2020年12月31日木曜日

クリスマスには奇跡が起きる

  


同じ題目で何年も書いてくるとシリーズみたいになってきました。ラベルを作ってもいいくらいになってきましたが、今年のクリスマスもやっぱり奇跡が起こりました。

折々に時期の物などを送ってはいたのですが、このクリスマス、それもちょうど24日にサーモスやケーキ 珍味の類と共に、字を覚えたての頃は結構ある左右逆転の「く」で「めりーくりすます」と書いてくれたクリスマスカードが届きました。 離れて暮らし行き来もできていない子どもとその子どもからの贈り物。  嬉しい  そして、今年の締めくくりがこのような話で終えることができることに感謝

インセマダ

 


 写真の物は一見ケーキのように見えますが、「インセマダ」と言うフィリピンの“パン”だそうです。 初めて目にしたときはケーキかとも思ったんですが、今回再確認したところパンで間違いないとのことでした。 確かにベースとなる所はパンが使われていて、その上に甘みだけでなく塩気も結構あるちょうどバタークリームの様なものがたっぷり。その上に線状に削り出したココナッツがたっぷりまぶされたものでした。 

 最初にフィリピンに行く前誰からだったか、フィリピンの主食はお米と教えてもらいました。 実際に行ってみて「そうなんだ」と感じたのが、教えられて思っていた以上にお米をたくさん食べる人たちだという事。実は 海の物 魚をたくさん食べていたという事。 同時に。泊めてもらったビレッジの家のお向かいさんだったのであいさつを交わしていたお爺さんが、ある朝茶色の小袋に買ってきたパンデサールという、ちょうど二つか三つの子どものこぶしほどの大きさのパンを「こっちに来て一緒に食べなさい」と手招きしてくれてごちそうしてくれました。 特に、バターたっぷりとか味がというものではありませんでしたが、出来立て焼きたてのこの小ぶりのパンは美味しいものでした。その値段が一つ2ペソ。安い!(名前は同じで少し大ぶりの物は5ペソ)。 この買いやすさと、そのもの自体が大きく味を主張していないので主食になるなぁと思った覚えがあります。 フィリピンには、日本の菓子パンほどにはパンの種類はないとのことですが、ほんのご近所にパン屋さんが有り、実はパンも結構と食べられているという印象を持ちました。(同じ値段で中に、甘く味付けされた線状のココナッツの餡が入っているパンデココというものもあり。こちらは甘さも有りお菓子寄りか。)

上には上がいるものです。

  



変な意味で さすが と言ったらいいのでしょうか、部下にあたる職員の死者まで出した「森友学園事件」に関しての佐川元局長108回を上回る118回の嘘が衆議院調査局に指摘された安倍前首相。 佐川さんが嘘を108回もつき続けたのは安倍さんに“忖度”して嘘をついたのでしたから合算してもいいのかな、と思って見なおして気づきました。 衆議院調査局が21日に発表した、201911月から20203月までの間の衆議院参議院の本会議 委員会で国会議員 首相として「桜を見る会 前夜祭費用」をめぐっての嘘答弁は118回。そう、「森友学園事件」とは別の「桜を見る会 前夜祭費用」の方だったんです。いま取り上げられているだけでも他にもあるわけですから、よくもまぁあちこちで嘘をつき続けていたものです。 検察に聴取される事態となってからの“謝罪”会見も、結局何だったの?と言う、謝罪にも説明にもなっていない物。会見後、本人は十分説明したし謝罪したと思っているようですが。言葉が軽い、口先だけ、自分の発言になぁんにも責任を感じていません。 たどってみれば、お爺さんの岸元首相は、戦前は 鬼畜米英 戦後は親米一辺倒。その変わり身の早さ 国民を欺く態度は、敗戦によってガラッと変わってしまった社会に順応できず苦しんでいた国民とは大きく異なります。 そのお爺さん(岸伸介)の兄弟、弟にあたる佐藤栄作元首相(ノーベル平和賞受賞者)もすごい嘘つきでした。 沖縄返還にあたって、非核
3原則を堅持していた日本は沖縄の返還 本土復帰にあたって“核”抜きでの返還のはずでした。最近になってそれが実はアメリカ合衆国との間で密約があったという事が明らかになりました。 当時日本の政府はアメリカ合衆国に対して、聞けば相手も答えなくてはならなくなりますから() あえて触れない 言わない 問いたださないというやり方で対し、日本国内の質問には「日本には非核3原則が有りますから」で満足に答えないでごまかし嘘をつき通していたという事だったわけです。 安倍さんの嘘、最初は保身のための嘘が始まりだったなどととらえた時もありましたが、こうたどってみると安倍さんは筋金入りの嘘つきだったというわけですね。

