2011年7月10日日曜日

一生のくびき

 何かすっきりしない物言いでしたね。
“理由が理由” だとか“ 異動の仕方 がどう”とか。

 元々は悪い人ではないし、本人も自覚はなかったと思います。でもあれはパワハラですよ。
 だから異動前までいた所 同じ人がいる所へ「支援に行け」という話をされた時からいろいろ思い出し 考えてしまったのです。
 それで ようやく落ち着いてきたかなという日常の生活の調子が狂っちゃった というわけです。



 
 でも今回のことで改めて感じました。
私も証さんに同じような接し方をしていたと思うんです。
苦しめていただろうなと。
 でもそのときはわかりませんでした。気づいていないからやめられない。
 生活していくときの約束ごとやマナーのこと。これ、一度言い出すときりがなくなるときもあると思うんですよね。言ったら言った 言わなきゃ言わないで すむようなときもあると思うんですよね。

 今回私自身がたぶん同じような立場だったんだと思うんですよね。
 それで初めてわかったんだと思うんです。 

 それから。
 もう10年来気になってしかたのないことがあります。

  小学校卒業記念作品のカップの萎縮した自画像と、その数年前に家族で行った益子で証さんが絵付けしたお皿の絵のこと。

 お皿の絵(写真)は、力強くノビノビして勢いがあってすごくいいでしょ。
 それに比べてカップの萎縮した絵はいったいどうしたのか、とても同じ人間とは思えないのです。

 私がそうさせたんだと思いました。カップを最初に見たとき身体がカッと熱くなりました。ゾワッと鳥肌が立ちました。
 これは何とかしなければと解りました。
 でも、その後何の手を打つ間もなく離ればなれになったままです。

 これも私の一生の くびき ですね。

 ここ何年かのこと。我が身に降りかかったパワハラのことは、このことを改めて考えさせ、思い知らせるために神が用意してくれたことと思っています。 感謝

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