今の私にはまだその理由も意味もなにもわからない。
でもいっぱい考えている いっぱい思っている。
自分の、思い 考えていること 頭にあることを表し、伝えるむずかしさを強く感じながら、考えてまとめて書いて伝えようとしている。
考えようによっては、人が毎日々々を生きるということは、同時に、生きながら死に向かっていく少しづつ死んでいく、と言うことかもしれない。
比べれば瞬く間にもならない長さだけれど、自分の感覚としてはいろんなことがあった。
私としてはずいぶん長く生きてきたとも思う。
その日々の中では “不条理” としか思えないことも多々ある。
今、目の前の人といる奇跡。昔一緒にいた人と、今いない現実。
どこかでしていた今につながる選択。
選び取らなかった別の選択肢。
人一人一人その人だけの時間が流れ、人一人一人死に向かってその人だけの生活が続く。
それがある時“偶然という名の奇跡”が、私の生活・人生と別の人の生活・人生を近づける。
けれど、一時並んで走った人生、理由はわからないけれどまた別々の方向に進んでいく。
確かに接点はあった。 けれどクロスしてまた別々の方向に進んでいく。
この人こそ 「私の半分 私の探していた人じゃなかったのか」なぜまた別々の方向に進んでいくのか。
しかし それもまた何か意味があったのだろう。
人が、自分では偶然だと思っても、実は事には皆意味があり時があり、そしてつながっている。 関連がある。
私が 塞翁が馬 という言葉を知っていたことを感謝する
これから先のことはわからない。けれど、今はこんな。
良い時ばかりじゃないけど、すべてを甘受 清濁併せ呑み いっぱい見て感じて考えて行く所もやることもたくさんあって、助けられている。
自分の人生に責任を取る。
人生の最後に帳尻を合わせる。
終わりよければすべてよし。 結果オーライよ。
なんだかわからないけど、ついこの前からこんなことが頭に有ったので吐き出してみました。
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