スポーツマンシップあふれるひたむきさや素晴らしい記録、物事・歴史の節目としての意義あることの数々に感動しているロンドン・オリンピックもあとわずか。
そんなオリンピックに関連して、この間テレビで何度か目にし印象に残ったCMを一つ。
だれもがほしいと思っているオリンピックの金メダル。念願かなって体操の内村航平選手が個人総合の金メダルを首にかけました。
その内村選手が、以前2位銀メダルだった時のこと。
悲観に暮れる子どもにお母さんがかけた言葉が「銀メダルの銀は、金より良いと書くのよ」
素晴らしい。
愛情あふれるこの言葉。私は泣いてしまいました。
そして、一瞬でいろんな思いが頭を駆け巡りました。
思えば。困難に負けそうになり悲しみに打ちひしがれている時、周りの人はどうしてやることもできない時があります。
代わってやることもできません。なにか手助けができても、ほんとに立ち直るのは本人次第。
本人がその問題を本人なりに受け入れ対応できるようにならなければどうしようもないのですから。
そんなときは、ただひたすらそばにいる。
そばにいて寄り添い、何か話しかけてきたら、助けを求めて来たらすぐ応えられるよう待ってあげる。
何を言っても耳にはいらない時もあるから。
何も話さなくともいい。ただそばにいてあげるだけ。
そんな時周りだって辛いのよ、どうしたらいいかわかるわけもないし頓珍漢なことを言ってるんでしょう。
時が味方して周りのことが少し目に入り聞こえるようになってきたら、その時何か適切な言葉をかけてあげられたらいい。そう希う。
「銀メダルの銀は、金より良いと書くのよ」
この言葉はそんな典型じゃないのかな。
それでどうなの、言っていることはほんとなの?なんてのは愚の骨頂。
この度金メダルを取れたのは多少の運と、もちろん本人のたゆまぬ努力の賜物なんだけど、その努力を支えたのはこの言葉だったんじゃないのかな。
ちなみに私の個人的な体験では「ただそばにいるだけで何にもしてくれなかった」とあとで言われたことがあります。
いつもその声を聴きいつも見ていたつもりだったんだけど、べらべらと喋ればよかったのかな。
全部が別のケースなんだから、こうすれば という答のないことは知っています。
とは言え難しく苦しい。
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