2011年7月31日日曜日

カナダのグループ コープスによる “ひつじ” を観て

国際児童青少年芸術フェスティバルでカナダのグループ  コープスによる「ひつじ」を観て来ました。(7月29日・金)

この演目、一言でいうと 羊の着ぐるみを着て仕草をまねて 見せるというもの。



着用している着ぐるみは、そのつもりであればもっと精巧にそっくりにできたと思います。
でも実際には随分デフォルメした造り。

ところがこれが、俳優の動きと相まって羊なんですよ。
もちろん目の前で動いているものは人が演じている物のはずなんだけど、頭の中にできあがった物は羊なんですよ。
その場にいた人たちの頭に浮かんだ格好はそれぞれだったかもしれません、 でも確実に羊を イメージさせましたね。
そっくりに作られた物を着て終わりじゃなくて、あえてデフォルメして作ってそこに俳優の演技を加わえて完成させるというわけです。
もちろん詰めかけた観客は驚きで歓声を上げたり破顔で喜んだり、大好評でしたね。

私も休みを取って観にいった甲斐があったと満足できました。
それというのは、観て楽しめただけでなく、感心することそうだそうだと共感することがいくつもあったから。

視野の中で、特にその端のほうで不意に動く物があると、自然な反応として思わず視線がそっちに行ってしまうもの。
会場には反応のすばらしい かわいい観客たち。
演じる俳優達の視線は、どこか一点に合わせるというよりどこにもあわせない感じ。
演じきってましたね。

特にオオカミ役の人は別フロアーの奥まった、ひつじ達を観ている人たちからは見えないところから演技にはいっていました。
実際のところ、そうしたからといって気づく人がどれだけ居るかわわかりません。だけど“気”が違うんじゃないでしょうか。演じている方も乗りが違うと思います。

そうだよなぁ と思ったのは。
一応正面はあるんですが、羊を放しておくサークルをみんなが囲んで観劇するようなスタイル。
ひつじ達もそれぞれがそれぞれの向き、場所で演じていました。
それでいいんですよ。みんなが横に並んで正面を向くだけ、お尻を向けちゃだめなんて事はないんですよ。
我が意を得たり という思いでした。

全体を通しての印象は、コンテンポラリーダンスを観ているようでした。

2011年7月29日金曜日

失ったからこそ得られるもの

この10年ほど様々なことを経験しました。様々なことを考えました。

そのおかげで今なら、どんな状態なのか、こんな時はどうしたらいいか、なにに気をつけたらいいか、がわかります。


今なら旨くやれるんじゃないかな。


ところがそれがわかるようになったのは、別れたから。
矛盾ですよね。

あのときは余裕がありませんでした。 いっぱいいっぱいでした。

失って初めてわかる。失う物があるから得る物もある。
ですね!

 思うに、頭の 知識 記憶 想い などの容量、器は決まっていて、新しいことを覚えるために、つらいことを記憶の中で少しでも楽にするために、経験を次に生かすためには失うということが必要であるということなのでしょう。

今 眼の前で道路冠水

専門家にいわせると、どの高気圧が海面温が遠くのエルニーニョがラニャーニャがといろいろ解説を聞かせてくれます。それはそれで そーかーぁー と聞かせてもらいますけど。
でもそれでどうなのか、どうしたらいいのかなんかはわかりません。

今目の前ですごいことになっています。これまでもニュースなどで短時間に局地的に大雨がふり、見る見る道路が川のようになり側溝のふたが持ち上がり噴水のように吹き出すのを見たことはありました。

でもこれほどのがこんなに短時間にというのはどうだったでしょう。
見る見る道路は泥水に覆われ、脇の家には水が流れ込み、いったん止まってしまったらアウト!とばかりに走り抜ける車の起こす大波が両脇に押し寄せていきます。