2020年12月29日火曜日

エッセンシャルワーカー の事


 残念な思いです。この度のCOVID-19に関しては、振り返って見れば もっと早く○○していたら とか ○○をしていれば と悔やまれることがいくつもありますが、これもその一つ。 単語としての エッセンシャル は前から耳にしていました。でも言葉として エッセンシャルワーカー と言う言い方を私としては初めて知りました。 この言葉を初めて耳にしたのは、緊急事態宣言が出され 不要不急の外出は控えるように言われ 飲食店は営業自粛が“要請”され オンライン・リモート勤務 も取り入れられた・・・  その時でしたね。私が知らないだけで、以前から使われていた言葉なのしょうか。 誰でもがすぐ理解できるように、それを示す日本語だってあったのに(いや、日本語能力に難があるのか!?) 話題にはなったと思いますけど、わざわざカタカナ英語を持ち出した東京都の小池さんの様にこの言葉も言い出したのでしょうか。 とにかく、この時多くの人は初めて気づいたんじゃないでしょうか。食べ物を扱うお店(スーパーだけでなくコンビニも個人商店も)、水 電気 ガス 通信 交通 全国一斉休校になった時の子どもの行き先、COVID-19の感染拡大で最前線に立った医療機関 保健所 行政・ごみ収集…。これらはオンラインはできないし自粛をしたらみんなが生活していけなくなる業種。実は日々の生活を送る中で不可欠な仕事だったという事を初めて身をもって認識したんじゃないでしょうか。 一時はこの事がさまざまに取り上げられ、評価しましょう感謝しましょうという感じだったのですが、その後どこへ行ったのやら。 職業に貴賤はない と良いながら実は社会的地位も評価の一つの表れとしての賃金・雇用条件も不十分なまま。結局旧態依然のままになっています。 働く人の最低賃金を底上げするのが急務ですが、働いた人が正しく評価され。 高齢になってもまだ働かなければならない社会がおかしいと誰もが気づき、変わらなければおかしいと思います。 エッセンシャルワーカーと言う言葉が言われた時がいい機会だったと思うんですけど残念な思いです。

2020年12月27日日曜日

感染症流行時に特有なストレス反応 2/2 


連載の2回目は「不安」についてでした。これも順序だてて説明 解説してくれています。

私なりにですがまとめてみると。 まず、「人はどんな時に不安を感じるのか」について。人は「解らない物」「目に見えない物」「これまでの生活で知りえなかったもの」「体験したことのないもの」に遭遇してしまった時に不安を覚えるのだそうです。 話は横道にそれますが、川柳と言っていいのでしょうか「幽霊の正体見たり枯れ尾花」を思い出します。もう一つ。これは私が小さいころ母の実家に泊まりに行った時、頼みもしないのに聞かされて一晩ドキドキ怖い思いをした話ですが「夜中にお便所に起きた時、遠くの方に何か白っぽくて動くものがあった。幽霊かと思って一晩怖い思いをしたことがある。 翌朝明るくなってはっきり見えたのは、乾かしていた白いタオルだったけどね。」というお話を思い出しました。

COVID-19対策はちゃんとしなければだめなのはいずれにしても変わりませんが、案外こんなもの、「正しく恐れる」のが大事という事でしょうか。

次、「不安な気持ちになってしまったらどうするか。」 今新型コロナウイルス=COVID-19感染が拡大する一方の状況で書かれているものですから ウイルス が引き合いに出されていますが、「(見えないウイルスに対して)不安になるのは自然なことだと認める。」「不安は消そうとするのではなく上手に付き合うという姿勢が大切。」まさに、「これまでの生活で知りえなかった物 体験したことのない物」「目に見えない 解らない物」と接したときという事ですね。 それから、「不安になった時の自分の特徴・傾向に気づくこと。」どんな時に 何に対して不安になりやすいのかを振り返って見る。そして・その特徴に対して具体的な対処法を考えてみる。同じ境遇の人と状況や不安を話し合い支え合うことも有効 だそうです。 対処してもなかなか状況を変えられない場合は、今自分が変えられることは何かという視点で対処法を考えてみるでもいいんだそうです。確かに、まだまだ解明されない事ばかり、状況は深刻化する一方。様々に対策は取られてはいるけれど混乱が続き先の見通せない状況に居ます。 そういう状況では、「正しく恐れて(認めて) 協力して 上手に付き合っていく」 と言うのが今一番なのかもしれ無いと思いました。 

2020年12月20日日曜日

感染症流行時に特有なストレス反応 1/2   3つの感染症

「ウイズコロナで大切なこころのケアとは」という全3回連載の1・2回を見たところで書いています。

その第一回の記事の中に「感染症流行時に特有なストレス反応」という事での表を見つけました。 元は、日本赤十字社が公表している「新型コロナウイルス感染症・COVID-19に対応する職員のためのサポートガイド」。それによると、感染症には3つあるそれは1生物学的感染症 2心理的感染症 3社会的感染症 だそうです。 もちろん3つがばらばらにあるわけではなくて、生物学的感染そしてその拡大によって人々の不安や恐怖(心理的感染症)が大きくなり。それによってウイルスを遠ざけようとする心理が働く―差別や偏見が生じる(社会的感染症)という連鎖が説明されていました。 今の第3波と言われる感染拡大下の状況ですから、新型コロナウイルス感染症・COVID-19によって引き起こされる事柄、その説明(対処の仕方)は貴重な話だと思います。 それ以上に、日常において心理的感染社会的感染というものが、新自由主義という考え方で推し進められてきていた社会で、特にこの2番と3番の感染症を悪用してトランプ大統領が社会の分断を一層深刻なものにし不安を植え付け拡大した今のアメリカ合衆国の社会情勢(日本を含めたほかの国々も)今回の新型コロナウイルス感染症・COVID-19の感染拡大下この表に当てはめて考えてみると腑に落ちると感じたからなのです。

