2012年9月30日日曜日

“コスモスの丘行” すべてを 共有したいと願ってのことだったんだなぁ

  大型の台風17号が各地に大きな被害をもたらしながら今夜にも私の住む地域に接近するようです。


 今月いっぱい(9月)が見ごろと言う魚沼の丘陵に咲くコスモス。先週の雨に続いて今日はこの台風で行くことが叶いませんでした。

 峠道を車で2時間近くかかる丘に咲くコスモス。
 朝早くに出かければ台風の雨風が来る前までにどうかなと最後まで迷ったけれど、こちらの地域より早く天候が崩れる位置にあるので無理をしないことにしました。

 高く抜ける秋の青空に映えるコスモスのイメージが頭にあったものだから。



 代わりに昨日家に来てくれた知人が薦めてくれた○○○公園に行ってきました。
 ここは前から話には聞いていたんだけど近すぎてパスしていた処。
この度は、それもいいかなと思い出かけてみました。
 “コスモス”と言うことなら同じ(?)かなと思って。

 

 公演の駐車場は車でいっぱい。
 ここは駐車場も広いし、新潟中心部から来ることを思えば遠からず近すぎず、ちょうどいい距離なんでしょうね、車も人もいっぱいでした

 女性同士のグループ、親子、孫とおじいさんおばあさん、カップル。うらやましくも、いい時も悪い時も共に乗り越えてきた夫婦連れ。(日本でもこんなふうに夫婦で出歩くようになったんだなぁと、少し認識を新たにしました。) 

 そして、小さな子供を真ん中にした家族連れ。
 いつも一緒にいるとその大切さ以上に大変さが気になる時もあるので、せかしたりちょっと大きい声で接したり… 

 今日ここに来ている人たちは、日常ではないけど特別遠くに出かけてでもない。ただ一緒にいて、まだ満足に走れないような幼い子どもとふざけて追いかけっこをしたり遊具で遊んだり花の間を歩いたり、手をつないだり、シートを敷いてお昼を食べたり。
 決して、周到に準備をして今日に臨んだという一大イベントではありません。ただそれだけ。
 子どもはお父さんやお母さんが好きだから一緒に居ればそれで嬉しいんだ。遠くまで出かけたから、いいものを食べたからじゃないんだなぁと改めて感じました。



 これでもいいんだよなぁ。

 昔々、私はいろんな体験をさせよう いろんな所へ一緒に行こうと一生懸命でした。
でも“しなければしなければ”と考えすぎていたと今ならわかります。疲れましたよ。

  

 車のところに戻ったら車がずいぶん入れ替わっていました。バーベキュウをやっている人たち以外はそんなに長居しないのかな。

 私は3時間ほどもいたのでしょうか。ゆっくりしたと思いました。

 エンジンを始動させ走り出しながら思いました。

 コスモスは見た。ただ、コスモスたちの咲き方、面としての広がり、空とのつながり方が此処は此処。 魚沼の丘陵と共に作り上げるコスモスたちの咲き方とは違っていたなと思いました。
 あのシュチエーション、出かける、その道中も含めてが私の今回にとって意味があったんだなぁと思いました。

 そのすべてを  共有したいと願ってのことだったんだなぁと自覚しました。



 今にも強い風と雨が覆いかかってきそうです。
 帰ってきてから少し前までは、何を楽しそうにやり取りしてるのかなぁと聞いてみたいほど楽しそうにカエルたちがにぎやかに鳴いていたのに今はそれも聞こえません。代わりに聞こえてくるのは木の枝を揺らして聞こえてくる風のざわめき。空も一段と暗くなってきました。いつ強い風と雨が来てもおかしくない気配です。   

