2011年12月11日日曜日

「バベットの晩餐会」「ラブ・アクチュアリー」を観て改めて感じた言葉の大切さと想うことの大切さ


 待ち望んでいた「バベットの晩餐会」のDVDがやっと出ました。 
何年ぶりかなぁ。久しぶりに観たけどやっぱり良いですねぇ~

 ある嵐の夜、デンマークの寒村に行き倒れ寸前の女性(バベット)が、牧師である父亡き後もその教えを守り生活している姉妹のもとを訪ねてくる。
今は歳を重ねた姉妹が若かったころに結んだ縁が三人を引き合わせたのです。
 だんだん元気を取り戻し村の中でも存在感を高めていく。数年が過ぎ、牧師の生誕記念にバベットが宝くじで偶然手に入れた一万フランという大金で会食会をしたいと申し出る。
会食のさなかで明らかになる、パリで超一流と言われたレストランの料理長だった過去。
 ところが信仰のために虚飾を遠ざける(から守る)教えを受け入れていた姉妹と信者は、これは試練だ誘惑に負けてはいけない。会食の場では一切目の前の食べ物について話さないようにしようと申し合わせて望むのです。
 次々と出される、目にも鮮やかなお料理。姉妹に縁のあった将軍が青年将校時代パリで一度だけ行ったレストランの料理とそっくりだと言って観ている私たちにもわかるようにその素晴らしさを伝えてくれる設定も素晴らしさを一段と感じるつくりになっていました。

 映画としての出来はもちろん好ましいものだけれど、この晩餐会の時の信者たちのかわす言葉・話がなんとも素晴らしく。ある言葉・テーマを封じることによって逆に会話・話題が豊かになる、言葉を慎重に選べるようになると言うことを余すことなく伝えてくれました。
 言葉を選ぶ、あえて制限を加えることで生まれる豊かさ、そして人間の素晴らしさを感じました。



 言葉そのものが通じなかったらどうなるか。
そういう時に思い出す映画は「ラブ・アクチュアリー」。

クリスマスを目前に控えた日々の中での人々の悲喜こもごもの話。シェークスピア作品のようにラストですべての話がつながってきて大団円。観ていて“クリスマスには奇跡が起こる”を改めて確信しましたね。

シーンとしても有名になった話し、観ていて痛快感を感じたシーン…みんなよかったけど、今日の話で言うなら、コリン・ファースの出ている話。

大切な人を大切な肉親のせいで失ってしまう小説家。傷心のまま滞在した別荘に働きに来ていたポルトガル女性。
 言葉が通じない。お互い自分の中で自分の母国語で考えている。意思疎通ができない。
言葉が話せない分、行き違いも起こる、けれど深く考え 想う。
言葉では通じていないのに想っていることはだんだんだんだんかみ合いだす。

彼女は故郷に帰り、お互い別々の生活に戻っていく。けれど話をしたい想いを伝えたいと彼はポルトガル語を学び彼女の故郷に出向く。大騒動の中再会した彼女は、彼の母国語である英語を習っていた…


この「ラブアクチュアリー」。切ない気持ちになる時もあるけど、どの話をとっても気持ちがしっとりとし、同時にうきうきとしてきます。痛快なシーンを見ると、今一度踏み出してみようという言う元気が湧いてきます。

人間って、そして人間と人間って好いなぁ。

まだ一度も見たことのない人にはぜひ一見をお勧めします。



クリスマスには奇跡が起こる!

私はこの映画を観ると、人間の持つ可能性が、どれだけ困難でもいつか世界に平安をもたらすと希望を持ちます。

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