2012年3月7日水曜日

PTSD2題 その2   Fさんのトラウマ 私のトラウマ

Fさんの場合

Fさんからの8月5日・30日目のEメールから
 「~親との関係のこと、そして自身が今のように自己形成したのは、私が小学4年の時に両親が離婚したことが原因だと思っている。~」
 「~両親が離婚した原因は、父に別の女性ができたから。父は再婚した後も、何人もの女性と付き合っている。 ~ (それ以来) ~男性は付き合ってもすぐに他の人のところに行ってしまうと思っていた~」

   (Fさんはきっとお父さんのことがとても好きだったんだろうなぁ)


 Fさんは自分を評して「人との距離感 とるのが下手 よくわからないところがある」と言っていました。

   (確かにそんなところはあるなぁ)


 これは地雷だから、触れない方が賢い人間というものだろうけれどどうしても一言言いたい。  

 子どもを亡くし彼女自身も具合が悪くなったとき、共にいるのではなく離縁だなんて。
彼氏(夫)とその家族は酷なことをするものだと思います。
 とは言っても、夫婦のことは他人にはわからないもの。私なんかが思う以上に大変だったのはおそらく間違いないんだろうとは思います、よ。
 だけど、病んだ時に共にいるのではなく、去っていく。昔一緒に暮らしたマンションに今は別の女性と暮らしているのが悲しいと彼女に言わせてしまっている。それで彼女はなおさら具合が悪くなっていると思うんです。

  
 ところで、もう何年も離れているのにその後のことがわかるなんてすごいけどかえって辛くなるんじゃない?
 私は聞こえてくるものに耳をふさいだりはしないけど、わざわざ聞きたくもない。
この違いが私と史枝さんの相違を生み出しているのかもしれません。

 それから FさんへのEメールで「私はここにいます」 と書くことについて。
 Fさんは「男の人はどこかに行くものだと思っていた」と思い込んでいたので「みんながそうではないよ」と知ってもらいたくて書いています。





私の場合

 言葉で言うと、逃げる 突然いなくなる 消える 去る 朝出たまま帰ってこない 等など様々。 
言葉は違うけどみな共通しているのわかるでしょ。


今の状態になる直接のきっかけはTとのこと。

 Tはお盆休みが終わっても帰ってきませんでした。
私はお盆で実家に帰っているだけだと思っていたけれど、お盆が終わっても帰ってこない。 どうしたの?と電話をしたら「もう帰らないんだよ」と言われました。
 (何もなかったなんてことは言いません。けどこういうことがあったのは事実なんです。)

 Tがいなくなった後も高校受験のMさんは家から中学校に通っていました。
と言っても、朝はほとんど、帰りも結構迎えに行ってたかなぁ。仕事のほかに、洗濯アイロン、食事、必死でした。 でもだんだん疲弊してきて…
 私なんかより母親、そして兄弟と一緒の方がいいかと(つい)言ってしまったのです。

 夜帰ったらMさんが居ませんでした。 忽然と消えていました。

 朝いってらっしゃいと送り出した人が事故で帰ってこない。そういう状態、気持ちでした。



おおもとは

 私をかわいがってくれたおじいいちゃま。 
 おじいちゃまは私が小学校3年の時亡くなりました。 
出張先で倒れて、遺体で帰ってきたんです。
 お葬式・納棺の時はその場を逃げました。最後だからお別れしなさい、と追いかけられたけど逃げました。 
 死んだ顔を見なければ生きたままの記憶でいられるのではないかと思ったのかもしれません。 


 このたびの母親の死に目はわざと避けました。
   (わざと避けたなんてことが兄弟に知れたら何を言われることか。)
 もう小学校の3年じゃあない。もう大人だから。
だんだん弱っていくのも目にしていたから、亡くなったのは知っています。  
 けど息を引き取るところを見なければ生きたままの記憶でいられるのではないかと思ったのかもしれません。

0 件のコメント: