国連で話すマララ・ユスフザイさんを報道で見ました。
通学バス車中で銃撃される前のマララさんのことは知りませんが、しゃべりや表情にまだマヒが残っているのかなぁ。でも神のお守りでここまで回復することができたんですね。
犯罪者は暴力(銃)によってマララさん(その肉体)を亡き者にしようともくろんだけど、神のお守りと多くの人の祈りによってマララさんは助かり、逆にマララさんの想いと行動は多くの「私は(も)マララ」を誕生させました。
戦闘員でもない無防備な少女を銃撃するという卑劣な行為は容認することはできません。ましてや行為の正当性を示すために“神”の名を持ち出してくるなんて、それだけでも恐れ多いことだと思います。
人は争うけれど、神は愛なのですから。
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