この写真だけでそのすごさを伝え切れているとは思わないけれど、その一端を見てもらえたらと思います。

1‐15‐3 遠いのか近いのか またわからない

道は店がまばらになり、その先、道に交差して車の行き交う道路が見えてきました。

道路を渡った先の道はなだらかに下っています。

道の先が下がっているのと、店がまばらになってきたおかげで、視界が開け空が大きく高くなってきました。

初めてケニアの道路を走った時の、対象物との距離がつかめない妙な感覚になります。



見通せるけど遠いぶん小さく見える、でも頭では大きい物というイメージがちゃんとある。
対象物が本当のところ遠いのか近いのか視覚的にわからない。

日本なら目標物の手前に必ず視線を遮るものが何かありますものね。

1-15-2・2 屋台の密集する 広場 ?

道の両脇に屋台がずぅっと並んでいます。
いま歩いている私のすぐ脇にも。その屋台の裏にも屋台が。
まさに密集ですね。

幅や人の動き方を見ても、ここは広場ではなく道なんでしょうけど、この先の方もずっと屋台が並んでいます。

見るに、果物や野菜のお店が多いようですが、衣類や草花、絵や本を売っている屋台もあります。

私たち一行は、改めて言われたわけではありませんけど、自然とどの屋台からも均等に離れて道の真ん中あたりを黙々と歩きます。 だれも何も話さず、言葉を交わさず。
ザックをしょっているせいか、背のあたりが少し汗ばんでいます。

2011年7月26日火曜日

ベトナム水上人形劇

 角田集落 妙光寺を会場に行われた「ベトナム水上人形劇」を観てきました。(7月24日)

 会場となった妙光寺のある角田集落は、新潟市中心部からは遠い場所。公共交通機関もJR越後線の巻駅まではともかく、その先のバスの便が非常に悪く、まさに苦労して“たどり着いた”人もいました。

 今回のベトナム水上人形劇は「2011東アジア児童青少年舞台芸術フェスティバルIN新潟」の一環企画で、受け入れは地元のまき親子劇場 西親子劇場が当たりました。

 これまでベトナムの歌舞(団)は2度見る機会に恵まれました。
まだベトナム戦争が終結する前と、まだ混乱はあるけど復興に向けてようやく歩みだした頃の2度。
 竹を使った楽器の数々、色使いも鮮やかな民族衣装、まるで歌を聴いているような言葉が印象に残っています。

 ベトナムの映画も何本か見る機会に恵まれ、いずれも印象に強く残っています。
特に「無人の野」は。
 映画のテーマはあれだけのベトナム戦争の後だったので、どうしてもそれに関する物でした。アメリカ合衆国の側からもベトナム戦争を題材にした映画はたくさん作られていますよね。
 そんな私ですがベトナム水上人形劇は初めて観ました。私のほかにもこの機会にと言う人が結構いたでしょうね。


 さて水上人形劇、ベトナムの王宮に関連して華麗なものかなと想像していましたが、実際はイメージしていたものと違いました。

 本堂前の広場に横幅より少し前後のある即席のプール(?)その三分の一より少し後ろから黒い布でテントが張られていました。境目には よしず が垂らされていて、人形はそのよしず越しに操っていました。棒とひもで操っているようでした。

 水は、操作が見えないようにと言うこともあるんでしょうか、泥水でした。何か茶色い粉を混ぜて泥水様にしているようです。
 ただ、何か臭いんです。魚の生臭さというわけではないんだけど、何か臭いんです。

 その水中・水上で時間的には短い演目が演じられました。
 3人かな4人で操っているのかなと思っていましたら、挨拶の時に5人も同じ衣装をまとった男性がでてきたので少しびっくりしました。

 アオザイ姿の女性が演目の紹介、それにまつわるベトナムの風習などの説明をしてくれたんですが。
 それによると、元々この水上人形劇はベトナムの農村の人たちの楽しみの為に昔から行われてきたものだそうです。それで、王宮文化のイメージとは違っていたんだと納得しました。
 今日の座長はまだ若いけど280年続いている使い手の家柄の7代目との由。 

