2011年12月18日日曜日

調停委員の姿勢


ずぅっと私の中では釈然としないものがあり続けたんだけど、気にしながらも触れられませんでした。



明らかになってみたら、転校をはじめとして各種手続きがすんでいて、これから話をしてという状況ではありませんでした。
そして言われるままに同意していたのに突然送られてきた調停開始の通知。

 その中で明らかになってきたことの中の、子供の親権も既に決まってしまっている・書き込まれている書面。

数年前から具合の悪かった私はそれを目にしてもう抗う気力もなくとどめを刺された感じでした。もう今更私にはどうしようもないと思いましたね。





それはさておき、今日ここで言いたいのは「家庭裁判所・離婚調停、離婚調停員」のこと。



一番理解してもらいたい人に理解してもらえず(以前書いたように、眠れない とやっと助けを求められるようになったとき よく寝てる!と全然受け入れてもらえなくそれ以降話そう 聞いてもらおうという気力がなくなった)、主治医には今の(病気の)状態で重大な決断は避けるようにといわれていました。

調停員の二人にそれを伝えてもぜんぜん聞いてくれませんでした。

最初の何回かは、今は決めるのは許してほしいと訴えていたんですが、それが聞き入れられるわけでもなく、次の調停日もおなじところから話が始まって提案されたことに私が同意しなければことが全然進まない話が進展しない。

 一目で年齢的にも人生経験を積んできた人であることはすぐわかりました。社会的にも名士と言われる人たちなのでしょう。

でもこの人たちには“離婚調停成立”以外の着地点を何とか見つけようと言う姿勢はありませんでした。

こういう進め方で良いものなのでしょうか。離婚成立も選択肢の中の一つということから始められないものなんでしょうか。

調停というのは人生経験を活かして間を取り持つとかすり合わせるというものでは全くないものなんでしょうか。

これでは、最初から決まっている結論以外には何もなし でしかありません。

離婚も選択肢の一つとして、修復・再出発という視点はそもそもないものなんでしょうか。



ドラマにもなった「家裁の人」とか「ジャッジ・島の裁判官」なんかを思うとほんとに感じます。
  それを見ると、もちろん全部が修復されるわけではなく、ダメなものはダメ。だけど別の道を歩みだすにしても 新たな気持ちで再出発していましたねぇ。

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