2012年4月14日土曜日

一人の人がいたら声をかけて


311東日本大震災の時には、
いたるところで突然の出来ごとに恐れ驚き傷つき、受け入れがたい惨劇に直面した人がいました。

同時に、私の知っていることの770倍以上の“人は神が創りたもうた”ということを証した多くの人たち・行いがありました。

今日また、そのうちの一つを知りました。

震災当夜、電気・照明のない暗闇にラジオからこんな呼びかけが流れたそうです



「みなさん助け合いましょう。あなたの周りに一人の人がいたら、声をかけてください

  」



 これを耳にした人は皆ハッと気づいたと思います。

 この時初めて周りを見た人が大勢いたと思います。

そして、自分でもできることがあることに気付いたと思います。

希望を、へこたれない気持ちを取り戻すことができたと思います。

 「人は誰かのためなら頑張れる」のですから。





311日、私は遠く離れた日本海側 新潟市秋葉区の大河・阿賀野川近くの田んぼに囲まれた集落に居ました。

訪問したお宅が留守、住んでいないような気配だったので、お向かいのお母さんと娘さんにお話を聞いていた時でした。

車庫のシャッターがカタカタカタと音をたてました。

最初風かなと思ったんだけど受ける日差しの感じは変わらないし長すぎる。

変だなーぁと思いだしていたら私一人では抱えきれないほどの大木の広葉樹の上方の枝々が大きくそれも尋常じゃない速さで揺れたのです。音まで立てて。

立ち話をしているすぐ後ろの、家が、瓦がぞくぞくする怖い音をたて続けます。

その時初めて会ったばかりの3人でしたが自然と身を寄せました。

これまで“○○地震”と名前がつくほどの大きく強い地震をいくつか体験してきました。仕組みやそのときどうしたらいいのか、感謝すべきことに知識は身についてきたと思います。

けれど、何度経験しても平気ではいられません。



この時の揺れはとても長く感じました。一揺れでの長さは今までで一番でした。

その時は、これから何度も何度もそして広い範囲で揺れが来て被害が拡大し、津波にそのうえ原子力発電所の事故、放射能被害まで発生するまでは思いもよりませんでした。



恐怖で不安で手の離せない二人。私も身体には鳥肌が立ちザワザワ感は収まりません。

ほんとに、ようやく揺れが収まったとき「私たち二人だけだったらとってもこうしていられなかった」と言われました。

私も怖かった。

だけど二人がいたおかげで多少なりともやせ我慢ができました。

これからも、恐怖におののくとき、困難に直面する時が何度も何度もあると覚悟しています。
そんな時、やせ我慢でもいいから逃げない 私でいます。

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