2012年4月29日日曜日

すべての人に平等に与えられているもの 始まりがあれば終わりが生あれば死が

 定期的にヨガをするようになって2年近くなります。


 最初のころ、一つ一つのアーサナーができるできない以前に(最初から先生と同様になんてことは無理な話ですから)、一週間耐えに耐えてやっと迎えた土曜に“早く”とまでは言わないけれど起きて出かけること自体がとてもつらい朝でした。

  様々なアーサナーを教えてもらっています。インドの文化、伝統的なもの、比較的最近考案された系統の物。系統も指導法(指導者)も様々。

 その中で、私には今回のスタイルがぴったりでした。アシュタンガ・ヨガというそうです。教授の仕方も私に合っているし幸いです。 

 いろんなアーサナー、いずれもいいんだけど、特に私は“呼吸”にまつわるものがすごく効いています。

 身体的にも効果を自覚できるけど、それ以上に感じるのは精神的な安定。自分を見つめ直す、気づきですね。



 以前からヨガには多少ならず縁がありました。それは文化的、平和に関しての思想的なものからだったかもしれません。

 昔々、こんなにヨガが定着する前、“屍のポーズ”というものを知りました。
他のポーズをしなかったわけではないけれど、この屍のポーズは何となく感じるものがあって繰り返していました。

 最初の日にこのポーズが出ました。私が屍のポーズと言っていたものは“シャバースナ”というんだそうです。

 思わず喜んでしまいましたけど、ちゃんとできてたそうです。「最初なのに」と感心されてしまいました。



 ところで“シャバースナ”屍のポーズは、死んだ状態のこと、死体のことでもありますよね。全身弛緩状態、究極の完全な弛緩状態ということですね。

 神は始まりであり終りである。あ~うん。生があれば死がある。

 その過程にどのような違いや差があろうとも“死”というのはすべての人に訪れるもの。究極の平等と言うことなのでしょうか?

 それがヨガのアーサナーのなかでもある意味究極のものとは。

深いなぁ。

0 件のコメント: