2013年10月20日日曜日

大島博光記念館玄関で感じた“既視感”  反省してます2/2

 
ちょっと視点を変えます。

雲雀舎が人里離れた所というのは先に書きましたが、大島博光記念館も広域合併で今は長野市とは言えもとは松代のそれもまた市街地 繁華街からは離れている道路沿いに立地しています。

だから迎える側は、賑わう街中でたまたま通りかかり入って来たという人ではなく、ここを目指し目的を持ってわざわざやってくる人というのがわかるのです。

相手のことがわかる。自分に害を及ぼす相手ではないとわかるというのはすごく安心すると思います。

街中で 不特定多数 いつどこで どんな人かわからないのとは状況が違うのです。

これって大きいと思いますよ。

 

以前傾聴の講習を受けた時。

たとえば被災地に支援に行って初めて会う人と打ち解けようとしても。こちらは相手の状況、どういういきさつでここに居る人なのかわかっているけど、相手から見ればこちらは知らない人。そんな人にいきなり近寄られても身構えてしまうばかり。

何でも話してと言っても話せるものではありません、と聞きました。

 

人はそもそも、周りの人との人間関係で安心できる距離があるんだそうです。

そして人間関係が構築されてくる、好意を感じたりするとその距離が変わってくるんだそうです。

基本は腕の長さだったかなぁ。それが、ひたしくなれば短く変化するものなんだそうです。

 

雲雀舎も記念館の人達も、私の方から見れば、今日・今初めてかほんとに幾度かあっただけの人という意識があるからでしょうか。 

そんな感じでいるもんだから、いきなり近づいてきて グッと踏み込まれ 手を握られたようで ドキリとしてしまうのでしょうか。

それに、着いたばかりでまだ落ち着かないタイミングで声をかけてくるもんだからつい身構えてしまいます。

せっかく声をかけてくれたのに 無愛想な対応をしてるんだろうなぁと反省しています。

ごめんなさい

今度はもっとのんびりさせてもらいます

また寄せてくださいね

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