時は、これから何度も何度もそして広い範囲で揺れが来て被害が拡大し、津波にそのうえ原子力発電所の事故、放射能被害まで発生するまでは思いもよりませんでした。



恐怖で不安で手の離せない二人。私も身体には鳥肌が立ちザワザワ感は収まりません。

ほんとに、ようやく揺れが収まったとき「私たち二人だけだったらとってもこうしていられなかった」と言われました。

私も怖かった。

だけど二人がいたおかげで多少なりともやせ我慢ができました。

これからも、恐怖におののくとき、困難に直面する時が何度も何度もあると覚悟しています。
そんな時、やせ我慢でもいいから逃げない 私でいます。

2012年4月12日木曜日

春を感じ  大人になったことを感じるとき


新年度 そして春を感じるとき


小学校、新一年生の交通安全・黄色い帽子。 

間に挟んで見守る上級生・お兄さんお姉さんがとても大人に感じます。



不自然なくらいに真新しすぎて黒のリクルートスーツの集団。



保温スイッチが入っていなくて冷たい暖房便座にうっかり腰を下ろしてしまっても飛び上がらなくなったとき。   



ラジオで読み上げられるお便りにこの時期だから多い内容は、大学入学で初めて親元を離れる子どもに関すること。

親離れ子離れの情景が、聞いている私まで涙々のお便りが続きます。

(私自身は、そんな場に立つこともできませんでしたけど)



精の強い春先の山菜。この時期だけの“苦味”も格別です。

どこで咲いているのか見つけられなくとも、頭が痛くなるほど精の強い栗の花も咲きます。



大人になったと感じるとき

苦いだけだったビールをおいしいと思うようになったとき

春先の山菜のほろ苦さも“春だなぁ”とおいしく食べられるようになったとき。

2012年4月9日月曜日

だからこそ縁を大切に   縁とタイミング2の2


「双極制傷害」

 この病気 脳に器質的な変化をもたらし、人間の意志の力ではどうしようもないものであるならば薬物療法を中断してはいけません。


 いくらかでも知識が増してきて、鬱との相違がわかってきました。

この間“いろいろわかってきた”と思った、NHKの番組にでていた人たちは「番組に出られる人 出られる状態に落ち着いていた人たちだったんです」。

それに気づきました。その症状が出ている状態の人はそもそも番組になんか出ていないんですよ。
大きな勘違いをしていました。

だからこそ縁を大切に   縁とタイミング 2の1

 今でもFさんのことはいい人だと思っていますよ。
(病気がさせているのだとしても、大変なこと、私のレベルでは太刀打ちできないことがいろいろあることはだんだんわかってきましたが →22へ)

Tだってほんとは(もっと)いい人だったのにと思いますよ。

この私だって極悪非道だとまでは思いません。




やっぱり、タイミングなんですよ。 相性もあるかもしれないけれど。

だから逆に言うと、いくら良い人でもタイミングを逃してしまったらうまく行くものも行かなくなるんだと思います。(夢から覚めたら 勢いをなくしたら だめだと思います)

巡り合わせ 縁 タイミング なんですよ。



そして、“縁”とは、自分でいくら考え 願ったからと言って生まれるものではないからこそ大事にしなければならないものなのかもしれないですね。

 大切にします。

2012年4月8日日曜日

こんな私を必要としてくれる人のところへ


 これまでも何度かその人となりに触れる機会があり、JENそしてJEN事務局長の木山啓子さんのパワフルさが頭にありました。

 ある時ラジオで木山さんの「誰かのためなら人はがんばれる」の紹介も含めての対談を耳にしました。

 それを聞いて正直びっくりしました。

 ずっと自分に自信が持てなくて、コンプレックスを持っていたと。
 学校歴などを見るとコンプレックスを持つような成長過程があるようにも思えないのですが。

 やっぱり他人が見てどうかではなく、本人がどう感じるかなんですね。

 社会にでて就職してからも変わらなかったようです。

 故に という気もするんですが“戦力外通告を受けた私”という経験もしたようです。

 その後も、行きつ戻りつ時には立ち止まったりしながらも多くの経験をしたようです。

 そしてある時、番組で耳にしたこと以上の発想のコペルニクス的転回ができたんでしょうね。

 「自分のことを“ここがだめあそこがだめ”と 思うなら。
そんな私(でさえ)を認め必要としているところ・人のところへ行く・がんばる。 
それで良いと言っている人 のところへ いく ゆだねる。」

 そう考える(考えられる)ことができたのです。

 きっと自分の尺度としては変わったわけではなかったと思います。
 だけど、というか だからこそというか“こんな私でも良い”と言ってくれる人・ところで働いてみようと思ったんでしょうね。それで今があるわけです。

  こういう発想、選択の仕方もあるんだなぁと思いました。

 そう思って本の名前「誰かのためなら人はがんばれる」を改めて見てみると、比べるべくもない働きの私だけど腑に落ちました。







 これは蛇足ですけど。
Fさんもこういう発想ができるようになると楽になるんでしょうね。
 ほんと蛇足ですけど。

“気”の高まり  金曜の夜が待ち遠しい

33ヶ月3年」 

 仕事や修行などで環境が変わって、不安になったりつらい気持ちになった時に、自分で自分に言い聞かせたり、不安な気持ちでいる人の気持ちをを和らげ力づける時によく使う言葉。
(最近はあまり耳にしないかなぁ?)



