2013年10月29日火曜日

自分のことは棚に上げて タラレバ でT F K a のこと K2/3   一人で生きる人

 
Kさん。

職場で「あなたは一人で生きられる」と言われていると言っていました。

でも、振り返って私に言わせれば“一人で生きる人”だと思います。

 

Kさんはみんなが談笑している時でも一人 口を開かない人でした。 

そんなKさんを見て私は“口を開かないのは人怖じしてしまって人前・仲間内でも話せない”人なのかなと思ってしまいました。

それで、同じことに関心を持つ者同士、仲間内なんだからもっと気楽に話せるんだと気づかせようと思いました。

 

無理に話さなければいけなということはまったくありません。

 

でもその後、Kさんは“話せない”人なのではなくて“話さない”人なんだと言うことがだんだん分かってきたんです。

相手との関係、その場・やり取りの中で話すというのではなく、自分で話したいと思うかどうかが規範にあると言うことがわかってきたんです。

 

Kさん自身「これでいい」と思っているんじゃないのかな。

私が思ったようなこと“何とかみんなともっと話せるようになりたい”とKさん自身が思っていなければなんら問題が生じていないというわけです。

 

 

それでもわかりません。

私が勝手に的外れなことを言っているのかもしれません。

本人も、考えるところがあるのか自己啓発セミナーに行ったりしていたようでしたから。

2013年10月27日日曜日

1-16-60 ドバイへ向かう機内


エンジンの音が穏やかになりました。

決して音量的に大きい音ではないと思うんだけど何か他所ことをしていても誰もが気付く“ポーンッ”と言う音。

巡航飛行に移ったようです。

車ほどには詳しくありませんが、使用機材はエアバス社の330でしょうか。そのエコノミークラス席ですから、込み合っている電車やバスの車内といった雰囲気です。

 

あちらこちらでシートベルトを外して人が立ち上がります。生活感を感じるざわめきも一斉に機内を満たします。

でも比べてみると、ドバイからナイロビに来る時と比べるとあっさりした感じもします。

あの時は今日とは曜日や出発時間なんかの違いもあるのかもしれないけれど、一番は年末年始の休暇明けでナイロビに帰るという人が多かったとかなのかなぁ。

今と逆、ナイロビへ向かう機内は、たまたま私の席から目に入った人達がそうだったのかもしれないけど、インド系の家族ずれが大勢目に入ったしずいぶん賑やかでした。

 

サービスしてくれるエミレーツ航空の人たちは相変わらず陽気。好感が持てます。

 

 

 注 到着した翌朝、ジャシーでムガネさんを待つけれどやってこない。こんなことは珍しいとNガイドが言っていました。

後で聞いたら、休み開けの今日、学校や仕事に行く人で道がすごくこんでいたんだとのことでした。

逆に言うと昨日までは休みだったと言うこと!?といろいろ考え併せてみたというわけです。

2013年10月26日土曜日

NPT 核拡散防止条約 への賛同を喜びます。


実際に核兵器による惨禍を体験している日本の政府だからこそ、提案もし率先して他の国々を引っ張るべきだったのだから、多分に遅きに失したとはいえNPT 核拡散防止条約への賛同を喜びます。

核兵器“核の使用”は人道に反する事であり罪なのですから。

 

本心は別のところにありいやいやなのは見え見えだとしても。

 

一人一人は微力かもしれないけれど決して無力ではなく、力を合わせさえすれば世界を変えていくんだと言うことが今回も証明されたと思っています。

この春の不参加表明に対する様々な反応が日本政府の対応を変えたんですから。

 

2013年10月23日水曜日

1-16-59  夜に向かって飛び立った感じ


機に搭乗する前の最後のセキュリティチェックも無事終え、離陸を前にザワザワする機内で席に着きました。

今度隣になったのはエチオピアの人でした。

この人、目を閉じていたかと思うと急に起きて周りをキョロキョロ、落ち着かない感じ。

 

飛行機の出発、離陸はあっけないものでした。

まだ ざわつき も残る飛行機は誘導路から滑走路に出て、ちょっと止まってまだ機体の揺れが収まらないうちに駆け出しました。

最大推力のエンジン、タイヤのロードノイズ、ガタタタッという音で話し声なんか聞き取れません。背中がぐっと座席に押し付けられ目線が上がりました。とッ、急に静かに。          

最後のタイヤも地を離れたら音が無くなりました。(正確にはエンジンは変わらず一生懸命な音を立ててはいるんですけど)

 

スイッチが切り替わり、少し気持ちも変わりました。

 

飛行機。

ほんとはドバイに向かってなんだけど、夜に向かって飛び立った感じ。

2013年10月20日日曜日

自分のことは棚に上げて タラレバ でT F K a のこと K1/3 どんな人? 見た感じ


 
 


どんな人かって、小柄な人はもちろんいるわけだし痩せた人も大勢います。

だけど見た目、体つきは摂食障害でもあるのかなと心配になるほど華奢な感じ。

小柄はいいとして、()肉がないんですよ。

例えば、目・眼球の周り、瞼のところも目の下のクマができるあたりにも全く肉・脂肪がなく、骨格に沿って丸くえぐってあるようにくっきり。 それは、コンパスでぐるっと円を書いたような感じ。

