これまでも何度かその人となりに触れる機会があり、JENそしてJEN事務局長の木山啓子さんのパワフルさが頭にありました。
ある時ラジオで木山さんの「誰かのためなら人はがんばれる」の紹介も含めての対談を耳にしました。
それを聞いて正直びっくりしました。
ずっと自分に自信が持てなくて、コンプレックスを持っていたと。
学校歴などを見るとコンプレックスを持つような成長過程があるようにも思えないのですが。
やっぱり他人が見てどうかではなく、本人がどう感じるかなんですね。
社会にでて就職してからも変わらなかったようです。
故に という気もするんですが“戦力外通告を受けた私”という経験もしたようです。
その後も、行きつ戻りつ時には立ち止まったりしながらも多くの経験をしたようです。
そしてある時、番組で耳にしたこと以上の発想のコペルニクス的転回ができたんでしょうね。
「自分のことを“ここがだめあそこがだめ”と 思うなら。
そんな私(でさえ)を認め必要としているところ・人のところへ行く・がんばる。 それで良いと言っている人 のところへ いく ゆだねる。」
そう考える(考えられる)ことができたのです。
きっと自分の尺度としては変わったわけではなかったと思います。
だけど、というか だからこそというか“こんな私でも良い”と言ってくれる人・ところで働いてみようと思ったんでしょうね。それで今があるわけです。 そう思って本の名前「誰かのためなら人はがんばれる」を改めて見てみると、比べるべくもない働きの私だけど腑に落ちました。
これは蛇足ですけど。
Fさんもこういう発想ができるようになると楽になるんでしょうね。
ほんと蛇足ですけど。
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