 

2020年12月18日金曜日

イノシシ(猪)出没


 これにはさすがにびっくりしました。 狸や雉は昔から結構日常の生活範囲に重なって見かける生き物で、新潟海岸の風物詩でもある防風林が控えてるからかなぁと思ってました。 でも猪となると。それも新潟市の周辺部ではなく中央区と言う賑やかで山間部からも一番離れている街中に猪が出るとはびっくりです。 以前、山が控えているとはいってもそんなに山間僻地でもない所()に熊が出たというニュースが話題になった時「熊はどこにでもいる。新潟で居ないのは角田山と弥彦くらいだ」という事を言う人が居ました。その人が言うには、川筋をたどって山からやって来るんだという事でした。 そう言われてみれば、その時「熊が出た」と話題になった所も今回「猪が出た」という張り出しのあたりも確かに川が有り、経由しながらたどると山の方まで地続きになります。 緩衝帯でもあった里山は消え、再開発と言う名の人の都合で野山の自然を侵食し植生も変え、そこへ地球環境破壊も大きく影響。 今回のことも、形は猪の方がやって来た形ですが、実は人の方が様々な勢子でこちらに追い出してきているという事なんでしょうね。

2020年12月13日日曜日

いよいよ冬到来

  


いよいよ冬到来。平場・海沿いも週間予報に雪だるまマークが登場しました。 例年だと12月初めに一度雪が降ったあと年明けまでカラカラ天気というパターンだったのですが、今年はその月初めの雪が全くなくここまで来ました。雪下ろしの荒天・雷もまだ鳴りません。いつもの事ながら、これから冬と言うこの時期が一番気が重くなります。いっそ冬に入ってしまえば次は春。余計なことを思わず雪でも路面凍結でも必死に乗り越えるしかなくなって、一日一日を繰り返していくと意外なほど春3月が近くにやって来るんですけどね。

さて。写真は11月も下旬に入ったとてもお天気の良かった日の物。ビルの狭間遠くに雪に覆われ始めた朝日連峰が望めます。 この日は11月と言う言葉の響きからは想像もできないほどに温かく風もなく、さすがに影が長くなる横からの物でしたが日差しがまぶしい日和の一日でした。 でもいよいよ冬なんですよね。

そうそう。昔は、雪国新潟の冬の毎日と言うと色のないどんよりとした曇天がお決まりでした。冬の期間も今よりずっと長かった印象があります。それがテレビが白黒からカラーになり、降る雪も少なく期間も短くなり街も華やかになりずいぶんと変わりました。 昔の新潟と言うと、同じ新潟なのに今以上に平場と山間部では雪の量が全然違いました。だから平場に住む私なんかは、雪国新潟とは言っても山とこちらでは違うのになぁと思ったものです。 新幹線が走るようになる前の昔々の事、今では想像のできない光景ですが、在来線の特急“とき”を降り立った知り合いの履物が長靴だったのを見て「新潟と言うとそういうイメージなんだろうなぁ」と思ったのを思い出します。 ただ、おおむね暖冬の毎年、降っても中休みがあるので根雪にはならないとは言え、たまにドカンと雪が降る(ドカ雪)年があるので油断はできませんが。さて今年はどうなりますか。 タイヤも冬タイヤに変えましたし、その朝を待ちます。

2020年12月12日土曜日

セルフ・ネグレクト


 “ためこみ症”を見つけた文章に「セルフ・ネグレクトに至る要員」という一覧が乗っていました。(注  セルフ・ネグレクト=自己の心身の障害や能力の低下により、必要不可欠なセルフケアができなくなった状態。 全米高齢者虐待問題研究所)  それによるとセルフネグレクト状態になるのは「個人的要因+アクシデント+社会的要因」という段階をたどるようです。 この一覧を見て思ったんです。 個人的要因にはためこみ症を含めて認知症やアルコール関連障害 精神疾患要因、病的買い物(これも怖い)基本的要求が満たされない(想像できる)等があげられ。 アクシデントとして、中途 突然の解雇というわけではないようなのでこれはアクシデントなのかなぁとも思いますが定年、離婚 家族の死亡 病気 怪我 手術等人生において良くも悪くも節目となるターニングポイント・危機的ライフイベントが加わり。 そこへ、最終的にはこれかなぁとも思うんですけど、社会的要因が加わるとなってしまう。 剣が峰、制度としてここで救われないと抜け出せないなぁと思いました。  

ここで気を付けておきたいのは、この様に図式・図表でまとめてあると大変解りやすいんですが、これでわかったつもり、この図式に上げられている要因を満たし当てはまらなければセルフ・ネグレクトの状態ではない。場合によっては、支援の対象から外すというような硬直した思考があってはならないこと。

 