 来るぞ来るぞ! と言う今のこの気配、弱いなぁ。   9・30

2012年9月26日水曜日

私の理解の範疇を超えている不思議なこと

 今の私にはまだその理由も意味もなにもわからない。

 でもいっぱい考えている いっぱい思っている。

 自分の、思い 考えていること 頭にあることを表し、伝えるむずかしさを強く感じながら、考えてまとめて書いて伝えようとしている。





 考えようによっては、人が毎日々々を生きるということは、同時に、生きながら死に向かっていく少しづつ死んでいく、と言うことかもしれない。 

 比べれば瞬く間にもならない長さだけれど、自分の感覚としてはいろんなことがあった。

 私としてはずいぶん長く生きてきたとも思う。

 その日々の中では “不条理” としか思えないことも多々ある。



 今、目の前の人といる奇跡。昔一緒にいた人と、今いない現実。  

 どこかでしていた今につながる選択。 

 選び取らなかった別の選択肢。







 人一人一人その人だけの時間が流れ、人一人一人死に向かってその人だけの生活が続く。

 それがある時“偶然という名の奇跡”が、私の生活・人生と別の人の生活・人生を近づける。

 けれど、一時並んで走った人生、理由はわからないけれどまた別々の方向に進んでいく。

 確かに接点はあった。 けれどクロスしてまた別々の方向に進んでいく。  

    
 この人こそ 「私の半分 私の探していた人じゃなかったのか」なぜまた別々の方向に進んでいくのか。

 しかし それもまた何か意味があったのだろう。

 人が、自分では偶然だと思っても、実は事には皆意味があり時があり、そしてつながっている。 関連がある。



 私が 塞翁が馬 という言葉を知っていたことを感謝する


 これから先のことはわからない。けれど、今はこんな。


 良い時ばかりじゃないけど、すべてを甘受 清濁併せ呑み いっぱい見て感じて考えて行く所もやることもたくさんあって、助けられている。



 自分の人生に責任を取る。

 人生の最後に帳尻を合わせる。

 終わりよければすべてよし。   結果オーライよ。





 なんだかわからないけど、ついこの前からこんなことが頭に有ったので吐き出してみました。

2012年9月23日日曜日

k この出会いこそ “私の半分の人” “ともに時を重ねていく人”!?


私は “出会い” “縁”をすごく大切にしています。

 私がこの世に誕生するずっと前から用意されていた出会いと縁。



 “私の半分の人” “ともに時を重ねていく人”

 けれど、これがそうだとはっきり告げられたうえでのことではないので、この出会いがそうなのかどうか。

 そうであってほしいと願いながらも本当のところはこの私にはわかりません。



 この出会いがより強い結びつきに進展する出会いなのかどうか、どうしたらわかるだろうか、私なりに考えてみました。

 行く先々で何回も何回も出会うかどうか(同じ土俵)。反応の頻度や言動に何か感じるものがあるかどうか(共振共鳴)。

 たとえば、何かやっている時出会って、これだけでもこれはこれで縁は縁なんだけど、一つの事一回の出会いではまだ(偶然)・たまたまかもしれないのかと思うのです。

 逆に言うと、何度も何度もいろんなところで遭遇するとしたら何か特別な縁がある・人かもしれないと思うのです。

 一つの“偶然”も奇跡を構成する一つですけどね。



 縁があり、いろんなシュチエーションで何度も何度も、そして様々な所で出会う。

その繰り返しの中で気づき始め関心を持つ。 そしてエイヤッ!と一歩踏み出す。

 行動のきっかけは前にも書いた“勘違いから始まって思いこみと妄想”かなぁ。

 結果が知らされているわけじゃないし、実は相手はなんとも思わず行動しているのかもしれないけど、何かの勘違いから始まって自分に都合のいい方にいい方にとって、良くも悪くも深みにはまる速度が加速していくんですよね。

2012年9月22日土曜日

言うべきは 「原発ゼロなら 産業界に打撃」 じゃないでしょ



「鉄鋼、石油化学など主要製造業の業界団体トップから20日、原発稼働をゼロにした場合の負担増を懸念する発言が相次いだ。政府が2030年代の原発稼働ゼロを目指す政策に修正の余地を残したのを機に、見直しムードを高めたいとの思いがにじむ。 以下割愛 」                          

