この間いろいろあったけど私の毎日はまた前の生活、気楽な一人暮らしに戻るだけ。 なにもなかったように。
話は横道にそれますが、こういうことを思うときいつも思い出す映画があります。それは高峰秀子が出演した「張り込み」と言う映画です。周りのおばさんたちに比べれば平凡すぎるほど平凡で、何の楽しみがあるのかとおもうくらい変化のない毎日を繰り返す主婦。
結婚前につきあっていた“男”が犯罪を犯し行方をくらます。警察は昔つきあったことのあるこの女性のところに現れるのではないかと張り込む。
彼女のところに男が現れ捕まるまでの間の生き生きとしてまったく様子の変わった彼女。
その変わりよう、そして男が捕まった後の変わりよう(戻りよう)。この違い、変わる様、すごさがすごく印象に残っている映画なんです。
話戻って。
幸い家事については不自由無いし、きっと平穏ですべて予定通り流れていく毎日が繰り返されていくのでしょう。 良くも悪くも心乱れることのない日々が。
だけど、この間の日々これからの生活とどちらの生活が、私の人生なんだろう。
確かにどちらも肉体的には死んではいない、生きています。
でもその毎日は、肉体として死んでいないだけの私なのか、社会的 精神的にも生きている私なのか。
どちらの人生、生活、毎日が私なんだろうか。生きていると言えるのだろうか。
どちらの私も私に違いないけれど。
これからはどちらになるんだろうか
0 件のコメント:
コメントを投稿