 先日新キ兵の例会で新潟ヘルプの会の方による、外国籍の方たちの仕事・働いていくうえでの問題、家庭内でのDV被害者に対する救助活動の話を聞く機会が有りました。 個人的にこの会のことは知っていましたが、広く多くの人に認知されその活動が華々しく取り上げられるような会ではありません。当日の演者の話し方・雰囲気からしても、もちろん貴重な成果もあげ・活動を継続してきているんですが、この会が直接法律の行使とか直接的行動と言うよりは共感する(できる)会と言う印象です。 最後の質問コーナーで司会者の人と目が合って急に発言を求められ、二つほど話させてもらいました。そのうちの一つが「助けてと口に出せない人」への対応の事。 支援策・制度、人。不十分とはいえ、「助けて!」と表に出てくる人はまだいいんです、何とか対応しようと周りが必死になります。次の段階に進むことができるのですが。 “家”に閉じこもったまま、助けて というサインを出さないまま-出すことを知らない 出してもいいんだという発想がないままだと最悪 孤立死 餓死などという事があるので大変です。

 

巷には様々に活動している人・組織がありますが、政府・行政のトップ現首相が最初に言った事が、自らの果たすべき公助の役割・責任を投げ捨てて自助と言った状態ですから先行きは暗いとしか言えません。

2020年12月10日木曜日

百舌の早贄

  


 玄関の真ん前で見つけました(の写真)。目隠し用にと生えるままにしている木の枝に。 百舌(モズ)の冬場・降雪期用食料と言うわけです。生態としてこうゆう習性があることは知識として知ってはいましたが、自分のこの目で実際にと言うのは初めてだと思います。  昔、看護師・保健師と組みを作って地域訪問をしていた時、花の名前をたくさん知っている人が居て「あんなに花の名前を知ってるなんてすごいなぁ」と思った覚えがあります。その後、特に今の所に住むようになってから、ほんのお遊び程度をなかなか抜けられないながらも花木の名前・楽しみ方がわかって来たと思っています。それに比べると“鳥”の方は、植えたり種をまいたりした覚えのない花木が育つほどに鳥が・その気配がするのになかなか名前がわかりません。 調べてみましたら、こうゆう行為をたくさんしている雄の方が、雌に対してのアピールが強いのだそうです。「モズの巣はお皿様」とありましたが、そんなものも確かに前ありました。 鳥は、窓に繰り返し体当たりしてたり、葉・木々の間の羽音、家の上・空から聞こえるさえずりはわかっても姿がなかなか捉えられないんですよね。でも、確かに百舌はいるようです。


2020年12月8日火曜日

タダとウソはない


解りやすいように少し補足すると 「この世に タダと 何時までもばれないウソはない」 という事になるでしょうか。

公設秘書の事情聴取で、「桜」の方の安倍前首相自身によるウソも明らかになりましたが、「モリ カケ」の「モリ」の方=森友学園への国有地売却をめぐる安倍政権下における財務省公文書改ざん問題で事実と異なる(ウソ)答弁が実に199回もあることが公になりました。(2017年から2018年にかけての国会答弁にての衆議院調査局今回報告分)

感情的に言い返す姿勢そのものが物議をかもす。「問題とは思わない」「差し控える(安倍さん)差し控えさせていただく(菅さん)」と、本来ならそんなこと言える立場じゃないのに説明する責任に対して無自覚。 質問封じ、会見や果てには国会を開かない。マスコミ操作。 一番悪いのはこの人自身のウソだけれど、周りに忖度を求め改ざん破棄をさせてしまったことも大きな問題。 自ら命を絶つ人まで生み出し、国会運営そして民主主義 社会制度そのものに、歴史の上でも世界的な評価でも大きな禍根を招いてしまいまった一連のこと。一番良くないのは安倍 菅両名。とはいえ、当時の理財局長佐川さんもひどいですねぇ。この度ウソと認定されたものだけでも199回あってその内の108回が佐川さんだったとの由。結局ウソがばれた。最初のウソをごまかすためによくもここまで嘘に嘘を積み重ねたものです。

2020年12月3日木曜日

飛ばさなくても満足できる車

 


珍しい車を見かけました。「デリボーイ」 その昔私も大いに関心を持った、30年ほど前に6年間ほどトヨタから発売されモデルチェンジされることもなく一代限りで終わってしまった車。分類としては“商用”という事になるんでしょうけれど、商用という枠にとどまらず発想しだいでいろいろに楽しめる車だと思います。

 デザインなんかは中途半端に可愛さを残したりしないで割り切って大人っぽくした方がカッコいいのにと思います。走りは見ての通り、速いとかコーナリングがいいとかを競う車ではありません。だけど“飛ばさなくても楽しめる”実用の一台だと思います。

 

 “速さ”は大きな魅力。でも、飛ばさなけりゃ… と言う車では日本の実情を考えると苦しいところがあります。 実際に所有したわけではないのでデリボーイがそうゆう車かどうかというのは言い切れませんが、いろんな意味で“実用”な車に私は魅力を感じます。

2020年11月14日土曜日

ためこみ症

 


