2011年10月26日水曜日

たくさんたくさん考えているようだけど 肝心の所でだめ ぬけています  F

もしあの時 ○○していタラ ○○していなけレバ
Fさんの前でこの言葉を口にしなければ続いていたかも! といまは思います。

何であの日 口にしたのか。


 たくさんたくさん考えているけど 肝心の所でだめ ぬけています。

 いつものことだけど。


 一人暮らしの気軽さになれてしまったので今更無理に 結婚々々 と思わなくなっていたのに、あの日(86日)結婚と言う言葉を口にしたのはお母さんが来ると聞いたから。 

 まじめな気持ちです ということを表したかったから。

  私としては真面目に真摯に、責任を果たすつもりでとった行動。

  その後のことを考えると、お母さんだけに話して彼女の耳に入らないようにした方がよかったようですが。


 でもこの大事なこと・言葉はなにかきっかけでもなかったら、勢いがなかったら口にできなかったでしょう。
 学校出たての若者というわけではないんだから、親御さんと会うということをきっかけにして一気に ここまで考えたのです。


 それまでのFさんとのやり取りで不足を感じていたわけでもないので、こんなことでもなかったらあえて考えたりしなかったかもしれません。


それにつけても

 病気のことがあるので 新しいこと 環境の変化に対する適応力について頭に入れておかなければならなかったのに。 
怖い とか 不安感が生まれる 増すことは病気のせいで仕方のないことだと解っていたのに。

 多少なりとも知識のあるこの私が彼女の心を乱すようなことをしてしまうとは。


 いずれにしても、余りにもたくさんのことが起こりすぎたのでしょう。

 私自身、まさか映画の世界と思っていたようなことがこの身に起こるなんて!という日々とその夜でしたから。


 Mさんに言わせると「きっと、気持ちが変わったのではなくて、ゆっくりしたかったんじゃないのかな?」ということです。

 確かに濃密な31日間でした。

ピアフの言葉 私の場合

気づいてみたら今月のアップ数30を超してましたね。

数字を見ると、思い当たることがあって納得の26月の10代。

8月も辛いと言えば辛い月だったんですが26もアップすることができました。





話しが飛ぶようだけど、昔演出に「今日は感じが違う」と言われたことがありました。

そう言われてびっくり!

実はその日、その練習に行く前に、別のグループの仲間と楽しいやりとりをすることができたんです。

その人とは同じグループだから出し物を作り上げていくときに話したりはもちろんしていましたが、その時は演目のこと練習のこと以外のもっと日常的なこと個人的なことを話したんだったかなぁ。なんかそのやりとりをしたこと自体が楽しくて嬉しくて気持ちがウキウキ高揚状態だったんです。



つまりこの日この時の私は、ピアフの言った“恋をしているとき”と同じ精神状態だったんでしょう。

そして8月は“恋を失ったとき”と同じ精神状態だったんでしょう。



ピアフの言い方を借りれば  恋をした時の高揚感と失った時のより深く自分を見つめ考察した状態  の日々だったんでしょうね。

2011年10月25日火曜日

1-15-26・1 歓迎会 集まってくれた子どもたち


2階を一通り見せてもらった後下へ戻りいよいよ交流・歓迎会です。

2階の廊下部分の迫り出しが、下ではちょうどひさしになっていて日差しを和らげてくれています。

私たちゲストはそこに出してもらったイスに腰を下ろしみんなの歓迎を受けることになりました。

集まってくれた子どもたちは、私たちの前、近い方から順に、それぞれ私服のかわいい幼児クラスの子、その後ろにはそろいの制服の生徒たちが低学年から高学年に向けて集まっています。中庭いっぱいの子どもたちです。

男子の方はそれほどに変化がわかりませんでしたけど、女子生徒の方は学年が進むにつれて通ってくる生徒数に変化があるように感じられました。(少なくなる)
高学年の女生徒は集団の後方両脇に並んでいました。
門の側には、もしかしたら卒業生なのかもしれないけど私服の女生徒(?)も歓迎の集まりに参加してくれていました。

