2012年1月8日日曜日

案ずるより産むがやすし  見えないと言うこと  見ないと言うこと

 クリスマス休暇は23日から土曜を挟んで3連休となりました。
25日朝の日曜礼拝はだめでも、24日夜のイブ礼拝ならいけそうだと思って、自分に言い聞かせ気合いを入れていました。

そこへクリスマス寒波の到来。



23日はAさんの誕生日。 ここしばらく考えに考えてやっと書き上げ投函した誕生日のメッセージ。 

その反動か。連休初日の23日の朝。日頃の疲れとも相まって起きられず、悔いの残る時間、一日の過ごし方をしてしまいました。
 途中で、今日はもう寝ていよう と決めて、カーテンも開けませんでした。
 

 そこでリズムが狂ってしまったのか、結局のところ翌日のイブ礼拝に行けませんでした。


カーテン越しに暗い部屋に容赦なく押し寄せてくる、寒波 ゴー ピューッという風の音。
暗い部屋にカーテン越しに聞こえてくる音はピューの方が恐怖を掻き立てます。
 仕方なく起きるトイレのスリガラス越しには柿畑の真っ白な雪が見えます。

外に全然出ませんでした。カーテンを開けませんでした。カーテン越しに外をのぞき見ることもしませんでした。  

カーテンで目が気持ちが“ブラインド”状態だったんです。

“見えない感覚”は気持ちをなえさせ心を閉ざします。一歩を踏み出す気力が湧いてこないのです。怖いものです。



ところが、ほんの短時間で済む用件なんだけど、どうしても外へ出なくて果たせないことがあって仕方なく、25日の夕方に玄関を出て見たら…  雪なんて ないじゃないの!

いや、正確には家の屋根や脇、木の上にはあるんだけど道には何にもない。

ちゃんと目を開けて。ちゃんとカーテンを開けて外をちょっとでも見てみればなんてことはない。ちょっと手をかけるだけでできたことなのに。たったそれだけの事ができなかった。

ピューツという風の音におびえ、窓越しに白いものが目に入ったからと布団をかぶって籠っていたのです。

でも事実は 案ずるより産むがやすし だったという典型的な話。3日間だったわけです。



今回のことで一つ学習したけれどなかなかその勇気がなくって。

日々生きていく中でいろいろねぇ…

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