私自身物を捨てるのが苦手で、確かに時代の“名機”かもしれないけれど今では壊れてしまって使えなくなってしまった物も、資料という名の他人からすれば紙屑みたいなものが家にたくさんあります。
(これが稀に役に立つことがあるから始末が悪い) 乱雑に投げてあるようでも自分からすれば(今の所)どこに何があるかわかっていますし、幸か不幸か置いておく場所があるものだからそれらは増える一方。 料理や洗濯 家の内外の大工仕事と言ったあたりは人よりできる方だと思っていますが、この整理やお掃除 物を捨てるがどうも苦手なんです。 パートナーも私に似ているのか苦情を言わないので、いざ来客となったら家中大掃除、大変です。 こんなことでもないと片付けもしないんですけど。

それにしても「ためこみ症」なんて言葉まであったなんて。 物が多すぎて立ち入ることもできない「ゴミ屋敷」なる物が有って社会問題にまでなっているのは知っていました。でも精神疾患の診断・統計マニュアルに載っているちゃんとした(?!)社会機能障害だったなんて驚いてしまいます。


 「ためこみ症」(Hoarding disorder)  

品物への執着と手放す苦痛によって、所有物を捨てることが困難な状態が持続し、そのため生活空間が物で専有され取り散らかった状態に陥り、深刻な社会生活機能障害いをきたす。

精神疾患の診断・統計マニュアル第5版 (2013SM-5)

2020年11月12日木曜日

アメリカ合衆国と日本は何を失っているか

これはもう私が抜粋したり注釈するより、そのものずばりを紹介し読んでもらう方が間違いないでしょう。

 結局の所は安倍さんの主導で憲法そのものを変えるという事はふせぎましたけれど、何ら国会・公の場に諮ることなく国会軽視そのものの手段、閣議決定と言う禁じ手で国の根幹、行く末を左右することを軽々に繰り返したのが安倍さんでした。 もともと想像する力に難のあった安倍さん、結局事の重大さ 後々への悪影響の大きさを思い計ることができないままでした。 様々な国際指標も低下・悪化の一途をたどってしまいました。 これはもう人権レベルでしょう。安倍さん安倍さんに続く菅さん、そして恥ずべきヘイトの言動。自分と異なる考えを持った人達に対する恥ずべき行為。人に対する真摯な態度がこうも軽んじられてしまうとは。 政権としての“トランプ”は4年で区切りとなりました、でも日本は第2次安倍政権から菅政権という事で考えると8年ですからアメリカも日本も大変です。

 

2020年11月8日日曜日

それにしてもひどすぎます


 この度のアメリカ合衆国大統領選挙の「Count Every Vote(すべての票を集計しろ)にはあきれました。 投票行為そのものには日時・締め切りというものはあるでしょうけれど、投票された票の扱いでわざわざ「集計しろ するな」が問題になるなんて本当にびっくりです。開票されない票が一票でも有ったら大問題じゃないんですか!これ「日本の常識は世界の非常識」だったんでしょうか。 「選挙違反」という事では、日本においても逮捕者が出ることが有ります。世界を見ると不正選挙と言われる事が残念ながらいまだあることは事実です。 剣や銃 暴力によってではなく、選挙という制度によって権力者・政権が交代しえる。人類が多くの犠牲を払いながら、ようやく手にしたこの手段・選挙という事を考えると、不正選挙は見過ごせないと多くの人が立ち上がっているのが大きな救ですが。将来は必ず良くなる正しい道を歩むと確信しながらも、今だ道半ばかと考えざるを得ません。

 トランプによって助長され亀裂が深まった現在のアメリカ合衆国の惨状。それにしてもここまでとは悲しいほどにびっくりです。 そもそも選挙において不正はあってはならないことですが、神ではなく人のやることですから15千万ほどになるのでしょうか、全投票の中でミスは全くないとは言い切れないかもしれません。 だからと言って、何の根拠も 何の証拠を示すこともなく「不正がある」とするのはアメリカ合衆国大統領と言う非常に影響力のある立場の人が口にすべきことではありません。 様々に予測されていたこととは言え、大変な様相になってしまったこの度のアメリカ大統領選挙・アメリカ社会。ここまで亀裂が広がると、マクロン大統領がマリーヌ・ル・ペンではないからという事だけで決選投票に勝ち大統領になったように、トランプでないからと言うのが一番の理由で次期大統領となったバイデンさんがトランプの後を引き継いだアメリカ。アメリカ合衆国が良くも悪くも持っている影響力のことを考えると、今後の動向に目が離せません。 


日本の常識は世界の非常識


 先に「日本会議 思考のガラパゴス化」のことを書き終えてから思い出したことを忘れないうちに書いておきます。 

「日本の常識は世界の非常識」 

NATO - No Action,Talk Only


日本の常識は世界の非常識

「日本の常識は世界の非常識」は「思考のガラパゴス化」と合わせて考えると今現在の世界の中での日本の立ち位置がよく見えてくると思います。 先進8カ国あるいは20カ国、あるいは30の国々の中で、そして100数十カ国の中で“先進国”と数えられている日本がいかに遅れた状態なのかが見えます。