ぎっしりです。

もっとすばらしい歌が歌える 時って 


もうずいぶん昔に耳にした逸話なので記憶に定かでないところもあり正確さには自身でも少し心配な思いがある話を一つ。



 


エディット・ピアフが、その潜在能力を見抜き評価していたイブ・モンタンと別れたときに言ったという言葉。

「人は恋したときにすばらしい歌が歌える。

だけど恋を失ったときにもっとすばらしい歌が歌える。」



 歌 だったかどうだったかも含めて、厳密なところでの差異についてはご容赦願いたいのですが、大要としてはこうなんです。

    

 そういうパターンで考えてみると、今の私がほんとにそうです。

 今回のことがきっかけで今すごく頭が活動しています。たくさんのことを考えています。

誰にでも思い当たることがあるような   そんな私だから理解できる  F



血液型占い(?)というのが日本ではなぜか大人気。
そもそもA・B・AB・Oの4つの血液型だけで1億何千万もの日本人を振り分けようとすること自体がおかしいんだけど、不思議ですよねぇ血液型ごとの説明特徴というのを聞くと何か思い当たるところがあるんですよ。

誰にでも思い当たることがあるような曖昧な言い方をしているからだと思うけど。

 ちょうどそんな感じ。


 同じじゃない!

テレビや文字で読む双極性障害や鬱の症状・状態・特徴、Fさんの症状。

私にも思いあたることがいっぱいあります。 

つまり、個々に程度は違うかもしれないけど、誰にもある事ということ?

ところで、特にこの処の私の状態は…  私もなのかなぁ 

 Fさんには怒られるんだろうけど、そんな私だからこそ理解できることがあるんだと思っています。

どんなペアでも ちゃんと口に出して言わなければわからないんだ 


今日はシネウインドで観た映画 「キッズ・オールライト」で思ったことを。



作品は、女性同士のカップルが精子バンクを利用して子供を設ける。その子供が父親と初めて会ってまき起こる出来事。

その時、長く暮らし分かり合っていると思っていた二人にも…というもの。



作品は想像していたものよりシリアスなタッチ、観て楽しい映画とはちょっと違いました。

ストレートに楽しめるものを期待していたので少し当てが外れたかな。作品としての出来は悪くないんですけど、この映画を見て気分転換、笑えたらいいなぁと思って観に行ったので。



観ていていろいろ思い考えさせられました。



長い間ともに暮らし、わかっていると思っても よかれと思ってしたことでも 相手がどう思っているかは別。

ちゃんと口に出して言わなければわからないんだ そういうことが必要なんだということがよくわりました。



音楽で印象に残ったのは、映像を観ながら即興であわせたのかなぁ ということ。

 ノーリズムでベースを合わせて。 本当はちゃんと考え作られ演奏しているんでしょうけど。

 編集で別物になるように、音楽も差し替えるとまたずいぶんと印象が変わることでしょう。そんな、映像と音楽との組み合わせでした。

 今回の組み合わせは組み合わせでいいと思いますけどね。


  観ているとき「ラースとその彼女」の音楽を思い起こしました。あの作品もノーリズムのベースの音楽でした。

2011年10月24日月曜日

あわただしく過ぎる毎日の中の貴重な一日


 先月から、母のこともあり土日関係なくあわただしくしていましました。

 だから明日一日だけは久しぶりの何もない日曜日。

 厳密に言えば何にもないわけではないけど、何もしない一日にしよう、目覚ましのスィッチを解除。
 朝だって  起きないぞ! 寝てやるぞ! と心に決めて眠りにつきました。

 疲れがたまってしまって・・・



こうして 日にち(時間)が過ぎていくんですね。
 
 

          2011・10・22 夜

1-15-25 補足 国連 国連の機関

紛争のないことが何にもまして一番。

けれどその道は一歩一歩進む道。
現実問題としてその日が来るまで、このこと自体が紛争解決に結びつくことでもある、教育と食に取り組まなければいけません。

国連 国連の機関には様々な国際機関があります。
いろいろな立場、考え方の人がいますし、何も課題がないとは言えないのかもしれません。

けれど私は今の世界に国連は必要だと思っています。
いろんな立場の人がいろんな考えを持ち主張するかもしれません、でも今国連だからできていることがたくさんあるのは事実なんですから。