 日経新聞 2012年9月21日(金曜日)    
                    10面



 私はこの囲み記事の中見出し「原発ゼロなら 産業界に打撃」に目を奪われました。

どこをどうしたらこんなひどい 脅し が言えるのでしょうか。

 広島・長崎 ビキニ、そしてほんの昨年の福島をどう受け止めているのでしょうか。



 大見出として「鉄鋼2万人減」 「石化500億円負担増」 も書かれていました。

 すでにそれ以上の首切りしてるし、国外に工場を移転してるじゃない。

500億円の負担増なんて言いながら内部留保という名のもうけは増える一方じゃない。

首切りと賃下げがそれだけ熾烈と言うことですね。

 本業を伸ばすことをしないで、こんなリストラ一辺倒の縮小では早々に行き詰まるのはわかっているだろうに。

 何おかいわんや !! ですよ。



 人間としての見識を疑います。

 それに加えて、各企業・企業団体の社長・会長としての発言と言うことを考えると、社会の中で責任を果たしていないのはもちろんの事、それ以前の社会性の認識が全くないことにびっくり。呆れ果ててしまいます。

 本来なら「大企業・企業団体の代表を務めるほどの人だからさすがですねぇ」と個人としても企業・社会人としても私たちの規範になってもおかしくないはずの人たちだったのにねぇ。



 最初に戻るけど、私に言わせれば ・原発ゼロなら産業界に打撃 はこの場合
                       ・原発事故なら日本に打撃 ! 
                                          と言うべきですよ。

2012年9月17日月曜日

文化の違いが空港の賑いの違いにも


免税店の多さも違うけど、こんな催しも

 仁川(インチョン)空港は賑っていました。


 比べれば改めてドバイの空港は大きかったんだなぁ と感じますけど、こちらのインチョン空港も新潟空港とは全然違います。

 インチョンは急速に存在感を増している“国際ハブ空港”。

新潟は確かに国際便も飛んでるけどなかなかねぇ。

 便数、面積、ターミナルビル、すべてにおいて規模がそもそも違うけど、それ以前に華やかさがないと思います。

 新潟空港に来たくて来たんじゃなくて、自分の乗る飛行機がたまたまここからだったから来た。

 特にすることも見る処もないし飛行機が飛び立つのを待つ間だけいる、ということでしょうか。



 でもまぁ、インチョンは国の首都ソウルの空港、新潟は地方空港にあたるわけだから同列で比べることに無理があるわけですけど。

 比較するなら、東京の羽田空港そして成田空港となるんでしょうけど、そこと比べても何か違いを感じるんです。

 その違いは広さ・規模以前の、もしかしたら“広場”と言う文化の違いにあるのかと思いました。

スキヤキ   南砺の町はどんな町? 産業は?

  合間に会場の周りを歩いてみました。

 そもそも役場があるあたり、商店街などの繁華街とは違うようですが、それにしてもこんなに近くに田んぼや畑があるなんて。

 春先じゃないし今の稲の具合からすると必要だから流しているわけじゃないと思うんだけど、ゴウゴウとすごい水音です。

 水の豊かな町なのかな!?



 夏前。学外研修で来た学生さんと話していたら富山出身と言うので「スキヤキに行くんだよ!」と話したら全然知りませんでした。

 「西と東ではあまり行き来がないんです。」と言っていました。
 新潟県は海岸線が長くて上越と下越(中越も)だと物理的に行き来が制約を受けるというのは確かにあるんだけど四角にまとまっている所なのになぁと思っていました。

 先週のワークにすごくいい体格の男性が初めて参加してくれました。
 終わってから聞いたら「富山から来ました」と。

 これまで福島(会津)や山形からという人はいたけど富山かぁ。よく来たなぁと思いながら、「西と東では行き来がないってホント?」と聞いてみたら「呉東と呉西と言って山を境にして確かに行き来がないんですよ。」と教えてくれました。

 往々にしてある話だけど、“スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド” 他所では有名なのに地元ではあんまりと言うことなんでしょうか。