 歴史、伝統を感じましたね。

1-15-2・1 こんなに近いのに 今歩いてきた道のどこから変わったの

 ホテルをウチミ方向に出てしばらく歩いたら急に人手が多くなりました。


 この場所に出たら道行く人 脇にたたずむ人で密集の度合いが突然変わったのです。

 “出た”と言いましたけど、このウチミの前からの道をただ歩いてきただけなのに。どこかを渡ったとか曲がったとかもぜんぜんないし、どこかにラインがあってそれをまたいだわけでも もちろんドアを開けたわけでもないのに。

 どこから雰囲気が変わったのか、どうだったのか。いったいなにがどうなったのかわかりません。

 こんなに近いのに、すぐなのに このごちゃごちゃ感。
ついさっきまで いた ところとは明らかに違います。

松下照美さんの講演会  次にケニアに行く時は




  松下照美さんの講演会(7月9日)に行ってきました。


ナイロビ近郊の町ティカでモヨ・チルドレン・センターを運営している人。
その活動は、映画「チョコラ」で紹介されています。



モヨ・チルドレン・センターは4つの目標を持って活動をしているそうです。

1リハビリ       ストリートチルドレン達に対して 面接 調査 家庭 親の面接 
              そして家庭へ返すor施設

2住むところを作る  子どもの家の建設 維持

3給食支援      子どもの家の子も通う地域の学校 (1食15円)

4学費支援      セカンダリースクール(日本で言うと高校に相当)

いずれも必要な活動です。


 2010年、実際にケニアに行ってみて初めてわかったことがたくさんあります。日本からどれだけ離れているのかも体感できました。

 念願だったキベラそしてマゴソスクール。
アフリカの大地、ケニアの大自然・動植物、ナイロビなどの町(街並み、人々)お店、品々。

 これが皆私にとって異文化、観るもの聴くものすべてが新しい体験 経験の獲得でしたから大きな喜びでした。(臭いに関しては、ケニアッタ空港からナイロビ市内に向かう郊外から町中にかけての道で胸を刺す排ガスの臭いというか煙というかそれだけでしたね。町や人々生活や文化からくる独特の臭いという物はわかりませんでした。)

 一回ではわからない事も、行ったから もっと深く と思ったこともたくさん。
 次に行くときは別の保護区(移動のドライブも楽しみなので)、そして時間もかけてもっと深くケニア・ナイロビの街を観てみたい。早川さんの話にでていた若者のおかれている状態、できることなら会ってみたいと考えています。

 そういう希望で言うと松下さんの関わっているグループ・運動の方がいいのかなと思って。

 実際のところ、これには危険が伴います。私服のガードとともにリリアンさんたちと共に歩いたキベラとは別の危険が伴います。

 聞いてみなくちゃわからないし、物は相談でしょうけど、モヨ・チルドレン・センターを含めて、ナイロビでももっと時間をかけて。後せっかくケニア・アフリカまで行くんですから観光もと言うスタディツアーはないものでしょうか。
 モヨだけで全部だと、私の身も心も持たないような気がするので。

2011年7月25日月曜日

内閣総理大臣の私的意見 てなに?

 菅首相の「脱原発発言」を聞いたとき、正直おおーッついに日本もかとびっくり、続いて、今のこの時にこの動きを止めてはいけないと感じました。


 3月11日の東日本大震災を起因としての福島原発事故の深刻さ、世界中に及ぼした様々な影響のことを考えると正しい選択、そして発言であることは疑う余地がありません。

 ところがすぐ後に「あれは私の個人的発言」が出てきてがっくり。こんなコメントわざわざ言うことないのに。

 確かに手続きとしては、内閣として検討を加えて総意としての政府方針としてのものでなかったようです。
 でも、国会議員で一国の首相が言ったんだから“私的発言”というのは通らないと思いますね。

