2011年12月31日土曜日

Fさんからの31日目のメール  私のためだけに書かれたEメール

   F さんとのこのたびのことを 動機付け という意味合いの題でまとめておこうと取りかかってみたんだけれど、どうにも筆の運びが悪くて(パソコンなのに“筆”というのも変な話)いろいろ考えていました。

そしたら思いついたんです。

新たな人間関係を作る大変さは良くも悪くも経験があるので容易に想像がつきます。
 家族・家庭が与えられたらどれだけ幸福なことかと心底想うけれど、一人暮らしの気軽さにも慣れてしまった今、日々生活していく上で特に困ること不自由もこともないので、その大変さに立ち向かってでも!という必要性はあまり強くは感じません。
(私にとっては十分)つらい経験から、気力の方も正直なところあやしい。

そんなこともあって自分のことには億劫になっていました。
人の相談には乗れるしアドバイスはできる、時には行動も。
 だけど自分のことだと、疲れがとれていなくてぐったりだし面倒で。
困るのは私(だけ)。だったら無理することもないか、となってしまっていました。

 それでも時が過ぎ、徐々にエネルギーもたまってきていたのでしょうか。
“縁があるなら!”と考えられるようになってきていました。


  Fさんは、メーカーやショップなどの宣伝、用件のEメール以外の、ある意味“なんでもないEメール”を、私のためだけに書いてくれました。 

Fさんからは何度もメールが来ました。日によっては複数の日も。  
 FさんはEメールの中で、なんでも話してくれました。
それが私の気持に作用しました。

何時も会っている人 いつも話している人はひたしさが増します。

 

Fさんが話してくれたことはいずれも、人間性の伝わってくるもの。人のベースとしていずれも大切なことでした。

だけどいろいろ考えていて気づいたのは、そのベースの上に乗っている具体的なことになるとわからないことばかり。好きなものは何か嫌いなものは何か、知らないことばかり。ということに初めて気づいたんです。

そういうことで言うと、Fさんからの86日の31日目のEメールにあった「~お互いにきちんと向き合える人が大事と思います・・・」は同感。 

具体的にどう進めていこうかと考えました。それが基にあったから、初めて会うお母さんに、(大人の男性として)「結婚を前提としておつき合いします」という挨拶をさせたんだと思っています。

だけど彼女は、身を翻しお互いに向き合うことを避けてしまったんだなぁと気づきました。

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