 NATO 

はるばるやって来た社長と、協議 合意に至っても社長は「では持ち帰って検討し、お返事します。」と言いおいて帰国してしまう。相手は「社長が帰って誰と相談するというのだ?」と言うやり取りの話。 責任を取らない国日本。そりゃぁ物事常に100%うまくいくことばかりではないでしょう。だからうまくいかなかったときのために、責任追及されないように布石を打つ意味で他の人と相談(巻き込んでおく)するわけです。経営者 責任者の理想のパターンは自分の代では何も変わらない(変えないこと)ままに次へ引き継ぐ事だという考え方があるくらいですから。

2020年11月7日土曜日

核兵器禁止条約発効

 


遅ればせですが 核兵器禁止条約発効 を大歓迎します。 

批准国が、20201024日の中米ホンジュラスの批准により50カ国に達し、核兵器禁止条約が2021122日発効することとなりました。 核兵器禁止条約は、20177月に国連加盟国・地域122カ国の賛成により採択されていたものです。 核兵器禁止条約は、核兵器の 実験 生産 保有 配備 威嚇 を禁止し、被害者支援 環境回復を求めているものです。 核兵器禁止は悲願であり、発効を喜ぶとともに改めて「核兵器保有国と非保有国の間の橋渡しの役割を果たす」との実に曖昧な言い訳で何もしない、それどころか足を引っ張っている日本政府の姿勢を問ます。

人を殺す兵器に人道も非人道もないだろうと思いながらも、非人道兵器の最たるものとしての核兵器とはどのような災禍を及ぼすのか想像します。 昔々から世界中いたるところで、戒めとして“地獄”を語り地獄絵図を描いてきました。 核兵器は“その時”もその後も取り返しのつかない被害・影響を及ぼし続ける兵器であり、その災禍を語りきることはできません。 浦島太郎の物語、竜宮城のことを伝える時 ~絵にも書けない美しさ~ と歌うところが有ります。 人は言葉で伝えきれない時、絵でその美しさ・情景を伝えるというわけです。それでも、多くの人の記憶 記録 データを持って核兵器の根絶に向けて運動を続け広げてここに至ったわけですが、核兵器の災禍は到底伝えきれるものではありません。 一人の人間の人生と言う時間軸では到達しきらないかもしれません、繰り返しに思えるようなときもあるかもしれません。それでもここに至った事を感謝して喜びます。

 

映画「広島」の中の有るシーンが思い出します。 原爆投下後避難したところで被爆者が「もし地獄と言う物があるなら、あれこそ地獄だ」と言うところです。 言葉で伝えきれない物を絵で、絵でも伝えきれない物を 絵にもかけない と言い表し、それでも伝えきれていないと思う時に、実際に被爆した人が原爆投下後の情景にこれまで作られたものの中では一番近いと言った「あれ(・・)こそ(・・)地獄だ」と言うシーン 言葉を。

2020年10月27日火曜日

「日本学術会議」“学術” 取ったら「日本会議」 此れ如何に

  「よく見ること よく見ること」 その後自身も物書きになった人が出版社勤務をしていた時の話。編集者として担当になった作家に稿料が払えないという不祥事が発生してしまいお詫びに行った時掛けてもらった言葉。 糸口すらつかめない時、ただひたすらに眺めていると見えてくるもの 気づくものがあります。そう実感しているので、物事そうしているのですが、それでもまだまだ そんな見方があったか! 
いや確かにそうだな!と感心する時があります。 

これもその一つ。 社会学者の上野千鶴子さんが、日本学術会議から“学術”をとったら「日本会議」になるという事を教えてくれました。 この話は、就任早々の蜜月期間にもかかわらず、その高支持率を一気に下げるきっかけになった、日本学術会議が規定に沿って半数の会員を改選するにあたり推薦した
105名の内、これまた規定に沿えば任命しなければならない推薦者6名を菅首相が任命しなかったというルール逸脱。それなのに、なぜそうしたかの説明を求めているのにも関わらず、真意の伝わらない「総合的俯瞰的に判断した」で逃げ回る。挙句の果てに、毎度の争点ずらしをする始末。 それにしても、人権機関設置反対・夫婦別姓反対・男女共同参画条例反対・従軍慰安婦も南京大虐殺も否定する歴史修正主義・ジェンダーフリー教育是正・新憲法制定・戦争責任を認めず自虐的歴史教育と言ってはばからない、安倍さん()大好き「日本会議」になるとは今回指摘されるまで気づきませんでしたけれどすごいなぁ 

日本会議 今回改めてその主張に目を通してみましたけれど「思考のガラパゴス化」が相当なものだと感じました。

2020年10月25日日曜日

悪水」3/3 冊子の名前「帆檣成林」

   


「帆檣成林」 (はんしょうせいりん)

帆柱が林のように多く立つ様子を表した語。 人が多く出入りする活気ある港をイメージして冊子の名前に。

その後機帆船と言う言葉の時代も経て、“帆”によって走る船と言うのは現在では趣味性の高いものスポーツ 教育上必要な物 観光に関するものと言う時代になりました。 したがって帆檣成林という様を目にすることも言葉を耳にすることもなくなりましたが、往時の賑わいを思い起こさせる言葉・冊子名と言えるのではないでしょうか。

「悪水」2/3 潟とくらし

 