 
 そう考えると何で言い直すのかなぁとすごく残念です。

ただし、このぶれで菅首相個人からはもう離れてしまいましたが、この脱原発という言葉・動きは一人で歩き出しましたね。

2011年7月24日日曜日

1‐15‐1 キベラへ向かって 今ホテルを出ます

 心なしかこれまでよりもひざしが強く気温も高いような気がします。


 まだ早いうちなのに涼やかさではなく、湿気を伴った強い日差しでムッとする朝です。




 いまホテルを出ました。

 背には、ミネラルウォーターとマゴソスクールのおみやげにと雪景色の新潟を初めとして日本各地の観光パンフ、筆記具等を入れたザック。


 右手にはレコーダー、カメラは左手指でシャッターを押せるようにたすき掛けしてガムチャを巻き付けています。
 写真撮影に関してマサイの人たちの時のような注意は直接は受けなかったけど、パンフに書いてあったし、何より私服警官のガードがつくと言うことなどから念のため。

ノルウェー連続テロ  どんな主張があろうとも暴力を手段にした時点で犯罪(者)

 今何が起こっているのでしょう。
眼の前で起こっていることでも把握しきれない出来事があるのに、このたびは日本から遠くはなられたノルウェーでの大事件。

 いったいどうなっているのでしょう。
 新聞やテレビで入ってくる情報量はこの時点になってもまだ“第一報!”という感じで限られているしよくわかりません。
 ひどさ大きさに反比例して少ないままです。それが逆に事件の大きさと問題の根深さを示しているんでしょうね。大きすぎてまだ全貌が把握できないということなんでしょうね。

 人的 物的 数字的なものは時間がたてばいずれ明らかになるでしょう。
 でも、なぜ?というのはもっと時間がかかるでしょうし、すべてが明らかになることはないかもしれません。 

 けれど、たとえどんな考え主張があろうとも 暴力で一方的に という今回のやり方は犯罪でしかありません。暴力という手段に走った時点で、たとえどんな主張があろうとも私は共感できません。

2011年7月18日月曜日

公務員攻撃 に安易に乗せられて分断されるのは思う壺


ケニア・ナイロビ郊外   マタトゥを待つ人だろうか 
乗せるために停まったドライバーから小銭を取るつもりなのか警官もたっている
ここに始まったことではありませんが、公務員給与の削減が一段と進んでいます。


 で同じ勤め人も、世(よ)論の誘導もあり国民一般世(せ)論もそれを由としている風潮があります。

 本来は、公務員の給与が高いのではなく一般の賃金が安いのが問題なのに、分断されてると思いますねぇ。



 賃金水準や社会的地位が低いままでおかれると必要に迫られてセカンドワークに走ったり、これから経済的にも社会制度的にも発展する段階の国では汚職や袖の下で小銭稼ぎをなくすことがなくせません。行政力の弱体化ひいては国のレベル低下が改善しません。


 公務員を、盲目的に優秀だなんて思ってはいません。
思うこともありますがそれはいずれまた。

なでしこジャパン 見ごたえのある試合 ありがとう



!なでしこジャパン 優勝おめでとう!!

 ほんとに 良い物を見せてもらいました。

みんなにストーリーがあって顔と名前があってどの選手もすばらしかった。見応えのあるプレー 試合ばかりでした。

一律15%節電 夏休みの課題にするには考えが足りません

新潟の妙高小学校で夏休みの課題として、8月の電気使用量を15%減らす、というのが出されたそうです。 

 15%という数字はあちこちですっかり定着しています。
でもこの場合はどうなんでしょうか。

 やってみるとわかります。
 取り組んだ当初がグンッと節電効果が出るんですよ。それまでの“ムダ”をカットできるので。でも努めれば努めるほど、継続しているほどその余地がなくなるんです。

 だからどうでしょうかねぇ。

 子どもたちの家庭もさまざまだと思います。
すでに取り組んでいた家庭、積極的だった家ほどその余地がないんです。
これまで何もしていなかったところは結果がでると思いますが、すでに取り組んでいたところは難しいでしょうねぇ。
 