2011年10月23日日曜日

1-15-25 マゴソスクールで力を入れていることの一つ “給食”


リリアンさんの説明だと、マゴソスクールで力を入れていることの一つとして 給食 があるそうです。

子どもたちに、最低でも一日一食は食べさせたい、と。


その努力  取り組みは、2009年から 国連のWFP(世界食料計画)の支援を受けられるようになってだいぶ楽になったとのことでした。

そう見てもらえるのはとても感謝だけど


~○さんは品があるし、色々なことにご興味があって面白そうなお方なので、これからも

お付き合い頂けると嬉しいです。~     18日目のFさんからのEメール   



私ってどんな人      

自分で言うのも変だとわかっているけどこの場合は…

私は 博識 だと思います。 ただしカルト的に詳しいわけではなくて。 

広く浅く、とにかく知りたがり。

昔からいろんなことに感心があって 実際いろんな所へ行き、観て聴いてやってきました。みな楽しく糧になることばかりです。感謝。



思えば、記憶にある幼稚園や小学校の低学年の頃世界は身の回りの極狭いものでした。

それを 4次元的に空間も時間も別の生活(人生)も見せてくれた初めは様々な“図鑑”ですね。

そして J3 の宣教活動で日本に来ていた若き宣教師の生活スタイル。おじいちゃまと並んで観たテレビは、アメリカの番組が多かったかなぁ。映画ではヨーロッパの作品も今では想像できないほど劇場にかかったけど。

私の身の回りにある生活とは別のものがあることに強く反応しましたね。

書物でも歴史・時間を超越し地理的にもいろんなところに行きました。多様な考え方 物事のみかたがあることも知りました。



今ならわかります。キリスト教のミッション。アメリカ合衆国の戦略としてのアメリカナイズのとても大きい影響を

だから60年代は、アメリカ(合衆国)に対しての世界の思い動きに共感するとともに、それでもいいところもあるという思いで複雑でした。

70年代に一気に具体化した“自主独立”。国  民族としてのアイデンティティがとても大切だという考え方は私個人にも大きく影響しましたね。

そういうことで言うと幾人か名前を挙げなければならないのでしょうがここでは一人だけ。このところの“偶然”という言葉をキーワードに。

東京出張中、地下鉄の網棚に放りあげられていた丸められ半ばよれよれの新聞を時間つぶしに手に取りそこに見つけたのがアミカル・カブラルを扱った本の紹介。

もちろん専門家でもないし、主張も含めて独立のためにどのように行動したのかも詳しく知っているわけではありません。ただ、軍隊で経済で押さえつけても3050年だけれど、文化で植民地にしてしまえばそれはもっと続く、という考え方は納得したしとても印象に強かったのです。

この時出張していなければ、この列車に乗り合わせなければ、網棚の古新聞を手にしなければ、何面もありいくつも取り上げられている記事の中のこの記事に目が留まらなければ…

当然ながら普通に書店に並んでいる類の本ではないので出張を終えてから行きつけの本屋さんで早速注文、目を通してこのいくつもに重なった偶然 奇跡 運命を神に感謝しましたね。



長くなりました。
広く浅くに 

ただ私には、一通りの知識とまあ何とかできますよは言えても、これはだれにも負けません!というものがあるんだろうかという思いがいつもありました。 

でも 無見識に首を突っ込んできたわけではありません。

そのおかげでしょう、あることをやっていることで、別のことの理解が深まるということがあります。つながっているんですよ。

そう考えてくると、これもありなのかなぁ、と思っています。


先日ゴスペルの仲間との親睦会がありました。
その時、人にはスペシャリストとゼネラリストがいる。そして スペシャリストだけではだめだ うまく回らない プロモートする人が必要、という話になったんです。

