2014年9月30日火曜日

葛西薫 「HIROSHIMA APPEALS 2013」  黒井健  共通する願い


長岡にある県立近代美術館に行ってきました。館内は地元新潟出身で、柔らかで暖かく優しい作風で穏やかに途切れることなく続いていく“平凡な日々”を描き出す作品をたくさん誕生させている黒井健さんによる絵本原画の世界展を観に来た人たちで大賑わいでした。なんでも黒井さんの画業40周年記念ということだそうですが、確かに観るとすぐ黒井さんの絵とわかる作品はたくさんあります。
私はその賑わいを尻目にコレクション展第3期に歩を進めました。今回は時間の関係で黒井さんのほうはまた別の機会に。黒井さんほどの方になればまた機会はあると思いますので。 このたびの私のお目当てはコレクション展のほう。 

コレクション展第3期。案内によると展示は3部屋そしてギャラリーに分かれて催されていました。まず展示室1が「さがして、みつけて」 ここには、絵の中にうずめられている想いを見つけてみよう探してみようという企画のもとに展示されている部屋。 いくつかには作品脇にヒントが記されていました。なるほどなぁと初めて気づくもの そういう鑑賞の仕方もあるのかと思いながら観せてもらいました。 展示室3は製作500年を迎えるという“メレンコリアⅠ”を含む複数のデューラー作品をメインに近代美術館収蔵作品が展示してありました。一般的にも知る人が多く常設展示のようになじみのある作品の中にあったメレンコリアは、さすがに“500年”の間多くの鑑識眼の中を生き抜いてきた作品というだけあって一段と訴えてくるものがありました。

 展示室2を舞台に私を迎えてくれたのが「FACE」というテーマのもとに集められた数々の作品-顔。 私は今回これを狙って近美まで来たのです。“顔”内面おも表出してしまう顔・表情。そして自分を自分以外にしてくれる“仮面”ということが頭にありました。
展示室内はさらに「肖像に見る顔」絵画だけでなく写真という手法を用いた作品も展示してあった「偉人たちの横顔-学芸諸家」「顔は語る」というグループに分けられていました。中で「肖像に見る顔」と「偉人たちの横顔-学芸諸家」のところにあったいくつかの作品は、その視線“眼”を妙に生々しく感じ印象に残っています。

 

行ってみてへぇーと思ったのが、それだけの単独の案内が出ていて、私もそれを入手したからこのたび出かける一番の動機になった 第16回亀倉雄策賞受賞記念 葛西薫展「HIROSHIMA APPEALS 2013」が2階ギャラリーでの開催だったこと。行ってみてスペース的にどうとかということはありませんでしたが、ここでこのような作品展示がなされていると気づく人、わざわざ別フロアーのここまでという人は限られるんじゃないでしょうか。

このたび整理する中で気づきました。技法は違うけど、言葉で言うと“平和”と“平安”というニュアンス程度の違いはあれどお二人とも自分の持っている才能を通してその実現を願っていると。黒井作品を観に来た人たちには、一見お二人の作品は大きく違っている風に映るかもしれませんが、偶然?それともそこまで考えた学芸員による必然?

ギャラリー最初のコーナーは第16回亀倉雄策賞受賞記念 葛西薫展「アピールズ2013」の案内に使われた完成形の作品・一枚に結実する前の何枚もがギャラリーの壁中を占めていました。おなじテーマ発想で描かれていて且つ皆違う一枚一枚。 同じポーズ、でもみな異なっている、そしてどれもいい。その時私はそれぞれに勢いがありどれも命を持っていると感じました。

案内を改めて見て見ると下の絵が透けて見えるし、少しづつずらして重ねて案内に使用してある一枚の写真になっていますので、そのためにわざとこのようにたくさん誕生させたのかもしれませんが、選ばれなかったものも皆それぞれにひきつけるものを持っています。でもそこから選び出され、人の目に触れるのは一番上に持ってこられた一枚だけ。 今回はたまたまこういう形で目に触れたけれど、多くの場合こういう機会もなく埋もれて  行くのかなぁと思いました。受賞作品の「HIROSHIMA APPEALS 2013」と刻印の入ったそのものはそれらのうちの一枚。このたびは一枚一枚がそれぞれよかったのでなおさらそう感じたのかもしれませんが、いい機会を与えてもらいました。

