2011年12月31日土曜日

2011年を思い起こすと…


 2011年は年明け早々のアラブの春から始まりました。ギリシャから始まったEU・ユーロ危機。その差は拡大する一方の経済格差に対するウォールストリートを占拠しろの99%の人々の行動。世界的な経済・生活 政治の困難さは拡大する一方。日本の状況も一向に良くなりません。
そこへ来て12月の金正日の死去。
 まだまだ動いていて、まさに激動の年でした。 

  311 東日本大震災は、その日の前までとその日からでみんなを変えてしまいました。 みんなが自分を生き方を家族を社会を見つめなおしました。
 私も翌週宮城県の塩釜に支援に入りました。頻繁に起こる余震。私個人の無力さを感じたのは当たり前のこと、いまだ解決しないこともたくさんたくさん。
 だけど、一人一人の力は小さくても、人間として見ればまだまだ捨てたものじゃないなと、世界中に広がった被害にあった人たちに寄り添う気持ち思いやる気持ち、役に立ちたいという気持ちの広がりに胸が熱くなり、希望を持ちました。

 

 7月からのひと月は、映画好きな私ではあるけれどまさか映画の中のようなことがわが身に起こるとは!とびっくりするような経験をさせてくれました。
 縁・出会い というのは大切にしなければと思います。でも大変ですよね。相手も同じなんだけど、自分自身を見つめなおし、変わることも受け入れなければいけません。葛藤も生まれるし、軋轢も生まれます。でも逃げることなく力を合わせて行けば豊かな生活、大きな喜びがあるのも知っています。

 神に何か考えがあるのだろうから、ことは私が願うように進むことばかりではないけれど、自分を見つめ直し まとめ 書き留めるという生活の糧を与えてくれました。


 出かけての映画鑑賞は35本でした。転勤によって減ってしまいました。例年の半分ちょっとというところです。先日観た「人生ここにあり」と年明け早々の「デザートフラワー」が印象に残っているかなぁ。
 DVDで名作旧作をけっこう入手、鑑賞したかな。音楽CDは、どちらかというとマイナー寄りのをけっこう手に入れたかな。
 大きい舞台ではなかったけれど、出し物にも参加。アフリカンドラムの出演も何度か。


 辛くもあり 切なくもあった一年ではあったけれど、生かされている 生きているという事を実感できた一年でした。

 こうして生かされていることを、みんなと神様に感謝

エンゼルメイク   神様は知っていてわざとFさんを“逃がした”のかもしれない


11月の母の葬儀の時、祖母の時のことを思い出しました。
“納棺師”という職業。映画「おくりびと」がヒットしたこともあり今ではずいぶん耳になじんできました。祖母の時はどうだったのかなぁ、もうあったのかなぁ。
 祖母の葬儀の時、葬儀社の人の納棺式の執り行い方で、亡くなった方の尊厳の守り方に他の葬儀社との違いをすごく感じたんです。自分の時もこうしてもらえるんならいいなぁと思うくらい。
 

このたびの母の葬儀の打ち合わせの時に「納棺師を頼みますか」と聞かれました。
 祖母の時の経験があったので「この葬儀社なら大丈夫」と思いあえて頼みませんでした。

でもこのたびは少し印象が違いました。もちろん上手に遺族に声をかけてくれたし、失礼な扱いもあるわけではないんだけど、何か感じが違ったんです。
 頼まなかったからなのかなぁ。

 葬儀社の人は「納棺師を頼まなくても、その資格を持った人がしますから。」と言っていました。その時は、頼んでも頼まなくてもどちらも納棺師が納棺式にあたるって、どこがどう違うの?とも思いました。
 サービス内容、項目数が違ってくるということだったんでしょうか。

化粧はしてるんだけど何か今一つ。お化粧品・道具も何かお古のような使い古しのような感じ。
 お化粧もそうだけど、基礎的な肌・皮膚の処置もしていないみたいに感じてしまいました。

 私の方も祖母の時とは同じではありません。
 祖母が亡くなった後、リハビリメイクというのでしょうか。高齢の人 施設に入居している人 若い人、事故や病気で“顔”に見た目の問題を抱えた人に対するメイク。自身もその経験のあるメイクアップアーティストの活動とその広がりを知っていました。
 “エンゼルメイク”という言葉、取り組んでいる人のことも知りました。
 だからかとも思うんだけど、お化粧のことがどうも気になってしまったのです。
 私でもできることなのかなぁ? 勉強してみようかなぁ。



