人は聞きたいように聞き 見たいように見る
というのは前にも話しました。
野田首相の「大きな音だね」発言は瞬く間にみんなの知るところになってしまいましたね。
みんなは本とに心配なんですよ。その心配する人・声はこれまでにない人たちの間にまでこれまでにない広がりをみています。
この思い・声を聴いてくれない、そして、私たちの思い・声と関係なく物事が決められているというもどかしさをみんなが増々感じています。
その声をねぇ。音としか取れないなんて。
でも野田首相には本当に“音”としか聞こえなかったんだと私は思っています。
人間にはこんな“能力”があるんです。
聞こえるものにも見えるものにもフォーカスできる能力を持っているんですよね。
ちょっとした集音機や望遠レンズなんかよりはるかに性能のいい。
でこれは、関心のある聴きたいことは大きくして、それ以外を抑え切り捨てる能力ともなるのです。
野田首相は本とに嫌だったんでしょうね。本とに聞きたくなかったんでしょうね。
だからその能力を使って絞り込み捨てたんでしょうね。
それプラス、聞く気がない その気がないと音が届いていても響いていても言葉として意味が分からないということがあるので。
野田首相は聞いた認識がないかもしれません。
人は生まれた時、たとえば耳に障害などがあって音が聞こえないで育つと=周りの会話・言葉を聞くことなく育つと、後で補聴器などで聴力を得て“音”が聞こえるようになっても、その音の一つ一つがどういう意味を持っているのかの経験・学習ができていないもんだから“言葉として”理解・認識できないということはあります。
でもこの度の野田首相のはこれとは別ですね。
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