 
(葛西薫さんは、広告制作・パッケージデザイン・映画演劇広告美術・装丁・企業CIなどで活躍している人。続くコーナーにはその一部が展示されていました。展示されている作品を観ると、これもこの人の作品だったのかというものがたくさんありました。)

2014年9月28日日曜日

10‐9‐16 ナヌムの家 建物の配置



写真は駐車場側から写したものです。この向きで言うと、中央奥の建物が見学前の説明を受けた建物。左側が歴史館。右側が居住棟という配置になります。 説明を受けた建物と歴史館の間にはテント様の屋根に覆われた小さな広場がありそこにはお一人おひとりの歩みが写真とともに紹介されたパネルが貼られています。








駐車場脇の建物・事務室の壁に入場料金を示すプレートが貼ってありました。今回はツァーコンダクターがまとめて手続きをしてくれましたので直接支払ったりはしませんでしたが。参考までに。

2014年9月27日土曜日

新しい時代に入ったインド映画


 先日来立て続けに「マダム・イン・ニューヨーク」「めぐり逢わせのお弁当」そしてDVDでの鑑賞ですが「スタンリーのお弁当」「きっとうまくいく」を観ました。全部インド映画、でも感じが違う。

インド映画というと、岩波ホールが発掘・日本に紹介したサタジット・レイ監督の作品のようなものもありますが、一般には歌あり踊りありの楽しい映画というイメージがすっかり定着していました。もう一つ上げるならばインターミッションが入るくらいに“時間が長い”というのが特徴かな。その分で行くとこの4本はそのイメージとはずいぶん趣の異なる作品なのです。

そんなことを思っていた矢先目にした文章に ・契約問題でトラブルがあったせいで久しくインド映画は日本で公開されなかった ・新しいスタイルの作品が出てきている そしてそれが受け入れられてきている ということ等が書かれているのを見つけて納得しました。 

“インド映画”がしばらく日本で公開されていないということには「エェッ インド映画たくさん見てるよ」 と頭の中には大きなクエスチョンマーク。でよく思い出してみると、それらは主人公はインド以外の人で製作スタッフもプロデュースも外国、でも舞台はインドという映画だったと思いつきました。
インド製の映画とインドを舞台にした映画、なるほどね。欧米の国々・スタッフによる“インド”を舞台とする映画が途切れずにあったのを勘違いしていたんですね。

  

今回私が観てずいぶん違うなと感じたところは、ないわけじゃないけど前後に関係なく突然出てくる歌や踊りは少なめか無い。荒唐無稽なストーリー展開でスーパースターが大活躍してめでたしめでたしでもなく、ちゃんと考えてある作り。上映時間も普通。何よりテーマ選定・着眼点がこれまでにはないものというところでした。普通の市井の人が主人公で、その人の家庭・心に抱えるもの・社会的な背景にまで目を向け描かれています。 

 このような多様化の流れは、中国や韓国の映画もそういうステップを経て今に至っていますよね。近代化が進んだ結果 社会が変わり社会問題が発生してきてそれらをテーマとして取り上げようという機運が生まれ、合わせて観る側も新しいスタイルの作品を認識・受け入るように変わってきたのかなぁと思います。 
 

 最後に 
 
 ・「マダム・イン・ニューヨーク」の中で次から次へと披露されるサリーの美しかったこと、特筆ものです。

・「めぐり逢わせのお弁当」 イラが作り何段にもなるお弁当に収められたお料理。

  イラの作り詰めるときの指の動き、サージャンがお皿に出し口に運ぶ指の動き、そして口。   ドキリ としました。

2014年9月25日木曜日

タイムライン 「放射線を浴びたX年後」




ドキュメンタリー「放射線を浴びたX年後」をようやく見ることができました。

3月の堀潤さんの講演で耳にした“タイムライン”というとらえ方のことが頭にあって作品名にある“~年後”という言葉で前から観たいと思っていた一本です。

この作品も沖縄朝日放送の人たちが作り上げた「標的の村」と同様に、もとは地方のテレビ局(愛媛県の南海放送)の人たちによるドキュメンタリー番組だったんですねぇ。ご多分に漏れず今テレビ局もどんどん正職を切って派遣に置き換え、番組そのものの外注も進めていますので、じっくり時間をかけて、手間も暇もかかる質の高い作品を作るのは大変だったと思います。規模・人員が多ければできるというものではありませんが、そんな状況の中地方局の少ないスタッフの中でこのような作品が作り上げられたというのはいいものをつくろうとする報道にかかわる人達の心意気、高い志を感じます。
初めて知る事大切な事もあり、それだけにもしこの作品・調査がなかったら知られないままだったのかも知れないという怖さを感じます。そう考えると、このドキュメンタリー作品、地道な活動がいかに大切な事だったのかということを再認識しています。
 

さて作品について。

放送局の人が当時の漁船員を探してそして遺族にインタビューする模様とともに山下久寿さんが写っていました。山下さんは、多年にわたる調査によってビキニ環礁で被爆した漁船が第5福龍丸以外にも存在したことを明らかにして、それまで長い間もやもやと私に在った疑問を晴らしてくれた地元の当時は現役の高校の先生だった人です。山下さんとともに調査を重ねてきた周りの素晴らしい人たち、その調査の様子も映っていました。 山下さん達の調査の集大成としての「核の海の証言」-ビキニ事件は終わらない- にまとめられたこと、この本が焼津平和賞を受賞しそのことを伝える各種報道で示された文字情報を、このドキュメンタリーは映像で見せてくれたのです。

 貨物船もこの海域を通り被爆していることが紹介されています。 事実を示されれば確かに、広い海域に漁船は第五福龍丸だけ、船は漁船だけ、いたのは日本船籍の船だけだったと限定するほうがおかしいですものねぇ。
 

 広島・長崎以後も繰り返された血液製剤やcb型肝炎そして福島第1原発問題等での隠匿のパターンはここでも同様。日本 厚生省・政府はないと言っていた被爆漁船名と乗組員の調査結果がアメリカから出てきてそれも映像で紹介されています。
 
 


実験後の放射能汚染は、わずかの期間にビキニの実験区域を超えて拡散し日本にまで到達、海流や大気の移動によってアメリカ大陸をも汚染してしまったことも紹介されています。怖いのは、アメリカ合衆国・軍・関係部署によってこのことが予測されていて調査体制が進められていたということ。おそらくはアメリカ自国民も知らされないままに事が進んでいたんだと思います。 このあたりのことは「ここまでの広がりを予測できなかった」と言い訳されるよりもはるかに恐ろしさを感じます。

 被爆した人たちの、どう比較しても正常範囲を逸脱しているガンの発生・心臓疾患などによる早すぎる死が数々の実例で示されていました。これを、タイムラインで俯瞰すると福島第1原発に関連してこれから起きることなのかといたたまれなくなりました。

 

*「標的の村」同様、このような良質の作品がこれからも作り続けられることを願っています。

2014年9月23日火曜日

2014年9月21日の宇都宮健児さん(弁護士)


弁護士の宇都宮健児さんの講演を初めて肉声で聞いてきました。(60回新潟県母親大会 9月21日 新潟テルサ)
サラ金問題や年越しテント村の活動、みんなに押されて東京都知事選への出馬をしてきた人が、こんな優しい口調、穏やかな話し方をする人だったのかと少し変な感覚でした。もっとはきはき強い話し方、声・口調の人だとばかり何の根拠もなく勝手に思っていました。   
話し方がそんな風なうえに、内容的にも盛り上げたり人を笑わすようなものではありませんでした。実際にはいろんな体験をしていていろんな引き出し・話題があるんだろうけど、職業柄言えない・言わなかったというのが本当のところかもしれませんが。