人ひとり、生まれる時も死ぬ時もしなければならない手続がたくさんあります。大変。
 打ち合わせや、式に来てくれた人、親戚、職場との対応もあります。とにかく大変なんです。なんともない人でも、疲れで具合が悪くなります。

Fさんがこの場に立ち会ったとしたらぐあいがわるくのはまちがいないとおもいます。
神様はそのことがわかったからわざと“逃がした”のかもしれないと思いました。

Fさんからの31日目のメール  私のためだけに書かれたEメール

   F さんとのこのたびのことを 動機付け という意味合いの題でまとめておこうと取りかかってみたんだけれど、どうにも筆の運びが悪くて(パソコンなのに“筆”というのも変な話)いろいろ考えていました。

そしたら思いついたんです。

新たな人間関係を作る大変さは良くも悪くも経験があるので容易に想像がつきます。
 家族・家庭が与えられたらどれだけ幸福なことかと心底想うけれど、一人暮らしの気軽さにも慣れてしまった今、日々生活していく上で特に困ること不自由もこともないので、その大変さに立ち向かってでも!という必要性はあまり強くは感じません。
(私にとっては十分)つらい経験から、気力の方も正直なところあやしい。

そんなこともあって自分のことには億劫になっていました。
人の相談には乗れるしアドバイスはできる、時には行動も。
 だけど自分のことだと、疲れがとれていなくてぐったりだし面倒で。
困るのは私(だけ)。だったら無理することもないか、となってしまっていました。

 それでも時が過ぎ、徐々にエネルギーもたまってきていたのでしょうか。
“縁があるなら!”と考えられるようになってきていました。


  Fさんは、メーカーやショップなどの宣伝、用件のEメール以外の、ある意味“なんでもないEメール”を、私のためだけに書いてくれました。 

Fさんからは何度もメールが来ました。日によっては複数の日も。  
 FさんはEメールの中で、なんでも話してくれました。
それが私の気持に作用しました。

何時も会っている人 いつも話している人はひたしさが増します。

 

Fさんが話してくれたことはいずれも、人間性の伝わってくるもの。人のベースとしていずれも大切なことでした。

だけどいろいろ考えていて気づいたのは、そのベースの上に乗っている具体的なことになるとわからないことばかり。好きなものは何か嫌いなものは何か、知らないことばかり。ということに初めて気づいたんです。

そういうことで言うと、Fさんからの86日の31日目のEメールにあった「~お互いにきちんと向き合える人が大事と思います・・・」は同感。 

具体的にどう進めていこうかと考えました。それが基にあったから、初めて会うお母さんに、(大人の男性として)「結婚を前提としておつき合いします」という挨拶をさせたんだと思っています。

だけど彼女は、身を翻しお互いに向き合うことを避けてしまったんだなぁと気づきました。

2011年12月25日日曜日

クリスマス 感謝の思いを


 メリークリスマス こんな私のためにも救い主イエスキリストが誕生したことを感謝します。

 


 こんな私ですが、なぜ多少なりとも運動にかかわり続けているのか。

もちろん関心もあり、出会い、縁だと思います。


 後は私でも “大河の一滴” “私一人の力は弱いかもしれないけど、たとえ微力だとしても無力ではない” と思っているからでしょうか。

 私が受けている恵みを少しでも共有できたらと思っています。

2011年12月24日土曜日

見比べて実感 BD(ブルーレイ)の時代


ウォルフガング・ペーターゼン監督の「Uボート」をBDで入手しました。

 観ごたえのある“潜水艦”ものは他にもありますがこの作品を始めて観たときはその映像の作りに度肝を抜かれましたねぇ、感心しました。

この作品の後、久しく無かった潜水艦物が何本か続きましたね。

最初と言うこともあるのかもしれないけど、それらと比べても一番インパクトがあったかなぁ。

閉ざされ限られた空間、限られた出演者。これも見応えある作品がある裁判物の様にじっくり楽しませてもらいました。




何度も遭遇する危機的状況、そのそれぞれを艦長の強いリーダーシップと人間的弱みを持ちながらも力を合わせて乗り越えていく艦員。ラストの、あまりにあっけない艦長たちの死、潜水艦の沈没。


この艦長が素敵なんです。やはり身体はプヨプヨぽっちゃりじゃなくてスリム、顔立ちも少しほおがこけ気味くらいの方が、特にこの映画のようなシュチエーションにはぴったりですね。

余談ですが。今回のディレクターヅカット、観ていてぜんぜん飽きさせはしないんだけど、最初に封切られた時3時間もあったっけ?