 ちなみに、この人はスキヤキに行っていたんですって。
知り合いがボディペイントの店を出していたのでそこに居ました、と。

 在りました在りました。それなりに人もいたようだけどあの中に居たのかぁ。

2012年9月16日日曜日

スキヤキ  メッケモノ “バッキバ”

 パレードの時間が近づいて来て、会場外の道路に人が集まり始めました。


 どんどん人が増えていきます。



 この人たち、この感じも写真に撮っておきます。


 少し先まで行って位置取り。
コンクリートの四角い縁石や、アーチ状の縁石の上に乗りカメラを構えます。

 来ました来ました。

 地元伝統の福野屋台行燈の大きな山車を先頭に、子どもたちのスチールバンドを乗せた大型トラック、スカウトバンドが続きます。

 子どもたちを乗せたトラックの周りにはお母さんやお父さんたちなのでしょう。携帯のカメラやビデオカメラを構える人たちがいっぱいです。



 この雰囲気。集落揚げて小学校の運動会を楽しむあの感じに通じると思いました。

 そこへ聞こえてきたすごく力強い太鼓の音。アゴーゴーもなっています。違うような気もするけどサンバ? シェケレもいい感じで音・リズムを刻んでいます。

 見えてきたメンバーはみんなすごく楽しそう。身体全体でバチを持つ手を高く上げ思いっきり叩いています。

 ホイッスルでみんなをリードする男性、Tシャツが汗でびっしょりです。

 演奏自体もすごくいいけど、とにかくみんな楽しそう!

 乗りもいいし、何より音の歯切れ良さ、勢いが全然違います。



 さっきの子どもたちのスチールバンドはなんか勢いがないというか、もっと思いっきり楽しくはじければいいのにという感じがしたけど、こちらは全然違う。

 バッキバ 初めて聞く名前、そして音・演奏だったけど、すっかりファンになってしまいました。

このメンバーもステージに出るの? 楽しみだなぁー。という感じ。

 他に、さすがチンドンフェスティバルの有る富山ですねぇ、3人からなるチンドン屋さん。地元中学の吹奏楽部が続きます。

 この チンドン屋さんのグループは、このパレードこの並び方では持ち味が殺されてしまって少しかわいそうでした。



 パレードの最後まで見たところで、小走りでさっきのバッキバを追いかけます。



 バッキバがこのパレードの中の白眉でしたね。いやすごいすごい。

 この暑い中だから顔も赤くなってるし汗もかいてるけどみんなすごく楽しそう。つられてこちらまでハッピーになってきます。

 他のグループとは色合いといい服装の感じが違います。プロ!?という感じともちょっと違う感じだけどほかのパレード参加のグループとは明らかに違います。

 これまで全然知らなかったグループだけどこれはめっけもののグループでした。

スキヤキ  今夜はここに泊まります。久しぶりの生ビールが沁みます。

 ホテルの部屋で荷解きをして、さっそくシャワーを浴びてリラックスさせてもらいました。


 ここへ来たとき道路は濡れていました。実際ザーッと雨がふったりもしました。

 でも長ぶりしないし、空は結構明るいので夜に備えて少し横になりました。



 ・・・



 短い時間だったけど横になって休んだおかげで体はずいぶん楽になりました。
良い選択だったようです。



 パレードも決行と決まり、ルートや会場内の配置、野外・テントのパフォーマンス会場、出店を見て回りました。

 軽くおなかを満たしておこうと屋台でナンケバブ、そして今夜は泊るのでビールを一杯。
こんな風にして飲むのは久しぶりだなぁ。沁みます。

 ナンケバブはもう少しパリッとしていた方が、イメージというかおいしいと思えたかなぁ。
 ソース(味)のせいか肉もナンも少しグッチャリした感じ。まずいわけではないんだけどなぁ。

 もう一杯生ビールを。

 さっきは黒、今度はスキヤキ特製のクリアーな水色っぽいアルコール飲料もあったけど迷いながら普通の生ビールにしました。
 
 スキヤキ特製というところでどうしょうかなと迷ったけど、飲みに来たわけじゃないしコンサート中のトイレのことを考えると飲みすぎないように、なにより飲みに来たわけじゃないですからね。

