さて、舞台の設営ができたところでボランティアどうし軽く食事を口にしながら話をしていた時。来年のホール予算が減らされることを聞きました。なんでも、これまで年間4回の独自企画ができる分だったのが3回相当の予算に減らされるとの由。改めて篠田新潟市長の文化、文化政策に対する姿勢を考えてしまいました。
それは、数年前から、低額あるいは無料だった地域の人たちの各種活動に最も身近な公民館やホールの利用料の値上げのこと。これってお金のないグループには存続に直結する切実な問題です。
ボランティアで音響照明をお手伝いしているのだってそうです。ここには他の市所有同規模の開館同様専門の人は一人も配置されていません。ここより規模も大きく設備も整っている夏前JUNEのコンサート会場になった会館でさえスタッフは外部委託でした。
地元大手新聞社で論説委員などを務めた経歴のあるある篠田市長。国外(内)の有名音楽団体・家を招いての「ラ・フォルジュネ」とか「水土・ミズッチ」というインスタレーションの大掛かりなイベントを打っています。 もちろん素晴らしいもの・本物に触れるのは大切な事です。けれど同時に、地域に根差した自発的な活動をはぐくむことなしには“文化”は受け継がれたり育ったりはしていかないと思います。
今の状態、確かに宣伝ネタにはなるけれど大きなイベントにばかり目(予算)が行っているような気がしています。どんどん、限られた人・プロのものを一般の市民は鑑賞するという風にしか持って行っていない気がします。ハイレベル・本物に触れる機会を増やすのはもちろん大切な事だけど、なじみやすくしたり自分たちの文化を守り育てていくことはそれに勝るとも劣らない大切な事、市政の責任者として頭におくべきことだと思っています。
2009年にフランスのナント市に倣えと姉妹都市になりました。だけど、ナント市の多くの住民が係るようにしていくという実際の積み重ね方・本質とはずれて、外から大きなイベントをポンッと持ってくるだけになっているようにしか感じられません。以前聴いた平田オリザさんによるナント市の姿勢と比べるとほんとそう感じます。
話が混乱してしまうから今日はあまり言いませんけど、いま篠田市長が既存のバス路線を整理縮小して導入を図っている連接バスも同じ発想から出たことなんだろうなぁと思います。確かにパンフレットなどの写真・絵には生えると思うけど住民が求めるのは逆。住民の、細かく地域に張り巡らされたバス路線(網)が望みとはかい離しています。歩いて行けるところの店舗がどんどんなくなり、車が運転できなければ日常の生活に必要なものが手に入れられなくなって来ている今、住民の足・公共交通機関、交通権ということからも大きな課題になっていることと同根のことだと思っています。
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