それに主催者側とどちらが決めたのかわかりませんが、当日の演題が「貧困なくし、憲法生かして、だれもが安心して生きられる社会を」-子どもも、若者も、高齢者も、男も、女も-  
話の内容・項目を羅列しますと。憲法問題、手続きを無視して“解釈変更”で集団的自衛権の立場に国の姿勢を大きく変えてしまったこと。 武器輸出を解禁したこと。民意を無視して特定秘密保護法を通し、沖縄基地問題 辺野古も強引に進めていること。教育の問題。教育委員会、教科書、学費・奨学金問題。TPPへの参加。大企業に手厚い優遇税制・制度。大企業が世界で一番活動しやすい国造り。国家戦略特区 新自由主義的規制緩和政策。雇用問題・正社員の減少 残業代ゼロ制度。 貧困・生活格差の拡大。消費税増税。社会保障の改悪、医療・年金・介護制度改悪。東日本大震災・福島第1原発事故。エネルギー問題・原発再稼働 原発輸出。 
これで面白く話せと言われてもねぇ。みんな大事なことではあるけれど。 

唯一会場がわいたのは「こんなことばかりしている安倍さんが唯一してくれた好いことは、やっていることがあまりにもひどいので社会・政治 憲法にみんなが関心を持つようになったこと」と言った時でした。

2014年9月22日月曜日

10‐9‐16 ナヌムの家に向かって


今朝は8時にホテルを発って、よく整備された自動車専用道路と高速を朝の通勤ラッシュで渋滞する向きとは逆方向に走って来ました。 現在 時刻は9時を少し回ったところ。

今着こうとしているナヌムの家まで、ソウルから専用車両で高速道路を使ってという前提ではあるけれど1時間とちょっとというのはまずまず近いのではないでしょうか。

ここもソウル特別市の衛星都市になるのでしょうか京畿道広州市。高速を降り、日差しの明るさを少し強めに感じながら、走る車も人気もあまり感じられない街並みを少し進むと昔ながらの道なのか両脇の木々や草も車体に迫ってくるほどに細く折れ曲がり農村部の趣になりました。

 

ナヌムの家は、最初ソウル市内に作られ。その後こちらに移転し今に至っているとの由。移転後の今も、毎週水曜日の日本大使館前の集会に参加し続けているということです。

 

ここに移転してきた経緯はわかりませんが「私はにぎやかなほうが好きだ」という人にとってもソウルまで1時間とちょっとで行けるということなら、ここは確かに農村部だけれど無理のできない年齢・体調となったみなさんが毎日を過ごす環境として、ごみごみした街中に比べてどうでしょうか。街中ならいいとか悪いとかだけでは決まらないことですけれど。

繋がっていない


いよいよ季節は秋になったのでしょうか。昨日今日(1920)急に気温が下がり薄物を一枚はおるほどです。 

ここ数年季節の区切り夏の終わりとしていたのは魚沼のコスモスの丘行きと三条・楽音祭。今年はそのどちらにもいかずに終わってしまいました。何やかや結構忙しくてコスモスの丘のほうは完全に失念状態。楽音祭のほうは声をかけてもらった劇公演日に重なったというのが理由、表向きは。本当のところは、昨年秋の出来事に起因してジェンベの集まりに縁遠くなったから。 

思えば夏前のポンポンナイトも参加しませんでした。昨年みんなで参加した時は楽しかったのにねぇ。もちろんアフリカ音楽・ジェンベを捨てたわけではありません。収集してきた楽器を手放そうなどとは全く思っていません。 こちらに移り住みジエンベを楽しむ人たちと知り合う以前からワールド・ミュージック・文化等々にすでに私自身がふれていた経緯がありますので。

要するに、一年かかったけどようやく、こちらに移り住んで以降作り上げてきたジェンベを仲立ちとするところの生活サイクルを修正することができたというわけです。

 ここに至るについては「そんなつもりじゃなかったのに!」という事そして想いについて一言の弁明も許されなかったので正直なところ口惜しい悔しい存念があります。

 まあそんなのは聞かされるほうはいい迷惑でしょうし、言ったからと言って元に戻るなんてことはないだろうから最大限好い方向に行ったとしても、言ってすっきりするくらいの効用しかないでしょうけど。

