ある集まりで話したものを一部加筆修正して掲載します。
私は、22回を数えた沖縄平和ツアーに、6月の1・2・3の日程で参加してきました。
3日もあれば結構回れるかなぁと思っていたら大間違い。
とてもとても、回りきれませんでした。(もう何年も行きたいと願っていたマブニの丘も行けませんでした)
バスは那覇の街を走り宜野湾を目指します。
今日から3日間私たちに同行して案内をしてくれるIさんの話は途切れることがありません。
バスが走る道の右も左も後ろも前もすべてに戦争の傷跡が残っているのです。
沖縄の戦いでは、日常に暮らしている所でそれだけ戦闘が行われたということなのでしょう。
それほどですから話すことはたくさんあるのですが、それこそ限がありませんので今日は実際にその場に立ったから感じたこと わかったことを3つに絞って話します。
戦跡とは別ですが、現在第2次世界大戦後アメリカ合衆国軍によって沖縄県の面積の20数%、30%近くが基地にされているそうです。大きい数字ですよね。
そのほかにも、基地の敷地外にアメリカ軍に関係する人たちの住宅が建ち並ぶ地域があって、その辺り一帯は日本人立ち入り禁止なんだそうです。そのような“基地外基地”を合わせると本当のところはどれくらいの%までに増えてしまうのでしょうか。
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