 

 ところで、今回UボートをBDで入手した時、数日のずれでバベットの晩餐会をDVDで入手していました。どちらも素晴らしい作品です。
 

 目を見張ったのはその映像のち密さ綺麗さの違いです。

BDUボートを観た後でDVDのバベットの晩餐会を見ると、昔のビデオテープの時代に何度かダビングした後の絵を見るような、色合いも深みもぼやけたメリハリのない絵に見えるほどでした。

これだけ違いが明確ならば、2方式併売の場合は迷わずBDを選択の時代になりましたね。

1-15-35 トタンの海原


食堂の窓から外を見てみると、一面甍の波ならぬトタンの海原です。

そこにテレビのアンテナがたくさん突き出しています。
お鍋か電気ガマのふたをひっくり返して利用しているように見えるものですが。



このキベラ地区、たとえ近くまで電線が来ていても利用を始める時、その後の料金のこともあるでしょうから、各家庭に電気が引き込まれているとも思えませんが。

1-15-34 食堂は図書室兼用


図書室兼食堂は、構造的に大丈夫かな?と思うくらい、床に張ってある板と板の間が透いていて、おまけに傾斜もかなりのもの。

日本の建築基準でどうのこうの言ったらすぐアウトでしょうね。

でも部屋は、出入り口のほか、2面にも窓があって風通しもいいし、なにより明るくオープンでした。

ということもあって読書する空間としての図書室としては快適だと思いました。

ただ本を所蔵する機能で見てみるとこれからですね。

この学校、スペースを必要とする子どもたちを受け入れていくため。一日一食だけでも食べさせたい という優先課題があることを考えると図書を充実させていくのは大変そう。



言語の問題、図鑑とか写真集なら日本の本でも大丈夫なのかな。

でも送るにしても、衣類のように国内産業保護のための関税というようなことがあるのかな?

紙物は重いしねぇ。

1-15-33 3の3  セッション 楽しいひと時


太鼓も叩かせてもらいました。

教えてもらって私がベースパートを叩き、そこへほかの人・太鼓が絡んできて、ひと時セッションを楽しませてもらいました。



みんなの待つ食堂へ行ったら「楽しそうな演奏でしたね」と言われました。

よく聞こえていたようです。

確かに楽しいひと時でした。

1-15-33 3の2 セッション 楽器 シェケレ


たとえば今目の前にあるシェケレはヒョウタンの中に細かい小さな石が入っているだけのものでした。(演奏中たまたま握り手が折れてしまって中の小石がはじけ出したのでわかりました)私が持っている、外皮にビーズや種をネット状に巻きつけたものとは一見して違います。外のネット上のものがなくて、ちょうどマラカスの先のところだけ大きくした感じです。

演奏の仕方もリズムが違うし、なにより歌伴だからでしょうか振り方も違いました。

刻むというより、音が途切れないように振り回し続けて、そこにアクセントをつけるというやり方、122の所 12344の所にアクセントが来るような演奏の仕方でした。グル・チャ! グル・グル・グル・チャ!といった感じ。

「西だとこんなふうな使い方をするんですよ」とカットするように少しやってみました。聴くと見るではずいぶん感じが違います。

1-15-33 3の1 セッション 初めて見る楽器 一弦楽器



少し時間があるようなので一人残って、さっきのリズム隊、普段音楽の指導はこの人がしているんだろう教頭先生、こちらでは珍しくないのかもしれないけれど私は初めて目にする一弦の楽器を扱う男性と交流。



