同じ事、同じ話でも受け取り方は“時”とともに移ろうのは世の常。
“あの日”を境に、私の事・私が話していたことの解釈がFさんの中でどのように変わっていったのか。
それを以てFさんはどのように相談・話していたのか。
「相談を受けている」と話してくれた人はどう聞いていたのか。
気にならないと言ったら嘘になります。
私にだけ向けての声(Eメール)だと思った一通は、実はだれでも彼でも出していた中の一通だったということを知らされました。
(私から見れば危険と思える)電子媒体で不特定に向けての発信までしているのも教えられ、確かにそういうものが存在していました。
私が一人で大きな勘違いをしていたことを認めざるを得ませんでした。
Fさんの病気のこと勉強しました。
「私なら病気を理解しFさんの力になれる」と思ったのがいかに甘い考えだったのかわかりました。
そのような日々を暮らしようやく現実を受け入れられるようになって今日に至ったんです。
だから聞きたくないと言ったら嘘になるかもしれないけど、やっとここまでになれたんだから「もう蒸し返さないで」という気持ちの方が大きいのです。
「いまさら聞いてどうなるの」という気持ちにやっとなれたんだから、スパッと潔くしなくちゃ。
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