 時流には乗ったかもしれないけど、先生たちによる余りに短絡的な、夏休みの課題だと思いますね。15%に届かなかったらどう対応するつもりでいるんでしょうねぇ。

 基数がちがうんですから、これまでの取り組み方がさまざまなんですから、それで一律に課題を出すとはねぇ。

“蚊取り線香” で思い出すこと

 薫浄防虫効果もあるので通年で使っているけど、蚊(他にもいろいろ)の出てくるこの時期には焚く頻度が増えます。


 一般に目にする大手メーカーの市販品は効くのかもしれないけどすごく刺激が強くて胸が痛くなります。

 それに比べると、このフェアトレードの菊花線香は刺激が少なくて、もちろん焚いているのはわかるけど胸が痛くなることもありませんね。





 蚊取りというといつも思い出すことがあります。




 昔ともに暮らした人が蚊取りを焚くととにかく激しく怒ったものです。初めからではなかったんでいきなり責めだしたときは驚いてしまいました。

 喘息の既往があったので調子が悪かったのかなぁと思いました。



 

 知り合う前たばこを吸っていたことは知っていました。

でもたばこが体によくないこと、もちろん喘息にも良くないことを聞いてくれて、なにより私がたばこを好まないのでやめていたんです。いや、そのはずだったんです。

 でも3回たばことライターを見つけてしまったんです。

 発ガン性の事はもちろん、喘息なんだからと言ったら
「たばこを吸うのはあなたのせいよ」

 なにも言えませんでした。

2011年7月14日木曜日

1‐14‐34 ホテルでくつろいで気づいた違い

敷地を大きく取り囲む動物除けの棘アカシアで作られた柵
用を足すときは左奥の家から離れてこの辺りまでも
 土間でシュラフにくるまれて休んだエナイボルク村も含めて、これまでの日程で朝まで一睡もできずにほとほと困ったということはありませんでした。


 でも今こうしてホテルのベッド(それも二つあるベッドのうちの大きい方)に横になると、思わず手・足・背中の伸びをしてしまいます。
大きく伸びをしながら、ごく自然に深く息を吸い 少し止め それから長く息を吐きます。

 やっぱり違うんですよ。



 そして、こうして今ホテルでくつろいでいて、なによりありがたく、違いを感じるのは。 
 夜中、それも雨中にスコップと懐中電灯を持って用を足しにいく必要がないということです。

 夕方聞こえてきたハイエナの遠吠え。そのハイエナがどこか遠くからこちらを見ているのではないかとすごく感覚を研ぎすましながら用を足す必要がないということです。

 これは本当に違います。

 感謝

1-14-33 テレビで流れていたもの

 テレビ番組は、アナウンサー キャスター リポーター等によるニュース番組、音楽ランキング・MV・PV、宗教伝道番組、ドラマが流れていました。
 番組で印象に残ったのは、宗教の伝道番組がたびたび流れていたこと。日本でももちろん宗教番組はあるけど、こんなに頻繁に、それもいい時間帯には放映されませんね。
 あとは、ニュースの中でということになりますが“金環食”ですね。 


 宣伝はザインとサファリコムの携帯電話、タイヤメーカーのものが多い印象。
 その他は、飲み物だったり、子ども関連 台所周り 洗剤等の宣伝が目に付きました。

2011年7月12日火曜日

春蝉 というのがいるんですね







 7月1日朝 この日このときを待っていたかのように蝉が鳴き出しました。


 春、連休のころから、朝家を出るとき蝉の声が聞こえないかと耳を澄ましていました。
 今年は遅いなぁ、去年はどうだったかなぁ、なんて思いながら。

 それというのも5月の連休の頃に蝉の鳴き声を聞いたことがあるからなのです。
 といっても一度だけ。たった一度だけなんですけどね。
 そう1991年か92年、たぶん91年の5月連休の頃のことなんです。

 それまでずうっと町中に居を構えていて1990年の7月に初めてこんなに自然に恵まれた地に越して来たんです。
だから初めての春 初めての連休だったわけです。

 びっくりしましたよう。
 暖かくなってきたとはいえまだ5月。こっちはこんなに早くから蝉が鳴くの?! と思ったものです。

 でも5月に蝉の声が聞こえてきたのはこの年だけ。
その後、毎年春がくるたび 5月がくるたび、蝉が鳴いていないか朝家をでるとき耳を澄ましました。

 で、この春も5月の連休が近づくにつれ、今年はどうかなぁと思いながら朝家を出ていました。
 結果は先ほど書いたように7月。それも何か意味があるかのように一日の朝にぴたりとタイミングを合わせて鳴き始めたのです。

 これはこれで感謝すべき事だけど、もう20年も前にたった一度だけの事だったので、あれは何か聞き間違いだったのかなぁ、と少し弱気になってしまいました。
 間違いないと思ったんだけどなぁ。

 そしたらつい先日、どの番組だったか、地元の人とアナウンサーのやり取りの中に“春ゼミ”という言葉がでてきたんです。

 ほかのことをしているときにその言葉だけがぱッと耳に飛び込んできたんで、どの地域のことなのか、つまり私の住む緯度のあたりにも生息する蝉なのかどうなのかまで聞いたわけではないのですが、これだ!と思いましたねぇ。

 アメリカに20年に一度大発生する 20年蝉 がいますけど、20年前私が聞いた“春”の蝉はどういうサイクルで地上にでてくるのかなぁ。

2011年7月10日日曜日

1‐14‐32 お店の青年とのやり取り

 サモサを買うときお店の青年に何か聞かれました。


 私としてはやり取りとして答えたつもりだったけど、お互いの言いたいこと聞きたいことが正確には伝わらなかったようでこの青年は隣にいた女性店員と苦笑いしているように見えました。ちょっと悔しい。

 話の内容は、今買ったサモサをすぐ食べるのかどうか、もしそうなら温めてあげる、と言ったんだと思ったんだけど。

 サモサやパイは一つづつ茶色い袋に入れてくれました。
油で揚げているんだから当然かもしれないけど、袋に染み出すすごい油染み。

 食感は少しパサパサした感じ。飲み込むのが少し大変なときがありました。


 ビールはライトな感じ。
 このビール。ビールはビールであって改めて特別なものではないのだけれど、身体にしみて広がって気持ちがよかった。
 濃いとか旨いとか以前で、おいしかった。

1‐14‐31 ウチミで買ったもの

 夕食用にパイとサモサを買いました。
 ナロクで一度口にしてなじみがあったので臆することなく買ったもののこのサモサ、ナロクで食べたものと名前と形状は同様なんだけど、全体の大きさもなにより中の具の量が全く別物。
 ここまで見事に違ってくれると あれは何だったんだ!! ともう笑いのレベルに。

 チーズやハム類も見てみましたが「食べてみたい!」「これは・・・!」と思う“ここにしかない”という物がなかったし、ナイフもないので止めました。

 飲み物はビールを何種類かとウイスキーのポケット瓶を買いました。

 ミネラルウォーターに関しては、エナイボルク村で不自由なく甘いミルクティーが飲めたし、サバンナ地帯とはいえ雨も降ったし(本当はこの時期としては珍しいくらい)高原ということもあって過ごしやすくてガブガブ水を飲む必要もなかったし、なにより雨水をためる天水タンクのおかげで生活用水に回す必要もなかったので、持っていった6リットルがあまって帰ってきたので買いませんでした。 

 お土産になるような物がないかと日用雑貨コーナーもさっと下見を。
 エナイボルク村で“おいしい!”と思った塩もありましたよ。 500g10ケニアシリング。日本だといくらぐらいでしたかねぇ。

 周りを見回せば外国の人(この場合本当は私が外国の人なんですが)ばかりの夕時のにぎわいのウチミ店内、ゆっくりさせてもらいました。

アイデンティティとしての文化(音楽)

  前回はコンサートの前日だったので一回休んだから久しぶりのサックスのレッスン。
 講師から、今度クラスの組み替えをしますとの話がありました。
 講師の説明だと、私以外は皆女性。4人のクラスになるそうです。
 3人はまだ初めて間もないのでレッスン内容が、音のだし方やロングトーンが多くなる。だから○○さんには物足りないかもしれないが・・・と。