 

先日観た「アオギリにたくして」にこんなシーンがありました。主人公の女性は、同じ出版社の上司・男性と部下そしてそこを超えた関係を原因に退職、二人の関係にも終止符を打った。と思ったら気づいた妊娠。「もちろんおろすんだろ」と迫る彼氏。結局のところ二人は一緒にならず、彼女一人で子供を産み育てることを選択するのですが。映画が進んだところで出てくる仕事の進み具合を聞く電話のシーンの時に彼は「すまなかった…」と。

私はこのシーンを見ていて、例へあのような内容だとしても、ボタン一つで切れてしまう電話のつながりになっていたとしても、線がつながっている。 謝る事だけの関係だったとしてもやり取りができたということをすごくうらやましくおもって見ていました。

 

伝えられる→手段がある→つながっている。つながっていると自覚できたらどれほど幸いか。

 

今離れて暮らす子どもたち。こちらのほうから連絡を絶つようなことは全くしていないけれど返答がない。 一体どうしているのか、何をしているのか何か困っていることはないかと思うけれど全く連絡がない。自分の生活ができてくれば別々に暮らすことは何ら不思議なことではない。ただ、連絡を取ることができない繋がっていると感じられないのがとてもつらい。

2014年9月20日土曜日

スコットランド独立住民投票 辺野古に見る民主主義の成熟度


注目を集めたスコットランド分離独立可否を選択する住民投票が終わりました。
投票結果について良かったかどうかについてではないのですが、私は投票日に向けての運動の進め方そして結果の受け入れかたに日本とは全然違う民主主義の成熟度を感じていました。
ニュースでの扱われ方を見ていると独立賛成派の扱われ方のほうがより大きく勢いがあり優勢だというような印象がありました。独立派のリーダー・スコットランド民族党代表の評判もよく、これはほんとに独立が選択されるかもしれないと良くも悪くもみんなが身構えていたくらいでした。国としてのイギリスの代表・首相の、強権発動ではなく呼びかけ訴えるという態度も私は正直なところ驚きました。
結果は、思いもかけない大差で独立に反対派が勝利を収めるということになったわけですが、私はこの結果の受け入れかたに驚きと言ってもいいほど日本との違いを感じていたのです。
投票結果を受けてスコットランド民族党の代表は会見で“結果を受け入れる。双方がこの結果を受け入れ力を合わせよう。”という風に話したのです。私はここに民主主義の日常生活への定着と、たとへ自分の意にかなう結果でなかったとしても制度・民意の反映としての投票結果を受け入れるという制度としての民主主義・意思決定の手段としての投票制度の定着を感じたのです。
 
翻ってわが日本の現状・到達で改めて感じたのが、昨年の特定秘密保護法、原発問題 3・11、憲法レベルの方針転換を国民にも国会にも図ることなく一内閣での解釈変更で無理押ししてしまう。そして沖縄・辺野古を巡って選挙で何度も何度も示された民意を全く顧みないで「よく説明して理解してもらう」とか「予定通り粛々と進める」を繰り返すばかりの国・行政責任者の振る舞いです。
報道によると、つい最近、沖縄返還交渉の時のアメリカ合衆国側の担当官が47年ぶりに来日したんだそうです。その人が、沖縄も返還後は日本本土同様に基地撤去を求めてくると思っていたらそのような申し出がなかったという当時のことを引き合いに出しながら、今の沖縄・辺野古の現状を視察して「日本の政府は辺野古の状態をアメリカに伝えるべきだ。」「日本政府がちゃんと伝えることをしていないからアメリカはこの現状を知らない。」と言い。さかのぼって「普天間基地返還が決まった時、同時に移転先はないと主張すべきだった…」という発言をしたのです。投票に示された民意に一切お構いなしに最初から結論ありきで事を進めている政府はいったいどこの国(国民)の代表・政府なんだ、とほんとに思います。
 
