普通おつき合いというと、より理解する、より近ずくため。
でも離れるために“おつき合い”するなんて。
だから、相手のことを知り理解するためのことをお付き合いというならこれもお付き合いと言えると気づきました。
病気なのは承知しているし、具合が悪くて寝ているのもかまわないけれど、関係を遮断する“逃げる”という言葉状態というのが問題なのです。
こういうことがわかってきた、感じられるようになってきたということで言うと、これはこれで“お互いを理解するためのお付き合い”といえると思うのです。
余りに突然の変わりようにいったい何事が起こったのか理解できないままに、Eメールする。
返事がない。返事がなければないほどそういう人なんだ、そうされているんだと納得させあきらめるきっかけになると思っています。
“無視”されればされるほどあきらめがついてくると言うものだと思っているのです。
今の状態は、突然の事故で命を落としたけれどこの世に未練がのこりやり残したこと悔いがのこり成仏できないという感じ?!
クリスマスおめでとうメールに返信が来たのは想定外でした。
携帯が着信拒否なんだから,Eメールは当然迷惑メール設定だと思っていました。
返信が来るなんて思っていませんでした。
友達なら単なる近況報告メールだとしても返事をするかもしれません。
それで言うとこれだけ何の音沙汰もない。だから友達ですらない状態、そういう関係の人と思えるようになってきていたのです。
つきあうと言うことは相手のあることだからいくら願ったって自分の思うようにいくとは限りません。
でもこの状態、メールを出す、返事がこない(今のご時世その気がないなら正しい選択だとは思うけど)で相手のことがわかってくる、ようやく区切りがつけられるようになると願っています。
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