2012年1月22日日曜日

クリスチャンが仲立ちをできたら


部屋にエアコンを一台付けるだけなのに、このところけっこう大変でした。

引越ししないし、整理して捨てるのがへたなうえに置いておく場所があるものだから“物”、特に紙物がたくさんあって。

で、電気工事の人エアコンを設置する人も来ることだし多少ではあるけれど掃除(整理)をしました。整理の途中の乱雑さもあるような気もするけど、切抜きしようと保存しておいた(古)新聞の山がいくらか低く小さくなったかな?!

とにかくエアコンのおかげで部屋は快適。考え願っていた以上の変化に、こんなことなら(自虐的な)半分遊びのつもりではあったけど我慢なんかしないで早くつければよかったとほんとに思います。

今回整理している中で、ヤッパリこれからもとっておいた方がいいものもたくさんありました。

資料・情報としての新聞や各種冊子もたくさんあったけど、中でも手にした時思わずびっくりし続いて感謝したのが昔に書き留めていたもの。

  その一つを



LOVE」の反対は「無関心」

  マザー・テレサ


「殺戮に直面したら―傍観も加勢と同じだ。」

   映画・ノー・マンズ・ランド より


「最初共産主義者が連れ去られる時

 私は共産主義者じゃないからと何もしなかった。

 次に社会主義者が連れ去られる時

 私は社会主義者じゃないからと何もしなかった。

 次に自由主義者や無神論者が連れ去られる時も

 私は何もしなかった。

 最後にクリスチャンである私が連れて行かれる時

 もう周りには反対する人は誰もいなかった。」

      マルチン・ニーメラー



 なぜ私が、こんなことを言うのか するのか かかわるのか。

それは、積極的だからではなく、怖いからです。

 私にとってよくないこと、願に反することを強いられる時、

一人ぼっちにはなりたくないからです。




 いろいろあったけど私 ぶれてないわ

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