 そういう事情を考えても飲みたい!と思わせるほどでもなかったので。

スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド  南砺市目指して

  北陸自動車道砺波インター手前から雨が降り出しました。


 少し前から、対向車線の車がワイパーを動かしながら走ってくるのでこの先は雨が降っているんだなぁと思っていましたが、残念ながらあたってしまったようです。

 “残念ながら”というのは、スキヤキでは屋内でのコンサートのほかに野外の催し、特に南砺市・福野駅から今夜のコンサート会場フローラルパークまでのパレードが予定されているからなのです。

 雨が降ると、もちろんほかの楽器にとってもいいことはないけれど、革を張っている太鼓はどうしようもありませんからね。



 砺波からは一般道でスキヤキの行われる南砺市を目指します。

 途中のSAでも、砺波インター事務所でもネクスコの発行する“ハイウエイウオーカー”西版(地図)を入手することができなかったので、南砺に向かう一般道は不安もありましたがウエッブサイトで見たアクセスの記憶を頼りに走り出しました。

 走り出し当初は運転しながら“スキヤキ”と南砺の文字を探して目はあちらこちら。
しばらく走ってようやく南砺の文字を見つけた時は正直ホッとしましたね。



 南砺市は道もゆったり大きな店舗も道路わきに並んでいます。でも今一つ賑わいが感じられないかなぁ。見れば閉鎖された店舗も見受けられます。
 地方都市というと、今はどこもこんな感じかなあ。



 さすがにここまで来ると“スキヤキ”の文字があちこちに。
道路脇にはスキヤキの駐車場表示、歩道に連なる街灯にはスキヤキの旗がかかっています。

 野外コンサート、明日のコンサート会場のあるヘリオスは思ったより楽に見つかりました。

 今夜の宿はこのヘリオスから1分。すぐ近くと聞いていたのでとにかく回ってみます。

 ありました有りました。

 ただ、建物の前の駐車スペースは軽自動車なら3台入れるかなぁというくらいのスペース。狭い感じ。それに今は後ろに車が迫っていたので無理をしません。一度通り過ごしてからもう一度戻ってくることにしました。

 でもそのおかげで、さっきは気づかなかった指定駐車場を見つけることができました。何が幸いするかわかりませんね。

 こちらの方が台数も広さも余裕がありました。何より交差点から離れている分車間が空くので助かりました。

 初めての街、道だから気をつけなくっちゃね。



 南砺市に入ってから多少ぐるぐる回ってしまったけど、それを含めて家からここまで約3時間半。距離は270km。

 楽々というわけではないけれど覚悟していた割には短い時間でここまで来ることができました。

 300TEは、今風の車のデザインと並べるとトップがずいぶん高くて、パッと見どちらかというとずんぐりした感じかな。

 想像を裏切るソフトな乗り心地、DS(シトロエン)がむっくりと身を持ち上げて走り出すようなイメージかなぁ。

 頭上の広さとこの乗車感。ゆったりした感じでここまで走ってくることができました。

2012年9月13日木曜日

1-15-67・68  ナイロビ最後の夜


 “だいたい何時ころ”(何時にではない!)と迎えを頼んでおいた先ほどの白いカローラがやって来て、エチオピア料理のお店を後にします。




 気温や風の変化、自分の目でこれくらい暗くなったから今何時ころという私の皮膚感覚と、時計の示す時間との関係がケニア・ナイロビと日本とでは違うんでしょうね。

 相変わらず、私の感覚としての“時間”と時計上の時間の刻み方が同じような感じがしません。



 帰りの道は渋滞状態。

 泥で汚れた車、思わずカメラのシャッターを押してしまう個性豊かな“表情”をした車がいっぱいです。

 車間が少しでも空いていればまず鼻先を突き出して車列に入ろうとする車が多いのは変わりません。

 こんな道路状態 運転状況だけれど、ロータリーの真ん中の台の上に展示(!?)されていた事故車両以外は一台も事故車両を目にしてこなかったけれど、ついに事故現場に遭遇。