今回この言葉は、新潟市歴史博物館・みなとぴあ の「博物館ニュース=帆檣成林」 VOL49の特集3、森行人さんによる 企画展「潟とくらし」 を紹介する記事に見つけました。 以下その一部を紹介します。

~ 新潟市には、ラムサール登録湿地である佐潟を始め、福島潟や鳥屋野潟などの潟が有ります。今年、新潟市は国内初のラムサール条約都市候補となりました。~

~ かつて市域を中心とする蒲原の平野部は、多くの潟が存在する低湿な土地でした。先人たちは大変な苦労と共に潟や低湿地に水田を拓いてきました。こうした湿田はたびたび水害を受け収穫を望めないことも多く、「水腐地」の呼称には稲作の困難がしのばれます。水田化されていない低湿地や潟は得るもののない未開の土地のように思われます。

 ~人々にとって潟には三つの大きな役割があったようです。

一つは悪水溜としての役割です。用水で余分となった水や用途のない水を悪水と呼びました。低地の潟は悪水を流す先としての役割を持ちました。大雨が降ると型の水があふれる弊害が生じます。これを防ぐために潟の周囲に囲い土手などと呼ぶ堤防を築きました。ところが堤防は下流域では水の侵入を防ぎますが、逆に堤防の上流側では水を流せず、被害を大きくします。~

さらに、潟の周辺は遊水地の役割を担っていました。西蒲原地域の鎧潟・大潟・田潟を始め多くの潟があった三潟地域では、潟の周囲が遊水地となるためその開発は長らく禁じられていました。

二つ目の潟の役割は用水です。潟は水田に灌漑する用水溜としての役割を果たしました。

「悪水」1/3 三潟水抜き

 


「悪水」 これ「あくすい」と読みます。 人が生きていく時なくてはならない物「水」。生命維持はもちろんの事、工業 農業いずれも水なしでは成り立ちません。事は精神性にまで及ぶほど人にとっては大切なもの。なのになぜ頭に“悪”の字が、と思ってしまいます。

辞書に載っているほど、ちゃんと言葉としてあるので、ここ新潟だけのことではないのだとわかります。 ところでここ新潟、新潟平野 以前は北蒲原 東蒲原 西蒲原 南蒲原 中蒲原と言われ全国有数の広さを持つ蒲原平野と呼ばれていました。蒲原平野は大河・信濃川によって長い年月をかけて(堆積)作られました。ですから、機械による排水によって今でこそ(1960年代半ば以降目に見えて)○○潟という地名に名残を残すだけとなったところがたくさんありますが低湿地・水が流れず滞留状態の所がたくさんありました。そこで田んぼ作業をしていたのですから、そこでの作業は困難を極め大変な作業・重労働だったのです。 だから、必要不可欠 なくてはならない物・水なのに“悪水”(状態)なんて言葉、言い方が生まれたのだと思います。 そんな背景をもって生まれた市民ミュージカル「三潟水抜き物語」(新潟 大河津分水が誕生するまでの暮らしを描いた)にかかわったものだからこの言葉が目に留まったしだいです。

2020年10月18日日曜日

あと一週間頑張ります

一週間終わった。

あと二週間。

二週間終わった。

あと一週間。

今年はCOVID-19 のせいでこの時期になって初めての実習。

始めての人たちにはきつい3週間。これが最後の人たちにとっては最初で最後の一発勝負。

当人たちが一番大変なのはもちろんだけど、こっちもつらいよ。 気持ちはあってもあれもこれも休止状態。

とは言え、あと一週間頑張ります。

 

2020年ノーベル平和賞

  2020年のノーベル平和賞が国連機関WFP(World Food Program)=世界食糧計画に授与されることになりました。 選ばれるに当然の活動を行ってきた機関だと、敬意と喜びをもって賛同します。

人がそして一人一人と共に国が自己実現をし幸福な未来を獲得していくために教育が大切なのは新たな言を俟ちませんが。災害や紛争 貧困等の時まず必要なのは医療そして食事。継続的な食糧支援が必要です。

国連データでは(2019年時点)、極端な飢えに苦しむ人は 世界で13,500万人(2016年比70%増)。 十分に食べられない人は、アフリカ大陸を中心に82,100万人=世界人口の9人に1人! だそうです。 そしてWFPのデービッド・ビーズリー事務局長の弁によると、飢餓を生む最大の原因は 紛争 と 気候変動。加えて、国 地域によっては害虫による農作物被害。そこへさらに 経済悪化が 追い打ちをかけている という事です。 また、「飢餓は概して、食べ物の不足からではなく、サプライチェーン(供給網)の崩壊や食料価格の急騰から生じる。」 今 COVID-19 禍でそれが起き始めている、10カ国(シリア イエメン他)においてそれぞれ100万人以上が“餓死の瀬戸際”にあると強調しています。 (“供給網”という事では、日本をはじめとする国々で食べることなく廃棄される大量の食糧の問題を思います。)

ノーベル平和賞受賞理由骨子 が発表されています。 時事

・飢餓とたたかい、紛争地の状況改善に貢献

・新型コロナ流行で急増でした飢餓の被害者救済で支援強化

・人道支援活動と平和構築努力の一体化を主導

・紛争の武器としての飢餓の利用阻止に努力

・飢餓の現状に関心が向くよう期待

菅首相による日本学術会議次期会員任命拒否問題(事はそれだけにとどまりませんが)の渦中において、平和賞受賞理由の一つ一つに感銘を受ける以前の問題として、行為に対する説明があるという姿に接して、情けない思いがわいています。

