「今日と同じ日が明日もやってきますように」
新年にあたり こう思わずにはいられません。
この当たり前のようなことがいかに貴重だったのか。奇跡なのかを改めて考えさせられます。
3・11を契機に、そしてその後いろいろなことに遭遇して改めてそう感じます。
昨夜・大みそかは、最近ジェンべのワークに参加し始めた人に「出ているので来てください」と誘われて新潟市西区にあるI○寺に行ってきました。
天気予報の「大みそかから元旦にかけて新潟県の海岸部でも50~60cmの降雪が予想される」が気になりましたし、毎年恒例の有名な催しなのかな?車を止める場所はあるかな?と少し心配でしたけど、これも何かの縁思い切って行くことにしました。
雪は確かに降りました。けれど心配したほどではありませんでした。
気温もプラス温度で凍結もありません。
ところが門前には幾重にも車が停まっています。これは停める場所がないかなと不安になりながらその奥の駐車場に向かいます。そこにも車が。でも駐車することはできました。
門をくぐって中に足を踏み入れると、除夜の鐘を幾人かが交代しながらついています。 結構いい響き、余韻も長くて由緒ある鐘でしょうか。表面の感じは意外と新しそうな感じもしますけれど。
本堂も立派なもの。
場所を調べるのにネットで検索したら“雅楽に力を入れている”とも出ていました。歴史、由緒あるお寺のようです。
本堂からはお経の斉唱が聞こえてきます。
ハッとしました。
ちょっと考えればわかることだったのに。大みそかの夜11時45分ころからなんてコンサートじゃないよね。
ほんの軽い気持ちで来てしまいました。
相変わらず甘いなぁ。
私を誘ってくれた人は烏帽子をかぶりそろいの装束を身にまといずいぶん印象を違えていました。
これから“奉納楽”をいたしますとの挨拶のあと、お寺様4人も加わり10人で始まりました。
まず笙が天の音を伝え始めます。
少しおいて篳篥や竜笛が地の音を響かせ始めて一気に雰囲気が変わります。
天の音 地の音とはよく言い当てていると思いました。
鞨鼓や楽太鼓も加わります。そこへ私を誘ってくれた人の演奏する琵琶が加わります。
弦楽器は弦楽器なんだけど、メロディを奏でるわけでもなく“打楽器”的な加わり方。一バチで4本の弦をはじくので音の変化が出せます。だから、決して派手な演奏(音)ではないんだけど存在感は際立っていました。
お経が斉唱されている間、部屋の一番後ろに控えていた私ですが「お焼香をどうぞ」とか「暖かいところへどうぞ」と声をかけてもらいました。
本とに本とに久しぶりのみんなで迎える新年・2年参りになりました。
こういう気持ち、新年の迎え方いいものです。
ビショビショだけど、積雪や路面凍結でドキドキすることもなく家に帰ってきたら1時を回っていました。
そのあと少しお神酒をいただいたりして結局寝たのは2時をゆうに回っていました。
いつもと同じように途中で目が覚め、朝もだいたいいつもと同じころに目が覚めました。
窓の外はすごい雪。
私が帰ってくるまでは待ってくれて明け方から降り始めたのでしょうか。感謝。
0 件のコメント:
コメントを投稿