 確かに私はサックスを手にしてからはもう長いけど。腕前のほうはねぇ、なのでOKです。
 基礎連は大事だし。他の人への教え方を見聞きするのもすごくプラスになるので。





 そんなやりとりの中で、(大切なものはたくさんありますが)リズム・メロディ・ハーモニーの中ではリズムが一番大事かな。 リズム(感)がちゃんとしていれば、極端な話音は一つでも演奏ができる と言う持論に話が飛んで。

 そうなんです。アドリブの時つい手数に走ってしまいがちだけど、それだけじゃないと思うんですよね。
 テクニックとして速弾きはもちろんあるけどそれだけじゃないと思うんですよね。



 何年も前、ある番組の中でジャマイカの若者たちだったかなぁ、彼らが「自分たちのリズムを作りたい!」と一生懸命音楽に取り組んでいるのが紹介されていました。
 これまでもたくさんのリズムが生まれ、これからも生まれるんでしょう。
 でも、限られた音階でどうしてこんなに異なる曲ができるのだろう 生まれるのだろう と思っていいるので、曲以上に新しいリズムを創るというのは大変なことだと思います。

 それから“自分達の”と言うことで、民族としてのアイデンティティとしての“音”は、 音階 そして、使う楽器の違いによる音色でしょうか。

 昔々小椋佳さんが日本の琵琶を使って話していました。
 ギターなどのフレットの、目印というイメージより遙かに腰高の、琵琶で言うところの「柱(じゅう)と柱の間の弦の押し込み方で無限の音が生み出される」と話しているのを聴きました


 音に続いてタイミング。

“スコラ 坂本龍一 音楽の学校”の中でこんな話がありました。

 YMOの時に、自分たちのアイデンティティ 自分たちの音 音楽を作るため研究をした。
 一音を10分割して音の出始めを少しずつ動かして試してみた。
 フェイクさせると言うことですかね。
番組で実際に音を出して聞かせてくれました。
 そしたら、同じ一つの音なんですよ!でも違うんですよ!
 あッこれは沖縄の音だ、これは○○だ!ッて。 

 言い方は適切ではないかもしれないけど、西洋音階に無理に当てはめると音が抜けている地域・民族があります。
 私の知らないものがほかにたくさんあるのは当然のこととして、私の知っているものは、どの音を使うかの違いはあるにしても5音階ですね。
 このタイミング、私はなまり とたとえるとすごくイメージがわきます。
 民族によって使う音が違い、その音の連なりを聴くと違うもんだなぁと感じ、そこにこの音のタイミングを加味するとああこれこれという感じ。
 自分達の国・民族の音・文化を持つってこういうことかな。

 ちなみに、私が到達しているところでの日本のものって(左右)強弱のない・抑揚のない2拍子、何時来たのか始まったのか終わったのかが解らないようにして始まり終わるというのが理想でもあるもののようです。(篠笛奏者鯉沼さん))
 ダンッと始まったり、どこかにアクセントをつけたりというのとは多分に異なるようです。

 おもしろいんですよ。もうずいぶん昔のことになりますけど、畳の大広間で音楽に合わせて自由に歩いてみてくださいといわれて大人の男性ばかり10何人かが輪になって歩いたことがあります。まあ音楽に合わせて踏み出す足の片方に力を入れたり、弾んでみたりフエイクをかけたりですよね。
 私は、ふつうのお米の苗を植えるときのイメージでぐっと腰を下ろして右手左手で苗を植えるイメージで歩いてみました。実際に試してもらうとすぐ解りますけど、そうすると右足が出た時は右手が左足が出たときは左手が自然に出るんですよ。
 見ている人たちは笑っている人が多かったけど、私の中では一つの確信が生まれていました。
 さすがだなと思ったのは、そのときリードしてくれていた外部の講師と何十年も自分のスタイルを保っているフォークシンガーの人は笑うでもなく何か感じていたようだったこと