私はその人に「ゼネラリストのほうなんですね」と言われました。

私が一人でこれも有りと思っているだけじゃなくて実際にそういうスタイルもあるんだと。この日この集まりに大げさでなく気力を振り絞って参加した幸運を感謝しました。



劇団仲間のMさんに誕生日Eメールを送りました。
退団後も時々会ったり、連絡したりしています。今回は2か月くらい間が空いたかなぁ。
だから近況報告も。当然Fさんとのことも…

それを読んでの返事が来ました。うれしい。

その中に 
~でもステキです〓〓〓 ○サンは女性からみてとてもステキな人だと思います〓~ 

そういってもらえるのは感謝だけど…

私の場合は、一緒になると、距離がなくなると つまらなくなる人なんでしょう。

知りたがり屋の私、いろいろやっているのがよく見えるのでしょうか? 

そんな知りたがり屋でいろいろ首を突っ込んでいる私なんだけど、大事な人と一緒になるとその人が一番になってしまって、それまでいろいろしていたことさえお休みしてもいいと思ってしまうのでつまらなくなるのかも。(Tとのことを思い起こしてそう思いました)

 私としては相手を一番にするからこそなんだけど。それが つまらなさにかわってしまう。 

 矛盾ですよね!

2011年10月22日土曜日

不思議なことに


人間、いくつになっても ときめいて いなければ魅力がないと思うので、誰かを思うようにしています。(仮想の恋人)

だけど、私が好意を感じた人は不思議だけどそのあと結婚するんだなぁ。 



もともといい人だから私が好意を持つのか、誰かに思われる 認められる 見つめられることで自身がつき積極的になり魅力もましてということなのか…



いろんなことがありすぎて億劫になって…

そこにいてくれたらよかった 居続けてくれる(だけ)でいいとおもって。



ひょんないきさつから「知っていました」と明確になった人もいますけど、けっこうとばれちゃうんです。私わかりやすいのかなぁ。

私が思っていることがばれていながら、いっこうにその先へ踏み出さないものだから決断、余所へ往ってしまったのかもしれません。

2011年10月20日木曜日

占い師は 自分の将来が占えるか?  映画「人生万歳」を観ていて感じたこと。



最後にでてくる、飛び降りた主人公の下敷きになりけがをした占い師の女性。

病院で「自分のことはわからなかったのかい?」と聞かれほんの一瞬の間をおいて「わかっていたのかもしれない」と答えたのが印象に残っています。



占い師でなくとも、 わかる! とはっきりしたものでなくとも、何となく感じる ということはあると思います。

意識して、積極的にそうしようとしたわけではないけれど、そうなってしまったというか、水が低い方に流れていくようにというか、いくつもの偶然の積み重ねが導いていく運命(奇跡)という物が確かにあるということを感じました。

その存在を感じました。

原発 完全停止に向けて今が決断の好機






原発のお金で作られ、今維持費で大変な柏崎の施設
 また新たに原発が1機止まりました。(時期が来ての定期点検作業のための運転停止)

 各種報道によると、このまま再稼働がないと現在運転中の原発も定期点検によって来春にはすべて止まるんだそうです。

 

 事故 定期点検で停止の原発をのぞくと、現在日本で稼働中のものは10機(54機中)だそうです。

 日本の総発電量に占める原発による発電量は約3割といわれていました。

 54機で3割、今10機。つまり5分の1。発電料に占める割合は30%の5分の16%ということになります。

 実際は、原発事故の後、稼働していなかった火力発電所の再稼働、企業の持っていた自家発電装置による発電が加わっていますからもっと少ないのかもしれません。



 この夏、電気が足りない、なんとしても大停電をふせがなければと、15%の節電目標がたてられました。

 結果として大停電という事態に陥ることもなく乗り切ることができました。節電実績も12%を達成したとの由。

 

 発電方法も電気の使い方も今すごい勢いで変化しています。

 そしてこの数字。

原発なしでも十分やっていけるという事を示している数字ですよね。

 次の段階、今必要とされているのは政府(政治家)の原発をなくします という決断と、経営者の 収益をあげる(損失 損害を減らす)本来の企業運営 経営の立場に立つという決断でしょうね。