 事故車は、ボデイがボコッと凹みボンネットも大きく上に口を開け、エンジンルーム ラジエーターの裏側 奥の方までのぞけます。

 脇から強引に合流しようとして事故を起こしてしまったのでしょうか。
乗っていた人は大したことがないといいのですが。



 油分でフロントウインドウが汚れているのでしょうか。

 前に連なる車のテールランプがずうっと先の方まで赤い光跡を描いています。

 ホテルまではもうどれくらいでしょうか…

 さっきより、みんな物静か。



 こうしてナイロビ最後の夜が過ぎていきます。

F 一回同席してしまえばあとは何でもないんだけど


 久しぶりにジェンベの練習に行ってきました。




 Fさんが来るかなどうかな、もし来たらどうしょうかな、と少し怖いもの見たさの感じで向かいました。

 まぁ、一回同席してしまえばあとは何でもないんだけど、長い間全然会ってないし正直緊張。



 一応台詞をシュミレーションしておきますか。

「いやぁ久しぶり。出てこれるようになってよかったね。」辺り!?

 これ本音。

 まぁこれ以上にもこれ以下にも、いまさら言うことはありませんが。

 車を運転しながら、表情も含めて台詞の言い方を練習しておきますか。


・・・・・・・・・


 結局来ませんでした。

がっくり というか、気が抜けた というか。

また次もかぁ

2012年9月12日水曜日

辺野古の浜  何の変哲もないテントなんだけど



 話しに聞いていた座り込みのテントは、小学校や中学校の運動会などでも普通に目にする何の変哲もないテント。


 天候が荒れた時、雨が吹き込んだりしないようにまき上げたり下げたりできる生地が後ろだけでなく前と左右にもつけられているのが違うと言えば違うくらいです。



 もう8年も9年も続いている座り込みがこの環境で、そして特別なこともないテントで行われていたとは。


 
 でも現実とはこんなものかもしれません。

 見るからにという頑丈なテントなら続くというものではなくて、何の変哲もないテントでもみんなの思いがここまで続けさせているんだと改めて確信しました。

 テントが続いているんではなくて、入れ代わり立ち代わり途切れることなく常に誰かが座り続けているから続いているということなんですよ。
 仕組みとしての国がダメになっても、一人一人はあきらめも負けもしていないということですね。

辺野古の浜  座り込みのテントは海岸に




 みんなが座り込みを続けているテントは、遠浅とは言え海岸線の眼前にありました。

 今は潮が引いている状態ですけど、満ちてきたときはどんな絵になるのでしょうか。


 ほんの今さっきまですごい雨が降っていたので護岸・堤防が濡れています。

雨上がりの辺野古の浜に到着

 今では3000日を超えた座り込み。


 平和を願うみんなが力を合わせることによっていまだに海の埋め立ても基地の拡張も食い止めている名護市 辺野古の座り込み。



 
沖縄の雨はザーッと降る、まさに南国的なイメージを裏切らない降り方。そして大粒で温かい雨です。

 昨年のこのツアーは3日間とも晴天だったとのこと。
 誰かいるのかなぁ、雨男雨女。 梅雨だから降って当然なんでしょうけど、




 感謝すべきは長降りしないこと。

 ということは、気温や道路の熱を下げるほど降り続けないということ。

 だから、雨が上がった後は蒸してムッとする暑さ。日差しも ぎらぎら です。
到着した辺野古の浜はまさにそうでした。

 座り込みは晴れたら晴れたで降ったら降ったで、そして蒸し暑さで一段と大変でしょう。 もともと楽なことではありませんが。

2012年9月11日火曜日

1-15-66 エチオピアコーヒーを点ててくれた小柄なエチオピア女性

 


 この小柄なエチオピア女性の顔立ちはケニアの人とは明らかに違っています。



 “エチオピアコーヒー”と言っても、こちらで飲むそれは本当にエチオピア人が入れているとは限らないそうなので、その点でもいい経験をさせてもらいました。



 