 話は飛びますが。今何も考えずにふつうに歩くと、右足がでたときは左手 左足がでたときは右手がでますけど。この歩き方は明治の時代になって法律で決めたものなんですよ。
 今はどうなのかなぁ。私が小さいときの運動会では、走るとき手と足がそろってしまう子がいて。みんなも沸いたし本人も恥ずかしそうにしたもんだけど。日本人のDNAとしてはこちらの方が正しかったんですよね。

 

*5月末のやりとりに触発されて

一生のくびき

 何かすっきりしない物言いでしたね。
“理由が理由” だとか“ 異動の仕方 がどう”とか。

 元々は悪い人ではないし、本人も自覚はなかったと思います。でもあれはパワハラですよ。
 だから異動前までいた所 同じ人がいる所へ「支援に行け」という話をされた時からいろいろ思い出し 考えてしまったのです。
 それで ようやく落ち着いてきたかなという日常の生活の調子が狂っちゃった というわけです。



 
 でも今回のことで改めて感じました。
私も証さんに同じような接し方をしていたと思うんです。
苦しめていただろうなと。
 でもそのときはわかりませんでした。気づいていないからやめられない。
 生活していくときの約束ごとやマナーのこと。これ、一度言い出すときりがなくなるときもあると思うんですよね。言ったら言った 言わなきゃ言わないで すむようなときもあると思うんですよね。

 今回私自身がたぶん同じような立場だったんだと思うんですよね。
 それで初めてわかったんだと思うんです。 

 それから。
 もう10年来気になってしかたのないことがあります。

  小学校卒業記念作品のカップの萎縮した自画像と、その数年前に家族で行った益子で証さんが絵付けしたお皿の絵のこと。

 お皿の絵(写真)は、力強くノビノビして勢いがあってすごくいいでしょ。
 それに比べてカップの萎縮した絵はいったいどうしたのか、とても同じ人間とは思えないのです。

 私がそうさせたんだと思いました。カップを最初に見たとき身体がカッと熱くなりました。ゾワッと鳥肌が立ちました。
 これは何とかしなければと解りました。
 でも、その後何の手を打つ間もなく離ればなれになったままです。

 これも私の一生の くびき ですね。

 ここ何年かのこと。我が身に降りかかったパワハラのことは、このことを改めて考えさせ、思い知らせるために神が用意してくれたことと思っています。 感謝

2011年7月6日水曜日

尊重から初めて始まるフェアな関係

 いやぁーこんなに早く辞めるとは。


 責任は負わなければだめだろうと思っていましたが、まさかこんなに早く辞任するとはね、強まる一方の国民の正論の前にどうしようもなくなったんでしょうね

 私もテレビのニュースで視ましたよ!
 ひどい態度ですね。普通は人に対してあんなきつい失礼な言い方はしませんね。上下でしか人間同士の関係が捉えられない人権意識のかけた、人を尊重することを知らない人なんでしょうね。
 松本っていう大臣はいったい何の大臣だったんでしょうかね。復興担当でしょ。

 今被災地・現場はそれこそ一刻も早い復興のために大忙し、必死なんだから、そこへわざわざ手を止めにいってるんだから、それだけを担当してればいい人とあれもこれも全部やっている人とどちらが大変なのかすぐわかるでしょ!

 任命した菅総理大臣も原発事故の時にヘリコプターで乗り付けて事故処理の手を止めさせてますから同じですね。似たもの同士で任命した人事だったわけです。

 それにしても今の日本、何時から どうして こうなったんでしょう。

 いないわけじゃないけどあんな口調・態度の人はまれですよね。九州出身の人も知っているけどあんなじゃないですね。だから九州の人全員にとって「九州の人間」発言はいい迷惑ですね。

 追伸  長幼の序を言うんだったら自分がもっとお年寄りの為に動きなさい。
              今の政治はいじめてばっかりじゃないの。