~○さんは品があるし、色々なことにご興味があって面白そうなお方なので、これからも
お付き合い頂けると嬉しいです。~ 18日目のFさんからのEメール
私ってどんな人
自分で言うのも変だとわかっているけどこの場合は…
私は 博識 だと思います。 ただしカルト的に詳しいわけではなくて。
広く浅く、とにかく知りたがり。
昔からいろんなことに感心があって 実際いろんな所へ行き、観て聴いてやってきました。みな楽しく糧になることばかりです。感謝。
思えば、記憶にある幼稚園や小学校の低学年の頃世界は身の回りの極狭いものでした。
それを 4次元的に空間も時間も別の生活(人生)も見せてくれた初めは様々な“図鑑”ですね。
そして J3 の宣教活動で日本に来ていた若き宣教師の生活スタイル。おじいちゃまと並んで観たテレビは、アメリカの番組が多かったかなぁ。映画ではヨーロッパの作品も今では想像できないほど劇場にかかったけど。
私の身の回りにある生活とは別のものがあることに強く反応しましたね。
書物でも歴史・時間を超越し地理的にもいろんなところに行きました。多様な考え方 物事のみかたがあることも知りました。
今ならわかります。キリスト教のミッション。アメリカ合衆国の戦略としてのアメリカナイズのとても大きい影響を
だから60年代は、アメリカ(合衆国)に対しての世界の思い動きに共感するとともに、それでもいいところもあるという思いで複雑でした。
70年代に一気に具体化した“自主独立”。国 民族としてのアイデンティティがとても大切だという考え方は私個人にも大きく影響しましたね。
そういうことで言うと幾人か名前を挙げなければならないのでしょうがここでは一人だけ。このところの“偶然”という言葉をキーワードに。
東京出張中、地下鉄の網棚に放りあげられていた丸められ半ばよれよれの新聞を時間つぶしに手に取りそこに見つけたのがアミカル・カブラルを扱った本の紹介。
もちろん専門家でもないし、主張も含めて独立のためにどのように行動したのかも詳しく知っているわけではありません。ただ、軍隊で経済で押さえつけても30年50年だけれど、文化で植民地にしてしまえばそれはもっと続く、という考え方は納得したしとても印象に強かったのです。
この時出張していなければ、この列車に乗り合わせなければ、網棚の古新聞を手にしなければ、何面もありいくつも取り上げられている記事の中のこの記事に目が留まらなければ…
当然ながら普通に書店に並んでいる類の本ではないので出張を終えてから行きつけの本屋さんで早速注文、目を通してこのいくつもに重なった偶然 奇跡 運命を神に感謝しましたね。
長くなりました。
広く浅くに
ただ私には、一通りの知識とまあ何とかできますよは言えても、これはだれにも負けません!というものがあるんだろうかという思いがいつもありました。
でも 無見識に首を突っ込んできたわけではありません。
そのおかげでしょう、あることをやっていることで、別のことの理解が深まるということがあります。つながっているんですよ。
そう考えてくると、これもありなのかなぁ、と思っています。
先日ゴスペルの仲間との親睦会がありました。
その時、人にはスペシャリストとゼネラリストがいる。そして スペシャリストだけではだめだ うまく回らない プロモートする人が必要、という話になったんです。
私はその人に「ゼネラリストのほうなんですね」と言われました。
私が一人でこれも有りと思っているだけじゃなくて実際にそういうスタイルもあるんだと。この日この集まりに大げさでなく気力を振り絞って参加した幸運を感謝しました。
劇団仲間のMさんに誕生日Eメールを送りました。
退団後も時々会ったり、連絡したりしています。今回は2か月くらい間が空いたかなぁ。
だから近況報告も。当然Fさんとのことも…
それを読んでの返事が来ました。うれしい。
その中に
~でもステキです〓〓〓 ○サンは女性からみてとてもステキな人だと思います〓~
そういってもらえるのは感謝だけど…
私の場合は、一緒になると、距離がなくなると つまらなくなる人なんでしょう。
知りたがり屋の私、いろいろやっているのがよく見えるのでしょうか?
そんな知りたがり屋でいろいろ首を突っ込んでいる私なんだけど、大事な人と一緒になるとその人が一番になってしまって、それまでいろいろしていたことさえお休みしてもいいと思ってしまうのでつまらなくなるのかも。(Tとのことを思い起こしてそう思いました)
私としては相手を一番にするからこそなんだけど。それが つまらなさにかわってしまう。
矛盾ですよね!