前回はコンサートの前日だったので一回休んだから久しぶりのサックスのレッスン。
講師から、今度クラスの組み替えをしますとの話がありました。
講師の説明だと、私以外は皆女性。4人のクラスになるそうです。
3人はまだ初めて間もないのでレッスン内容が、音のだし方やロングトーンが多くなる。だから○○さんには物足りないかもしれないが・・・と。
確かに私はサックスを手にしてからはもう長いけど。腕前のほうはねぇ、なのでOKです。
基礎連は大事だし。他の人への教え方を見聞きするのもすごくプラスになるので。
そんなやりとりの中で、(大切なものはたくさんありますが)リズム・メロディ・ハーモニーの中ではリズムが一番大事かな。 リズム(感)がちゃんとしていれば、極端な話音は一つでも演奏ができる と言う持論に話が飛んで。
そうなんです。アドリブの時つい手数に走ってしまいがちだけど、それだけじゃないと思うんですよね。
テクニックとして速弾きはもちろんあるけどそれだけじゃないと思うんですよね。
♪
何年も前、ある番組の中でジャマイカの若者たちだったかなぁ、彼らが「自分たちのリズムを作りたい!」と一生懸命音楽に取り組んでいるのが紹介されていました。
これまでもたくさんのリズムが生まれ、これからも生まれるんでしょう。
でも、限られた音階でどうしてこんなに異なる曲ができるのだろう 生まれるのだろう と思っていいるので、曲以上に新しいリズムを創るというのは大変なことだと思います。
それから“自分達の”と言うことで、民族としてのアイデンティティとしての“音”は、 音階 そして、使う楽器の違いによる音色でしょうか。
昔々小椋佳さんが日本の琵琶を使って話していました。
ギターなどのフレットの、目印というイメージより遙かに腰高の、琵琶で言うところの「柱(じゅう)と柱の間の弦の押し込み方で無限の音が生み出される」と話しているのを聴きました
音に続いてタイミング。
“スコラ 坂本龍一 音楽の学校”の中でこんな話がありました。
YMOの時に、自分たちのアイデンティティ 自分たちの音 音楽を作るため研究をした。
一音を10分割して音の出始めを少しずつ動かして試してみた。
フェイクさせると言うことですかね。
番組で実際に音を出して聞かせてくれました。
そしたら、同じ一つの音なんですよ!でも違うんですよ!
あッこれは沖縄の音だ、これは○○だ!ッて。
言い方は適切ではないかもしれないけど、西洋音階に無理に当てはめると音が抜けている地域・民族があります。
私の知らないものがほかにたくさんあるのは当然のこととして、私の知っているものは、どの音を使うかの違いはあるにしても5音階ですね。
このタイミング、私はなまり とたとえるとすごくイメージがわきます。
民族によって使う音が違い、その音の連なりを聴くと違うもんだなぁと感じ、そこにこの音のタイミングを加味するとああこれこれという感じ。
自分達の国・民族の音・文化を持つってこういうことかな。
ちなみに、私が到達しているところでの日本のものって(左右)強弱のない・抑揚のない2拍子、何時来たのか始まったのか終わったのかが解らないようにして始まり終わるというのが理想でもあるもののようです。(篠笛奏者鯉沼さん))
ダンッと始まったり、どこかにアクセントをつけたりというのとは多分に異なるようです。
おもしろいんですよ。もうずいぶん昔のことになりますけど、畳の大広間で音楽に合わせて自由に歩いてみてくださいといわれて大人の男性ばかり10何人かが輪になって歩いたことがあります。まあ音楽に合わせて踏み出す足の片方に力を入れたり、弾んでみたりフエイクをかけたりですよね。
私は、ふつうのお米の苗を植えるときのイメージでぐっと腰を下ろして右手左手で苗を植えるイメージで歩いてみました。実際に試してもらうとすぐ解りますけど、そうすると右足が出た時は右手が左足が出たときは左手が自然に出るんですよ。
見ている人たちは笑っている人が多かったけど、私の中では一つの確信が生まれていました。
さすがだなと思ったのは、そのときリードしてくれていた外部の講師と何十年も自分のスタイルを保っているフォークシンガーの人は笑うでもなく何か感じていたようだったこと
話は飛びますが。今何も考えずにふつうに歩くと、右足がでたときは左手 左足がでたときは右手がでますけど。この歩き方は明治の時代になって法律で決めたものなんですよ。
今はどうなのかなぁ。私が小さいときの運動会では、走るとき手と足がそろってしまう子がいて。みんなも沸いたし本人も恥ずかしそうにしたもんだけど。日本人のDNAとしてはこちらの方が正しかったんですよね。
*5月末のやりとりに触発されて
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