2011年12月23日金曜日

Fさんのことを想っていて気付いた クリスマスという奇跡

まあまあまあ こんな私一人にもいろんなことが続きますよねぇ。

それでも クリスマスには奇跡が起こる! の 確信は揺らぎません。



 実のところ、“1120日”を経ているので、こうして言葉をまとめている内に気持ちは定まってきているんだけれど。

Eメールも電話もダメ という状況の中で、Fさんからの 昔々のメールに載っていた一つの住所。何らかの縁あること間違いないこの住所に手紙を出そうか。関係するブログページを印刷して送ろうか、「捨てる前に一読を!」と書いて。



考えてみました。

私は“良き訪れ”と思っているけど、Fさんにとって、お互いにとって良いことなのか。

連絡することでまた波風が立つんだろうなぁ、彼女にすれば「やっと落ち着いてきたところなのに!」と思うんだろうなぁ。



だけど私は、知ってほしいのです 伝えたいのです。

きっかけ 程度 は様々だとしても、生きて生活していれば何かしら(波風)あるもの。

そんな時、疲れた時は休むのが一番。具合の悪いときは寝るのも方法。逃れるというのも時には有り。 

でもいつまでも逃げ続けるのはできない。いつの時か立ち止まり見つめ直し、それから再び自分の力・足で歩きだし立ち向かわなければならないこと。

今はまだ、疲れも取れずエネルギーもたまっていないようだけど、Fさんにはその力があると確信しています。

これを伝えたい。 Fさんに気づいてほしい。



と考えてきて

クリスマス には・これから奇跡が起きる !  ではなくて、すでに奇跡が起きているんだということに気づきました、遅ればせながら。

救い主イエスキリストが誕生しているということ、こうして私があるということがすでに感謝すべきことだということに。

奇跡を待ち望んでいたけれど奇跡はすでに起きていた、与えられていたのです。



奇跡がすでに起きていなかったら、私は生きていません。 

私にとっては十分に辛いこと耐え切れないことがありました。 だから、神を知らなければ神に守られていなかったら、今のように生きていなかったと思います。



私が望むような奇跡も起きたらもっと感謝だけど…

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