余計なお世話!だろうけど、大丈夫なのかと心配になるほど。

 

この身体つきの印象からも、はたして仕事自体しているのかな?と言う感じさえしました。 

服装の感じ、人の年齢がぴたりとわかるわけではないけれどこの歳恰好で何を生業にしている人か、仕事のことはわかりませんでした。

どういう日々の生活を送っている人かわかりませんでした。

勝手にですけど、体調のいい時にだけパートタイムか何かで働いているのかなぁ、とさえ思っていました。

 

それにしても、この歳恰好でこの服装!?という印象。

服装の趣味 傾向も極端と言うか、よく言えば徹底しているというか、ジーパンとか黒基調のスラックスと着込んだTシャツ一枚きり。靴も黒の運動靴。

服装は、ほんとに黒が多い。 とにかく黒づくめ。 

最初のころは髪も真っ黒、梳かすことさえもしていないのかとおもうほどバサバサストレート。 

これだけ見ても、どんな生活、育ち方をしてきたの、 何をしてる人なのと不思議に思ってしまうほどでした。

 

わざわざ改まって話す義務はないけれど、周りで人がいろいろ話している時でも加わるでも口を開くでもありませんでした。

 

注 後々わかってしまえば、誰でもが変われない専門職。車で通勤、職場では着替えるからこんなでも済んでいたのかとわかりました。

大島博光記念館玄関で感じた“既視感”  反省してます2/2

 
ちょっと視点を変えます。

雲雀舎が人里離れた所というのは先に書きましたが、大島博光記念館も広域合併で今は長野市とは言えもとは松代のそれもまた市街地 繁華街からは離れている道路沿いに立地しています。

だから迎える側は、賑わう街中でたまたま通りかかり入って来たという人ではなく、ここを目指し目的を持ってわざわざやってくる人というのがわかるのです。

相手のことがわかる。自分に害を及ぼす相手ではないとわかるというのはすごく安心すると思います。

街中で 不特定多数 いつどこで どんな人かわからないのとは状況が違うのです。

これって大きいと思いますよ。

 

以前傾聴の講習を受けた時。

たとえば被災地に支援に行って初めて会う人と打ち解けようとしても。こちらは相手の状況、どういういきさつでここに居る人なのかわかっているけど、相手から見ればこちらは知らない人。そんな人にいきなり近寄られても身構えてしまうばかり。

何でも話してと言っても話せるものではありません、と聞きました。

 

人はそもそも、周りの人との人間関係で安心できる距離があるんだそうです。

そして人間関係が構築されてくる、好意を感じたりするとその距離が変わってくるんだそうです。

基本は腕の長さだったかなぁ。それが、ひたしくなれば短く変化するものなんだそうです。

 

雲雀舎も記念館の人達も、私の方から見れば、今日・今初めてかほんとに幾度かあっただけの人という意識があるからでしょうか。 

そんな感じでいるもんだから、いきなり近づいてきて グッと踏み込まれ 手を握られたようで ドキリとしてしまうのでしょうか。

それに、着いたばかりでまだ落ち着かないタイミングで声をかけてくるもんだからつい身構えてしまいます。

せっかく声をかけてくれたのに 無愛想な対応をしてるんだろうなぁと反省しています。

ごめんなさい

今度はもっとのんびりさせてもらいます

また寄せてくださいね

大島博光記念館玄関で感じた“既視感”  反省してます1/2

 
長野市 松代の大島博光記念館で今月末までの会期で行われている「チリのキルト=アルピジェラに出会う」に行ってきました。

このアルピジェラ展についてはいろいろな思いがあるので改めてまとめるとして、今日はこちら“落ち着く距離”

 

 町中心部から離れているからこその思いのほか広い前庭・駐車場に車を止め、12段上がっているアルピジェラ展が開催されている大島博光記念館敷地に足を踏み入れた途端。玄関先で鉢を動かしていた人にまず声をかけられ、玄関で靴を脱ぎかけた時にまた別の人から「はっこー(ひたしい人は博光・ひろみつ をはっこーさんと呼びます)をご覧になりに来たんですか?」と声をかけられました。

 私が「チリのアルピジェラを観に来たんです」と答えると「なら、ちょうどいま館長が説明をしていますから急いでどうぞ」と言ってくれる。

 いずれも好意で言ってくれているというのはその表情 声の調子 雰囲気ではっきり感じました。

ただ私の方は、着いたばかりでまだ落ち着かないタイミングで声をかけられたもんだから、いきなりぐっと近づいてきてグッと踏み込まれ手を握られたようでドキリとして身構えてしまいました。

せっかく声をかけてくれたのにきっと無愛想な対応をしているんだろうなぁと思います。

 

 一息ついて少し落ち着いたときにハッと気づきました。この感じ、ちょうどこのやり取り前にも見たことがある?!と。

 

