2014年6月29日日曜日

議場でのレベルの低すぎる野次。かばった人も同類に成り下がったことを自覚するべき。


このたびの東京都議会での塩村議員に対するセクハラ野次はひどすぎる。ただし、私自身もそう思ったけれど多くの人が さもありなん とか 本音が出た とか思ったところが日本の現状を意識せずとも認識してしまっているということで悲しい。

ある人は、言われたその時に(苦笑してしまった)言い返さなければだめだという人もいる。確かにそれくらいにはっきりした問題発言だったと思います。でも、そうは思うけどなかなかできないもんですよ。私自身もその時そのタイミングでは言い返せなかったと思います。だけど何も感じないわけでも思わないわけ度もありません。心にはしっかり残るし後々いろいろ考えてしまうものです。これから先場数を踏むことでいくらかでも変わるのかもしれませんが、そんな経験を糧にして、私の隣の人がそのようなことを言われた時には共感し力になれるような人間に成りたいと思っています。

 

話し戻して。まだ正直に悪かったと謝りも反省もしない議員はもちろんよくない。けれどその時隣にいた人、聞こえた人も黙って居る、正さないことで同類になっていることに早く気付くべきだった。本会議中の議長もその役割・ミッションを果たしていない。その時に適切な対応ができなかったとしても、その後で被害者の立場、問題の本質を理解することなく加害者をかばい問題をうやむやにしてしまう態度をとったことによって同罪の罪を犯してしまいました。かばっている議員も同罪。これが本音、自民党のひどいのはもうあたりまえだけど、ほかの議員・党も同調したことによって人間として反省することをしない同類になってしまいました。

 

追伸のように書き加えますけど。

“野次にもいいヤジと悪いヤジがある”なんてのもどうかと思います。“体罰”にもいい体罰と悪い体罰があるなんて言うのとおんなじだと思います。

“ヤジ”は野次。良いも悪いもない。議場での討論とか議論とは全く別の物。線を引く分けるなんてのは様々な諸問題が絡んできて収拾がつかなくなるので最初からしないほうが問題の本質がはっきり見えていいと考えます。

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