2014年9月27日土曜日

新しい時代に入ったインド映画


 先日来立て続けに「マダム・イン・ニューヨーク」「めぐり逢わせのお弁当」そしてDVDでの鑑賞ですが「スタンリーのお弁当」「きっとうまくいく」を観ました。全部インド映画、でも感じが違う。

インド映画というと、岩波ホールが発掘・日本に紹介したサタジット・レイ監督の作品のようなものもありますが、一般には歌あり踊りありの楽しい映画というイメージがすっかり定着していました。もう一つ上げるならばインターミッションが入るくらいに“時間が長い”というのが特徴かな。その分で行くとこの4本はそのイメージとはずいぶん趣の異なる作品なのです。

そんなことを思っていた矢先目にした文章に ・契約問題でトラブルがあったせいで久しくインド映画は日本で公開されなかった ・新しいスタイルの作品が出てきている そしてそれが受け入れられてきている ということ等が書かれているのを見つけて納得しました。 

“インド映画”がしばらく日本で公開されていないということには「エェッ インド映画たくさん見てるよ」 と頭の中には大きなクエスチョンマーク。でよく思い出してみると、それらは主人公はインド以外の人で製作スタッフもプロデュースも外国、でも舞台はインドという映画だったと思いつきました。
インド製の映画とインドを舞台にした映画、なるほどね。欧米の国々・スタッフによる“インド”を舞台とする映画が途切れずにあったのを勘違いしていたんですね。

  

今回私が観てずいぶん違うなと感じたところは、ないわけじゃないけど前後に関係なく突然出てくる歌や踊りは少なめか無い。荒唐無稽なストーリー展開でスーパースターが大活躍してめでたしめでたしでもなく、ちゃんと考えてある作り。上映時間も普通。何よりテーマ選定・着眼点がこれまでにはないものというところでした。普通の市井の人が主人公で、その人の家庭・心に抱えるもの・社会的な背景にまで目を向け描かれています。 

 このような多様化の流れは、中国や韓国の映画もそういうステップを経て今に至っていますよね。近代化が進んだ結果 社会が変わり社会問題が発生してきてそれらをテーマとして取り上げようという機運が生まれ、合わせて観る側も新しいスタイルの作品を認識・受け入るように変わってきたのかなぁと思います。 
 

 最後に 
 
 ・「マダム・イン・ニューヨーク」の中で次から次へと披露されるサリーの美しかったこと、特筆ものです。

・「めぐり逢わせのお弁当」 イラが作り何段にもなるお弁当に収められたお料理。

  イラの作り詰めるときの指の動き、サージャンがお皿に出し口に運ぶ指の動き、そして口。   ドキリ としました。

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