  エチオピアの人が入れれば自動的においしいエチオピアコーヒーになるわけではないと解っていますが。

1-15-65 2/2  “乳香” 聖書に出てくる3つの捧げもの

 

 と、突然白煙が。


 幾片かの炭の入れられた小皿に、小さなスプーンで別の小皿の何かをすくい、そしてかけたんです。

 上がる白煙と共に、ローズマリーに何かほかの物を混ぜた感じで、コクがあってちょっと甘い香りが。

 半透明の飴色をしたこの欠片 “乳香”だそうです。



 席にこのセットを置いて行ってくれたので、私も同じようにやってみます。

 これが聖書に出てくる“黄金”“没薬”“乳香”の乳香なんですね。

 確かにとてもいい香りがします。

 聖書に出てくる“東方の3博士の3つの捧げもの”の一つに入っているのに納得。

1-15-65 1/2  “乳香” 聖書に出てくる3つの捧げもの







先ほど別棟でコーヒーを点てていた女性が、エチオピアコーヒーを私たちの席まで運んできてくれました。

1-15-64 こちらの建物は




 こちらの建物 室内は、調度品や席の感じ 談笑している観光客だろうグループの人たちの服装・雰囲気も、外の席とは印象が違います。

 金額的にも違うのかな。

2012年9月9日日曜日

辺野古  オジーの願い

  みんなが説明を聞いている間に私は堤防の上からテントの遠景をおさめ。続いて背景もと思ってテントの裏まで回り込んだ処に一台の車がやってきました。

 中には二人のおじいさんが乗っていました。

 助手席のおじいさんは結構高齢。車から降りるのも大変そうです。

 それで、運転してきた人が車を移動している間、一人では心配だったので一緒にテントまで行くことにしました。

 この人が最初のころから座り込みに参加している、もうすぐ90になる嘉陽のオジーでした。

 嘉陽のオジーは、このところ体調がすぐれず今日も病院に行く予定だったそうですが、何か呼ぶものがあったのでしょうか病院ではなくてここへ来たんだそうです。 

 さっそくみんなの輪の中に椅子を置き話を聴かせてもらいました。

 しばしのやり取りで印象に残った言葉

 「私の今の願いは、来年またみんなとここで勝利を喜びあいたいということです。」

  

 日米両政府のやっていることは、こういう人たちをいつまでも苦しめていることなんですね。

2012年9月8日土曜日

k 今週は本当に疲れました。 いつ来るかわからないEメールで一層…

  やっと金曜になりました。


 日曜日、2回連続で出かけていて(富山南砺市でのスキヤキミーツザワールド、第4回楽音祭)、都合3週間連続で“グッ”と休む日もなく動き続けていたことになります。

 この秋に控える行事のこともあって忙しかったし。今週は本当に疲れました。




 追い打ちをかけたのが、来るのか来ないのか一向にわからないEメール。

 出さなければいけない義務も義理もないとは言え、私の方はいつ来るかいつ来るかと何度もスマホをチェック。 家に帰らなければできませんではなく、出先でも簡単にできるがゆえに振り回されるということでしょうか。

 いっそ来ないとはっきりすれば楽なんでしょうけど来るときは来るし。

 パターンがわからないし、タイミングがわからないというか、合わないということなんでしょうか。

 いつ来るか見当もつかない、でも来ることもあるEメールを待つ、一層疲れました。

                                                                                                                             (9月7日金曜夜に)

2012年9月4日火曜日

第4回 楽音祭 4/4  これで今年の夏が終わったのかな

 久しぶりの人にも大勢会いました。

 この4月の異動以来なかなか練習に参加できない月が続いています。特にこの夏前は全然でした。

 この間Fさんが参加しているということを考えると、これも神様が配慮してくれたのかなーと考えたりもしていますけど。

 そしたらお休みしているのはみんなも結構同じみたい。
 ある人は「この前久ぶりに行ったら顔ぶれがガラッと変わっていてびっくりしました」なんて言っていました。





 楽音祭の終了とともに、これで本当に今年の夏が終わったのかな。

 秋の始まりは何かな。 
まだ日程の連絡はないけどいつもだと多可良市。
 もう気持ちは次へなんて!  でも 楽しみです。

第4回 楽音祭 3/4 虹

 昼過ぎから夕方にかけてワークショップがありました。

 「前にもご一緒しましたね」と声をかけてくれた人、どこかであったことがあるなぁと思った人、今回全く初めての人等々、ダンスの人も含めて全体で2時間の枠。 多少の入れ変わりもありましたけど16~7人だったのかな。

