2011年12月18日日曜日

従軍慰安婦 という言い方は 本質を見えなくしています

  日本政府に謝罪と賠償を求めての水曜デモが、20111214日、19921月に始まって以来1000回になったという報道がありました。

1000回というそれだけでも大きな到達の上に、今年の8月韓国憲法裁判所が「“慰安婦”と在韓被爆者の賠償請求権について韓国政府が措置を講じなかったのは違憲」という結論を出した後ということ、被害者を象徴する少女像が在韓日本大使館前に設置されたということもありこれまで以上に大きく取り上げられたように感じます。

 対する日本政府の反応は素早かったですねぇ。

 
気にしていることにふれられるといやなもの。 

 身構えるというか体を堅くするというか、今回の日本政府の対応を見ているとまさにそういう感じですね。 

  認めないから、責任を果たさないから、いつまでも言われるんですよ。

 


 ところで。
 報道では“従軍慰安婦”と言う言葉が使われていましたけど、この言葉やめた方がいいと思います。

 この言い方をするからいつまでも多くの日本人に本質が見えないんじゃないでしょうか。

 韓国・広州市のナヌムの家を訪問したとき(20109)「国連を始め世界的には人権問題として 慰安婦ではなく性奴隷という言葉を使っている」と説明を受けました。 

 確かに性奴隷という言いかたの方が事の本質を的確に言い表していると思います。


 日本以外、外国で伝えられるときは性奴隷=セクシャルスレィブ。でも日本国内では“慰安婦”。
 日本の良くない言い換え「自衛隊は自衛隊であって軍隊ではない」と同じパターンですね。 


 この“慰安”という言葉。会社の福利厚生の一つとしての慰安旅行・社員旅行の事を言うときにも使うけど同じレベルのことではないでしょ。
 事は同じ言葉を使って良い事!

 
 6070年前にこんなにひどいことを企てた人は軍隊・兵隊への福利厚生の発想でやったとでもいうの。
 相手のことをぜんぜん考えてない。相手の痛みをぜんぜん感じられない。
 そのレベルの人権意識なんですよ。

今からでもいいから、本質を正しく認識するために従軍慰安婦ではなく本人の意思を無視して強制された性奴隷=セクシャルスレィブといういい方に変えるべきですね。

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