BS朝日の番組収録(8月2日)に際して民主党の仙石政調会長代行が、毎週金曜に継続して行われている脱原発首相官邸の包囲デモに対してこうコメントしたそうです。
「原発をやるくらいなら貧しくてもロウソクで生活しようとの議論があるのはわかるが、日本人の多くはそうではないと思う」と。
これですよ。多くの国民の声を“大きな音”としか認識できない程度だから、いまだにこの認識、発言なんですよ。
流れる汗 痛い日差し の夏。巻原発住民投票の夏です。
考えれば、3・11以降は一段と意味を増したこの住民投票だったと思います。
巻においては1996年8月4日の住民投票の前から20年30年にわたって“原発(建設)”が生活・選挙の争点になり続けていました。
全然知らなかったわけではないけれど、その深刻さは90年に越してきてから初めて知り感じることがたくさんありました。
町は、原発建設で発展どころか二分しての対立状態でした。
私は、原発は固定型の原子爆弾だと思っているので、こんな危ないものは作らせてはいけないと自分なりにかかわってきました。
その際に浴びせられた言葉があります。
原発建設を昔から推進してきたおじいさんが 「原発に反対するんならお前らは電気を使うな」 と大声で怒鳴ったんです。
それを聞いて私は、ある意味びっくり、同時に20年も30年もせめぎあったままなのがわかりました。
こういう程度の話が出るということ自体が、すでに話し合いの大前提としてかみ合っていないということだと思いました。
今の時代、使用電力量に程度の差はあっても電気を全く使わない生活なんて誰も考えていません。
ただ、電気の作り方として、原発はあまりにも危険すぎるから無い方がいいと言っているのに、と。
こんなことを言ってはいけないんでしょうけど、じゃああなたは自分の選択している原発の発電した電気だけで生活したら、と思いましたね。
当時でも原発による発電の占める割合は25~30%でした。(細かい調節が難しい原発はフル稼働で、他の発電方法で調節するので。)原発以外の発電の方が70~75%なんだよって。
それからまた約20年。実際に原発事故が起きたここまで来て“ローソク”発言とはねぇ。
いまさら、人類が長い年月をかけて到達した、電気のある生活を一切なくしてローソクですか。
電気を認めるかどうかではなく発電方法について意思表示をしているんですよ。
本質を見ていない、言っていることを聞かない。→最初から結論を決めている。
この対応、普天間をはじめとする基地の問題、オスプレイの問題と共通してますね。
歳が行ってもいろんな人がいます。人生の先輩として目標になる人も。
だけど、こんな発言をしてしまうようでは民主党仙石政調会長代理は“老害”に足を踏み入れていると言われても仕方ありませんね。
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