 国民のレベル以上の政府は生まれないというようだけれど、まったくもって情けない。選挙・投票によっての意思表示、その反映がなされない、制度が機能しない→手段がないということをみんなが思ってしまった後が怖くなります。
 合わせて、選挙・投票前になると必ず映像に流れる「どうせ変わらないから(投票に行かない)」なんて発言にはほんとに情けなくなります。国民の側もせっかくある選挙制度をちゃんと活用しないのはほんとにほんとにもったいないことだと思います。そう発言する人のほとんどが実際のところ何かしての末にそう考えるに至ったわけではない人だろうことが見え見えだからほんとにそう思います。

2014年9月19日金曜日

第19回ながおか映画祭 「アオギリにたくして


今年のながおか映画祭、第19(201491315)はこのところで一番力が入っていたように感じました。もちろん企画・運営にかかわる人たちは毎年一生懸命だったのは間違いのないことだったんでしょうけど巡り合わせというかタイミングもありますし、作品選定・希望と実際に持ってこれるかどうかはまた別ですからね。

 今年は10本の上映作品と関係者のトーク。合わせて、16回目となったながおかインディーズムービーコンペティション受賞作品5本の上映がありました。

 インディーズのほうは、ある意味一つのイメージを裏切らない素人っぽさを感じさせる知り合いの出演作品も特別賞をもらいました。グランプリは、もうインディーズの範疇を超えてしまった感のある規模そして俳優の演技だった「とりあえずすすめ」。作りとして画面は少し暗めの印象がありましたけれどいい出来だったと思います。

 準グランプリになるのかな「風薫」は、そのスタイル・雰囲気が受賞理由でもあったし持ち味でもあったんだけど、総評で指摘されていた“映画なのに映像での表現が弱かった”と同様のことを私も感じました。言うならば「これで察してよ」という感じでしょうか。昔の、「わからないほうが悪い」とか「これで理解しろ」なんかに比べるとだいぶ違いますけどね。

 

 さて、映画祭の上映作品。他所ですでに観ていた作品もありましたのでここで観たのは「アオギリにたくして」。

 いやこれが実に印象深かったのです。映画にする段階で脚色はあったでしょうけど、もとは実際にあったこと。原爆の惨禍にあった人々の生きざまを、311のその後を取材する中で係わるようになった女性記者の選択・生き方と合わせて描き出したものです。もちろん悲惨、悲劇的なエピソードも描かれていますが同時にその後の人間の素晴らしさ強さも描かれていました。よそならまだしも、同じ広島の中でも原爆被爆者に対する偏見と差別があったのは私の想像を超えるものだったということもよくわかりました。

映画の完成度としても、描ききれないところは全部セリフで言わせてしまうというところがほぼなく。地元エキストラ・素人の台詞の感じが少し紋切な感じがしたところがあったのは確かだけれど、ひところの独立系の作品群に比べると“映画として”の完成度は上がっていると感じました。音楽、挿入歌もよかったですよ。

鑑賞中から感じていた、こちらに強く訴えてくるもの。主人公もその周りの俳優たちの演技、そして舞台あいさつで披露されたプロデューサや制作・監督の人たちの話で、この作品を作り上げるための思い入れ“気”だったということがはっきりわかりました。

テーマがテーマだけにその意味合いを考えると不適切な感じもしますけれど、いろいろな意味で魅了された映画でした。

上映は自主上映・上映運動が主になる作品だと思いますけれど、どういう形であれ係わり続けたいと思っています。

恐るべし 高校生バンド Jazz Hornets


UP BEAT JAZZ ORCHESTRA38回 コンサート(913)に行ってきました。
毎年欠かさずおこなっている地元でのコンサート、もう38回目になったんですねぇ。演奏はアンコール曲・なじんだ曲と本編の何曲かとの落差を感じました。仕事をしながら、なかなかそろっての練習の時間が取れない社会人、それが演奏に正直に出ていたように感じました。
アンコールで披露された曲はたびたび聴いている曲で、音量も勢いも音の厚みもあってよかったと思います。やっぱり回数なんでしょうか。ただ、よく言えばのびのびとも言えるけど、同時に安心しきってというか、慣れているものだから思いっきり吹くだけになっているようなところもありました。 気を付けないと、ほっとしてしまってこうなりがちなんですよね。
 