 今回私もそうでした。
年度を区切りに職場の異動がありました。

 異動を前にして、近しくしてもらった人たちに異動する旨を伝えお別れをしました。
何度経験しても"別れ”は にがて。

 別れを伝え始めてから最後の日が近ずくにつれなにか“気”気配が私に向けられているのをすごく感じました。

 私の方も平常ではありませんでした。

良くも悪くも“気”が高まってきていました。

 

 年度変わり。4月に異動してやっと3日がすぎました。

 幸い優しい人に恵まれたようで感謝しています。
まだ引継の途中ということもあり、実際の仕事の大変さはこれから。


 いずれにしろ、新しい環境、これからへの不安・・・ 疲れました。

 土曜の朝の前、金曜の夜が待ち遠しい!

人を老けさせるもの

人を老けさせるのは、年齢ではなく悲しみ

映画 「フローズンリバー」 を
観ている時に気づいたこと

文化は、個別







文化は、個別性が特徴でもあり、どちらが正しい、間違っているとはいえない。

         江原絢子 食文化研究者


映画 「マリリン・モンロー7日間の恋」 「マーガレット・サッチャー」

「マーガレット・サッチャー」
結果としてたくさん観ているんだけれど元々はそれほど好きでもないメリル・ストリープ。今回もそのパターン。観ようと思っていた作品の主演が彼女だったのです。彼女の出演作品の選択に似通ったところがあるのかもしれませんね。字幕の戸田奈津子さんもそういうところがあります。

今回この作品を観ようと思ったきっかけは昨年の「英国王のスピーチ」とも関係してるかなぁ。こちら主演のコリン・ファースはかわいそうなくらいでした。 話題にはなったけど映画としては今回のサッチャーの方がいい出来だと思いました。

 今の時代ですからメイクでいかようにもというところはあるけれどやっぱり演技力かなぁ。今のマーガレット・サッチャーさんを知って(見て)いるわけではないのですが、こんなふうに歳を重ねてきているんだろうなぁと自然に受け入れられました。



「マリリン・モンロー7日間の恋い」

そっくりさんが出て来ての際物かと観るつもりはありませんでした。

ところが、たまたま目にした主演のミシェル・ウイリアムズの紹介記事。そこに乗っていた写真の彼女はそっくりさんではありませんでした。(映画を離れているんだから当然かもしれませんが)

それで逆にどんな作品なのか観てみたくなったのです。

映画の彼女は、ほくろ はちゃんとついているし似せていないわけではないけれどそっくりサンではありませんでした。 今のメイク技術ならそっくりにすることだって不可能ではないのに。

だけど観ていたらそこにモンローがいたんです。見えてきたんです。

びっくり。

印象に残っているシーン。 周りの“期待”に応えて「彼女になるわよ」と言ってマリリン・モンローになるところ・演じたところ。  

これまでの、マリリン・モンロー主演作品はもちろん、内幕もののどれとも違う切り口、深さまで切り込んだ作品だったように感じました。

思わぬ拾い物の一本でした。

2012年4月7日土曜日

Fさんの事、8月6日をキーワードに考えた 7の7

 今気がかりで、怖いのは「繰り返すのか」ということ。
連絡・関係をすべて遮断!が繰り返されたら大変という恐れ。

今の状況は、ぐったりと寝ているのより遙かに悪い、手の施しようがありません。



彼女の体調、病気のことはわかっていたので、“私のところで”寝ているのはいっこうにかまわない。かえって望むところです。

具合の悪いときはいつものように話したりするのもそりゃできないこともあるでしょう。

でも、たとえ細い糸のようでも良いから完全に遮断でなければいいんです。今のようでなければいいんです。



以前の恐れは、状態が落ち着いたとき、今(メールをたくさんやり取りしていた時)を忘れてしまうんじゃないかでした。

“今”が特別な状態であって、落ち着いたら気持ちも変わってしまう、その時が怖い。

 今の状態が落ち着いたとき目が(夢)覚めたかのように 気が変わってしまうのではないかと心配していたんです。  



そんな心配をしていた自分が今ははずかしい。そんなレベル、そんなことではないのに。



女性が一度気持ちを決めてしまうとそれを変えさせるのは難しいとわかっています。

だから実際にはあり得ないこととわかっているけど、このたびのことが仮に。仮に、今回の状態が解消されたとしても、将来また繰り返すのかなぁ と思うようになってしまいました。

今一度やり取りできるようになったとしても、将来また“逃げる”を繰り返すのではないかと不安な気持ちに変わってしまいました。

 “病気”のことを考えると充分あり得ると思うのです。



いずれにしても体調、病気のことがあるからとは思うけど時期が早かったんでしょう。

親元に帰ってきて2年。その前の、嵐のようなあるいは吹雪の中で身動きが取れないような日々。

具合が悪いときは、ほんとに疲れるのは私も体験しているからわかります。



正直、いまでもうずきを感じないわけではありません。

胸には棘が刺さったままです。

けれど今は前なら気にもならなかったことが気になるようになってしまったんです。