 途中雨がぱらついてきて(太鼓の皮が心配で)、屋根の下へ移動したのに合わせて「少し休みましょう」ということになりました。

 特にダンスの人たちは、何せこの暑さですから顔も真っ赤、大変ですしね。



 そしたら虹。虹ですよ。

 こんなにまじかにはっきりした虹 久しぶりでした。

これだけでも今日ここまで来たかいがあったと感謝しました。

第4回 楽音祭 2/4  相手の気持ちに届く音

 三条楽音祭、今年私はシェケレで参加しました。

 本番は野外だしこちらの方がいいかと思い ガラスビーズ のを持って行きました。

 種のビーズのに比べると、全体も重くなるし演奏もちょっと大変。だけど何より音が大きいのでこちらに。外だし盛り上がりの中ですからねぇ、それなりの音量の出るのでなければ。



 “音量(強さ)”の事では想いが。

 普段の練習の時は室内ということもあり、抑えてるわけではないんだろうけど小さめ(?)。綺麗ですけどね。

 無理に大きい音を出そうと思ってバランスを崩してしまったら元も子もないですしね。

 私はもっと、気のこもった強い大きい音、いろんな意味で“届く”音をと思うんですけどね。

 PAもあって音響に配慮してある屋内ではなく、そもそもが村の野外・広場でみんなが集まってという起こりを思い浮かべるとそういうイメージかなぁ。



 小さい音=弱い音ではないんですよ。

 音響があるとウイスパーボイスでも広い会場でも音が回るし、感情表現もある意味しやすいかもしれません。

 だけどそれだけかなぁ、という思いがあります。

 相手の心に届く音は、想いを強くして出すんだと思っています。



 まあシュチエーションは様々あるんでしょうけど。

 当夜のみんなの乗りというか強さ音量を聴いていると、やっぱり普段から大きい音を出す練習・体験を取り入れておいた方がいいと思うんだけどなぁ。

 終ってから聞いてみたら「楽しかったー」とみんな言ってるんですけどね。

第4回 楽音祭 1/4  私たちにとっても貴重な場

 まだ少しボーっとした感覚。地を足がちゃんとつかんでいない感じでしょうか。

 昨夜第4回楽音祭(2012.9.2)に行って帰りが遅くなった分今朝は少しゆっくりさせてもらいました。

 楽しませてもらいましたけど、お昼から遅くまで長時間にわたりましたから楽ではなかったかなぁ。休むところがなかったし。

 そのせいでしょうね。



 楽音祭の会場となったヒメサユリ森林公園は、町からも幹線からも遠く離れた山の中というせいだからでしょうか、昨夏の水害の爪痕がいまだ復旧していなくて交通の面での困難があって楽音祭の運営に当たった人は楽音祭の運営以前にそこも大変だったと思います。

 “足”の点では参加する側も大変でした。

 臨時駐車場を設けシャトルバスを走らせるなどいろいろ対策は取っていましたけど昨年に比べて会場内の賑わい、人出、顔ぶれ(家族連れが特に少なかったように感じました)をみると少なめだったかなぁ。



 今年も私たちのグループの出演は一番最後。

 と言ってもオオトリは私たちの前。要するに追い出し音楽ってやつですよ。

でもこれが毎年盛り上がるんだなぁ。

 会場に残ったみんなも身体を動かし、踊りに参加しだす人も。

これで最後という思い、解放感もあるのか盛り上がるんです。





 もともと太鼓は音が大きいから練習の場所を選びます。
 そういうことで言うと、思いっきり太鼓を叩けるというのはなかなかない機会。私たちにとっても貴重な場かなぁ。