2013年10月10日木曜日

ダブルスタンダード


 


 スタンダードという言葉自体は悪い言葉じゃないし、基準 規範を持つと言うことでいうと大切なことではないかとさえ思います。


 でもどうなんだろう。
 “ダブル”スタンダードとなると。

 基準・スタンダードが2つあると言うこと?

 よくない言葉で「二枚舌」という言葉があるけれどそういうこと? 

 相手、時と場によって使い分けているということ?

 どういうことなんだろう。

 

 ダブルスタンダード

「日本の常識 世界の非常識 」なんて言い方も聴いたことがあるけど、事によっては “文化”の相違ということもあるので軽々に決めつけることはできないと思います。

 「二枚舌」ってどういうものかを思い浮かべてもらう例で、つい最近ピッタリのものがありました。

先のIOC総会での阿部首相の福島第一原発汚染水「~完全にコントロールされている~」発言は、時と場所 相手によって言い分けているいう良い例と思います。

 ほんとに、コントロールされている 問題はなにもない、と思っているのでしようか。

 だとしたら、事の深刻さも現状認識もおかしいし、知りながらの発言ならなお罪は大きいといえます。

 ただし、人は聴きたいように聴き見たいように見ることができる・しますから安倍首相はほんとにそう思っているのかもしれません。真実とは別に。

 

 立場上、オリンピック招致のためあの場ではあのようにしか発言できなかったという解釈もあります。

だけど、そうだとしたら大臣(首相)とか政治家(屋)というのはつらいなぁと私は思います。

 

あと同時に思うのが会場で聴いていた人たちのこと。
安倍首相の言葉を本当にその通りと思っているのでしょうか。

実は知っているけど“儀式として安倍首相があのように言いさえすればこちらも追及することはしないで歓迎する”だったんじゃないかなぁ。

駆け引き 政治、真実かどうか 正しいかどうかとは別の次元で物事が動いていくというケースだったんじゃないかなぁ。

依然渦中にある当事者とは別のところで物事が動いていくケースだったんじゃないかなぁ。

 

 
もう一つ

安倍首相の「いつでも門戸は開いている」という言い方。

かたや、靖国や従軍慰安婦(姓奴隷)の問題、軍拡をどんどん進めながらなので、まるで右手で握手しながら左手ではたいているようなものじゃないのかなぁ。

矛盾していると思います。

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