 この既視感、わかりましたよ。

 実は、広域合併で長岡市になったとは言うものの、海岸線に沿って柏崎を目指す国道と、新潟県第2の内陸部中核都市の長岡から柏崎の海を目指す国道を、峠経由でつなぐ山道。その峠道からさらに山の方にはいったところの集落にある雲雀舎に行った時にこれと全く同じやり取りがあったんです。 

これはどういうことなんだろう、何か共通してる?と考えてみました。

 

この人たちは精神的に“豊かな生活”ゆったりとした生活リズムを持っている人たちだと思いました。(経済的にも不自然なほどにたくさんはないと思うけど、足りるだけはある人ではないかと思いますけど。)

同じ業種? 文化関連、この場合は様々な創作作品の展示館。

そして規模も。営利を目的とした企業やお店とは違う。美術館としても決して大きくはない。 どちらも小さいと言えば小さい“美術館”

集う人たちがどちらもとても人懐っこい。

雲雀舎は幾度か鑑賞に行ったけれど、何時も声をかけてくれ気遣ってくれる。

とてもひたしく。 

 雲雀舎を主催している御夫婦そして集う人達、大島博光記念館の運営にかかわる人達。 この人たちのこの“距離感”はどう。

2013年10月13日日曜日

今度は水俣(病)ですか!


 

  この人の現状認識はいったいどうなっているんでしょう。

 

この度の“水俣条約”に関して阿部首相は「~水銀による被害と、その克服を経た我々だからこそ、世界から水銀の被害をなくすため先頭に立って力を尽くす責任がある~」というメッセージを送りました。

全く持って立派な話だと思います。その通りなら。

 

2の水俣病と言われた新潟水俣病に多少なりとも縁があるから良くわかるけど、未だに克服なんかされてませんよ。

いったいどこを見ての、どういう認識なんでしょうね。

 

“水俣病”

対処療法的な治療はしているものの根本的な治療は未だありません。

公害病として発症原因企業が明確にあって補償の問題があるので、当人がその病気なのかどうかとは別次元で“認定”されたかどうかで大きな違いがあります。

かと言って、認定されたからといって直るものでもないし、そもそも認定自体が作意的に遠ざけられてきている現状があります。

 

私が尊敬する人の一人の白川健一教授が生前言っていた"遅発性水俣病”低濃度 晩発性 といったものにはわざと目を背けているとしか思えません。

 

となってくるとこう言うことなのかなと思えてきます。

ほんとに、病む人の苦しみがなくなり、すべての認定・保証がなされていなくとも「克服した」と “宣言すること自体に” 意味があるのかなと。

 

この構図は、先の民主党政権  野田首相の福島第1原発「収束」宣言と同じですね。

未だなんにも終わっていないのに収束したと宣言する。

ほんとに収束 克服 したかじゃなくて、そう“宣言するとこと事態”が政治的に必要で、しただけという事なんでしょうね。

そう思います。

そうでも思わないと、なんでこんな事を言うのかが理解できません。

2013年10月10日木曜日

ダブルスタンダード


 


 スタンダードという言葉自体は悪い言葉じゃないし、基準 規範を持つと言うことでいうと大切なことではないかとさえ思います。


 でもどうなんだろう。
 “ダブル”スタンダードとなると。

 基準・スタンダードが2つあると言うこと?

 よくない言葉で「二枚舌」という言葉があるけれどそういうこと? 

 相手、時と場によって使い分けているということ?

 どういうことなんだろう。

 

 ダブルスタンダード

「日本の常識 世界の非常識 」なんて言い方も聴いたことがあるけど、事によっては “文化”の相違ということもあるので軽々に決めつけることはできないと思います。

 「二枚舌」ってどういうものかを思い浮かべてもらう例で、つい最近ピッタリのものがありました。

先のIOC総会での阿部首相の福島第一原発汚染水「~完全にコントロールされている~」発言は、時と場所 相手によって言い分けているいう良い例と思います。

 ほんとに、コントロールされている 問題はなにもない、と思っているのでしようか。

 だとしたら、事の深刻さも現状認識もおかしいし、知りながらの発言ならなお罪は大きいといえます。

 ただし、人は聴きたいように聴き見たいように見ることができる・しますから安倍首相はほんとにそう思っているのかもしれません。真実とは別に。

 

 立場上、オリンピック招致のためあの場ではあのようにしか発言できなかったという解釈もあります。

だけど、そうだとしたら大臣(首相)とか政治家(屋)というのはつらいなぁと私は思います。

 

あと同時に思うのが会場で聴いていた人たちのこと。
安倍首相の言葉を本当にその通りと思っているのでしょうか。

実は知っているけど“儀式として安倍首相があのように言いさえすればこちらも追及することはしないで歓迎する”だったんじゃないかなぁ。

駆け引き 政治、真実かどうか 正しいかどうかとは別の次元で物事が動いていくというケースだったんじゃないかなぁ。

依然渦中にある当事者とは別のところで物事が動いていくケースだったんじゃないかなぁ。

 

 
もう一つ

安倍首相の「いつでも門戸は開いている」という言い方。

かたや、靖国や従軍慰安婦(姓奴隷)の問題、軍拡をどんどん進めながらなので、まるで右手で握手しながら左手ではたいているようなものじゃないのかなぁ。

矛盾していると思います。