 
当日のコンサートの特筆は、前座を務めた高校生バンド Jazz Hornets
すべてにおいてよく練習していると思いました。高校生は高校生として大変なことがいっぱいあるんだけど、社会人バンドのUP BEAT JAZZ ORCHESTRAの人たちよりは個々の時間も集まる条件もあるんだと思います。 時間があるから練習すると限ったものではありませんけど、Jazz Hornetsのメンバーはその条件を生かしていると感じさせる演奏を聴かせてくれました。個々のテクニック(手数) 、明るさ・のびのびイキイキ・瞬発力・勢い・力強さ・音の厚み、いずれもびっくりしました。 たんなる軽音楽部、高校生レベルじゃないと思いました。
と同時に感じたのが、でも一番は指揮者・指導者(この場合は顧問?)ということ。バンドとかJAZZのイメージがあるんだと思うんです。よくわかっている、イメージがちゃんとあってそこを目指して練習し演奏していたんだと思いました。
恐るべし 高校生バンド Jazz Hornets
 
当日はゲストとして、ボーカルにRENAさん、ボサ・コルディオンの田中トシユキさんが参加していました。
RENAさん、一緒に行った人の評価は「なかなかいいねぇ」。3曲歌で参加してくれたんだけど私としては、今夜の3曲だけでは何ともなぁという感じ。それというのは、バンド・舞台全体のバランス、音作りということで音響の人がもう少しうまかったらなぁと感じたところも大きかったかな。
田中さんは多彩な人ですねぇ。洒落たスタイルでいつも楽しませてくれるボサ・コルディオンの田中さん、今回はクラリネットで参加でした。ゆとり、安心安定感のある演奏を披露してくれました
 
終わりに一言。今すごい!ということとは別に、継続していることは意義のある事。新たな刺激を得てUP BEAT JAZZ ORCHESTRAの次のコンサートを楽しみにしています。

2014年9月14日日曜日

一人でも大丈夫 ではなくて 一人が好い ええーッ!


声をかけてもらってA劇団の公演(97)に出てきました。

公演を前にしばらくの間こちらを最優先にしていました。新キ兵の例会、映画もブログの更新も控えました。以前ならするもしないも選択の余地なく同時進行で疲れをためていたでしょうに。でも今はいちどにいくつも抱えて無理はすまい、いやなことはしないですからね。

ところが、文章を考えていて公演後の夜と翌月曜日寝るのがすごく遅くなってしまった結果、火曜の朝 頭・体調がすごく悪くて終わったら行こうと前々から楽しみにしていた映画の上映時間に間に合うように起き準備をし出かけるということができなかったんです。よく日もよく日もダメ。 駄目の繰り返しだからなおさら嫌悪感にさいなまれて。映画は今週いっぱいしか上映していない作品なのに。結局一週間家に引きこもってしまいました。体調が良くなかったからとはいえ、相手のない自分だけの予定だったからなおだめだったのかもしれません。

 

一週間家から出られなかったんだけど、その間は一人に“耐えられる”ではなくて一人が“好い”だったような…

「これまるで私のことじゃないの!」先日歯科医院の待合いで見た週刊誌の記事にびっくりしました。ほかにも思い当たることがいくつもありました。

臆せず話せる → 自分の言いたいことを言う 

人づきあいが下手 → 他人との関係、距離がうまくつかめない 

数・時間・言葉へのこだわりがある → 相手の言った通り・言葉の通りに受け取る  「雰囲気が悪くなる」と言われた時「そんなつもりじゃなかったのに」と思ったのも → 空気が読めない  で説明がつくし。 人の顔と名前、いつ何がとか言ったことを覚えているのも言葉へのこだわりがあるから、記憶するからと考えると納得するし。

どうしましょ