以前よりアフリカの音楽にかかわっていたので、こちらへ来たらセッションできたらいいなぁと願っていました。




と言っても私のはアフリカの西 ギニアのあたりの音楽。インドとのつながりを感じさせる東の音楽のマゴソスクールとは同じではありません。


メインで演奏するか、歌の伴奏かの違いも大きいですし、太鼓の形、使っている楽器も違っています。

2011年12月23日金曜日

Fさんのことを想っていて気付いた クリスマスという奇跡

まあまあまあ こんな私一人にもいろんなことが続きますよねぇ。

それでも クリスマスには奇跡が起こる! の 確信は揺らぎません。



 実のところ、“1120日”を経ているので、こうして言葉をまとめている内に気持ちは定まってきているんだけれど。

Eメールも電話もダメ という状況の中で、Fさんからの 昔々のメールに載っていた一つの住所。何らかの縁あること間違いないこの住所に手紙を出そうか。関係するブログページを印刷して送ろうか、「捨てる前に一読を!」と書いて。



考えてみました。

私は“良き訪れ”と思っているけど、Fさんにとって、お互いにとって良いことなのか。

連絡することでまた波風が立つんだろうなぁ、彼女にすれば「やっと落ち着いてきたところなのに!」と思うんだろうなぁ。



だけど私は、知ってほしいのです 伝えたいのです。

きっかけ 程度 は様々だとしても、生きて生活していれば何かしら(波風)あるもの。

そんな時、疲れた時は休むのが一番。具合の悪いときは寝るのも方法。逃れるというのも時には有り。 

でもいつまでも逃げ続けるのはできない。いつの時か立ち止まり見つめ直し、それから再び自分の力・足で歩きだし立ち向かわなければならないこと。

今はまだ、疲れも取れずエネルギーもたまっていないようだけど、Fさんにはその力があると確信しています。

これを伝えたい。 Fさんに気づいてほしい。



と考えてきて

クリスマス には・これから奇跡が起きる !  ではなくて、すでに奇跡が起きているんだということに気づきました、遅ればせながら。

救い主イエスキリストが誕生しているということ、こうして私があるということがすでに感謝すべきことだということに。

奇跡を待ち望んでいたけれど奇跡はすでに起きていた、与えられていたのです。



奇跡がすでに起きていなかったら、私は生きていません。 

私にとっては十分に辛いこと耐え切れないことがありました。 だから、神を知らなければ神に守られていなかったら、今のように生きていなかったと思います。



私が望むような奇跡も起きたらもっと感謝だけど…

関西電力の“原発推進見直し”方針


関西電力の八木誠社長は19日の記者会見で「原子力発電の推進を柱とする20103月に公表した長期経営戦略2030の見直しを検討する。」

「今後いろんな案が出てくるが、あのような原発事故が発生した中で原子力の比率を上げるというのは採りにくい案」との方針を示しました。



先日の大阪の選挙結果、関西電力の原発立地地域での反応などの影響も大きいと思うけれど、原発事故を起こした当事者の東京電力ではなくて関西電力からこのような方針選択発言が出てくるとは。

 こんな大事故を起こした当事者の東京電力は何を考えているんだろう。

会社にこれだけ大損害を与えているのに経営責任者はまだわからないんだろうか。

 会社の維持運営としてもおかしいと思いますけどね。



以前から「事故が起きたらどうするのか」と問えば「事故は起きません絶対安全です」としか言わなくて99.999・・・いったいいくつ小数点以下の9を並べて見せたでしょう。

いくら小さくても、もしかという可能性は残るわけだし、それが現実のものとなったときどうするか!ということを問うているのに全然かみ合いませんでした。

平常時でも廃棄物処理の問題が未解決で、未だめどが立たず保管場所もいっぱいになってしまって大問題になっているのに。



“安物買いの銭失い” でしたとなぜ言えないのでしょう。

2011年12月21日水曜日

1-15-32 マシモニユースのリーダー ジョンさん


一番後ろがリーダー ジョンさん
お昼をごちそうになっている時。

マシモニ・ユース・グループのリーダー ジョンさんが、さっきみんなで歌った「大きな歌」の楽譜を手に、意味を教えてくれと話しかけてきました。

 気に入ってくれたようです。

 もしかしたら、グループのCDに入るかな?

 でもそのときは、原曲とはずいぶん趣の変わったものになるのでしょうか。