第3回になる、下田ひめさゆり森林公園を会場に行われた三条楽音祭(2011・9・4・日)にでてきました。
いつものことながら私いろいろありまして(全部ではありませんがブログに乗せたようなことが)ゼッコウチョゥ!!と言うわけではなかったんですけど、それ故に参加して太鼓をおもいっきり叩きたかったので。
楽音祭開始は昼の12時。
お昼前には着きたいな!と思ってでかけました。
そしたら、あとわずかという所で誘導係の男性がいて「この先はもういっぱいだからここに車を止めて後は歩いてくれ」と。すでに脇には車がたくさん停まっています、 でも確か公園入り口の手前もいい道だった覚えがあったので、一度は太鼓を担いで歩いてみたものの考え直して再び車で会場を目指すことにしました。
先はやっぱり広くなっています。渋滞もなく車も通れます。
細い道の区間に車を停めさせたものだから向かう車、返す車がすれ違えず渋滞していたんですね。
ここの混雑この混乱は誘導が悪いせいでしたね。
先がどうなっているのかを正しく伝え、駐車させるにもこの細いところには停めさせないようにすれば何とはないことでしたね。
会場となった ひめさゆり森林公園。ステージは駐車場からスロープや階段を使って上ります。段々畑様に4段ほど催しのできる平らなスペースがあって(ありの巣のようにその左右にもスペースあり)そこにワークやライブのステージ、管理棟トイレ食堂、特設の屋台フリーマーケットのお店などが並んでいました。
会場を歩く人たちは、普段の生活はどうしているのかなそのときの服装は?と思うような突き抜けた人もいましたけど、全体としてはトリップした人はあまり多くはありません。多くは十分今風だけど、ここで見るとまともというか地味?という人が多く見受けられました。
それよりも印象に強かったのは、子どもが大勢いるということ。それも、以外とこの楽音祭のイメージ通りの格好の人たちの方が子どもをつれていると言うことでした。
さてJUNJUNフレンズで担当したアフリカンドラム/ジェンベ・ワークの参加者は私たちも入れて15人くらい。
初めてジェンベを叩くという方もいましたが“ヤンカディ/マクル”を最後まで通すところまで行きました。
もちろん完成ではありませんが、まこんなもんでしょ。
ワークの後会場を見て回りました。
フリーマーケットは、店(お店を出している人の服装、感じ)と店の品ぞろえが少し違います。レゲエとかアフリカその他民族系のものネイチャー系のものが多かったかな。そのほか、まともというかこの会場にあるのが似合わないようなお店もありました。(地元のメーカーの3足1,000円の靴下屋さんとか。何でもありと考えればこれも貴重ですが。)
ステージではライブが行われていました。
大とりの後の“おまけ”の私たち以外に今回はレゲエやラテンの5グループが出演です。
私が行ったときはちょうどセネガルのラティールシーさんが加わったアフリカンミュージックグループのライブ中でした。
このグループの音、演奏は普段私たちが演奏しているものともちょっと違う、ギターなんかはリンガラみたいに響くときもあるけどそのものズバリでもない。いうならばこのグループの音楽でしたね。
この演奏に合わせてステージ前では、太鼓を通じて知り合いのジローさんが、ビールの500ミリリットルカンを持ちながら踊りまくっていました。
ほかにも踊ってる人が大勢いたけど勢いが違います。ブンブン踊るジローさんの周りだけ少しスペースが空いてました。“あくよなぁ”と納得の勢い。
話しの最中も身体が揺れてるんです。アルコールを飲んでブンブン踊れば酔うわけです。
出番は一番最後なのでまだまだ時間はタップリ。写真を撮ったり、仲間と話したり、アブを払っていました。その甲斐もなく刺されてしまいましたが。(一カ所だけだったことは不幸中の幸いと感謝すべきでしょうが)
さて、そんなこんなしてすごしていよいよ演奏の時がきました。
事前の話では大勢メンバーがそろいそうな話でしたので楽しみにしていました。
ふたを開けたら、くま きん とん女性三人組を筆頭にいつものJUNJUNの仲間、地元のジェンベ奏者、それにさっきワークに参加した人までいて久しぶりのジェンベ“隊”。
楽しみにしていた“セッツション”は私の勘違いでありませんでした。
セッションというのは、セッションするというのではなくて、私たちの前に出演したグループの名前でした。残念。
さて私、セッションの時のイメージ、準備してたんですよ。
この夏、インド舞踊のラフールさん エピゾさんのライブの時のラウラウさんたちの汗が、きれいだなと思うくらい見事、すばらしいと思っていたので私もこの夜脱いでみました。だけど肌の色は白いし、身体付きはポチャポチャ。汗もかくことはかいたんだけどもう真夏の空気ではないんですね、思いと実際はずいぶん違いました。
でも楽しいひとときでした。
2011年の私の夏が終わりました