要らないラスト 記憶に残るラスト  記憶 匂い(味)

   物語の終わり方の話から、突拍子もない展開だけど毎度の“記憶”の面白さについて。

多い年で年間100本ほどの封切り映画鑑賞も、職住近接の今の所になってからはすっかり減ってしまいました。こんなに楽に通勤できるのは初めて。そう思うと以前はほんとに“痛勤”でした。 ただし、仕事帰りに寄るという事がなくなってしまったのでもう100本は無理かな。それでも、月に一度はやっぱり劇場に と通っていたのですが今年はCOVID-19のせいでそれもかなわなくなってしまいました。 そのかわりレンタルCD(DVDBL)は観ています。旧作借り放題会員になったのもあってすごく()観ています。 鑑賞スタイルだけでなく、鑑賞作品も変わりました。すっかりはまってしまったんですが、一番多いのは韓国の、それもテレビ作品、これが面白いんです! “偉大なるマンネリ”の「水戸黄門」のように、主人公が悪人にいじめられる、けれど決してへこたれないし味方が現れる、そして最後には必ず勝つ、というパターンを忠実に踏襲。 場面転換には交通事故、実は財閥の息子・娘だったのパターン・・・ またかと思いながらも、変にひねったり ひっくり返したりしないので安心してみていられる。勝てそうもない巨悪を相手に十分ハラハラドキドキさせて、回の最後はこの後どうなるのかすぐに続きを観たくなるような展開で終わりになる。要は見せ方・造りがうまいんです。 そんな韓国のテレビ番組ですが、巨悪に勝ったとホッとした後のもう一話・最終回がどうも気が抜けるというか「この回 無しでもいいんじゃない!?」と思うようなのが結構あって、それまでの出来が良い分もったいないと感じてしまう事が結構あります。難しいものですね。


物語の“終わり方”となるといつも頭に浮かぶのは、「釣りキチ三平」で有名な矢口髙雄さんの自伝3部作の一つと言われている「蛍雪時代」の事。 矢口さんが子どものころの記憶、時代で言えば農業機械化の少し前のころ、これから大きく社会が変わる高度成長時代に差し掛かるころ、描かれている矢口さんの母親は(そのころ農家はみんなそうでした)地面に這いつくばり泥田に足を取られながら農作業をしている。腰を曲げた視線の高さでの話が続く。それが最後のカットで俯瞰され一気に解放、木漏れ日のもとで一時目を閉じ休むシーンが描かれるのです。その時の母の記憶を匂いとして蘇らせるところがすごく印象に残っています。

 この時の匂いがどんな香だったのか思います。 この作品を目にしたのはずいぶん昔のことになりますし、今手元に現物がないのでなんだったか確かめられないのですが。夏が旬のキュウリかスイカでしょうか。包丁を入れた時の匂い。いいですよね~。 ところが妙なんです。私の頭にはもう一つ浮かんでくるんです。害虫・厄介者として嫌われ者になっているカメムシの匂い(臭い)が。 だからどうというわけではないんですが、どこでどう“記憶”されたのか。この場合の“匂い”はそのもの自体も記憶なんですが、記憶を呼び起こすスイッチの働きをしていると思うのです。 目で見る耳で聞くそして頭で記憶する、この“記憶”は 過ぎてしまえばすべていい思い出となったり、想いが優先されて欠落したり付け足したあり変わってしまったり、“嘘をつく”と言うわけではないけれど事実と変ってしまう事も往々にしてあり得る。でも、もしかしたら舌の記憶や匂いの記憶の方は変わらないのかなぁと思いました。 私の場合のカメムシの記憶・スイッチで呼び起こされるのは、昔家族と賑やかに暮らしていたころ・子どもが小さかったころ、8月夏の終わり朝が少しずつ肌寒くなりだした頃。日中太陽の日差しに当てていた布団を取り込むと裏にカメムシが何匹もいたこと。手作りコンサートなどの片づけの時物をどかすとそこにカメムシがいた、なんてことかな。いまは今で感謝して生活していますが、その後離れて暮らした子どもたちはどうしたのかなぁ・・・ などにつながります。

2020年10月9日金曜日

金は出しても口は出さな

  


ついに世界でもトランプ大統領 ボルソナロ大統領と並んで取り上げられるに至ってしまった、菅総理による日本学術会議次期会員任命拒否問題。私に言わせると「粋じゃないねぇ」という所。 本来“粋”の反対語は無粋そして野暮。 その野暮の方は言う側言われる側の関係性があるというか、至らないけれどまだ可愛げがある救いがあるような印象があるけれど、この度の菅さんの言動はそれとも違う。だからあえて 粋ではない とします。

菅新首相は確かにたたき上げなのでしょう。そうでもしなければここにまでなれなかったのでしょう。でも結局は、上り詰めたがゆえに教養の無さが露呈してしまった感があります。(この際に菅さんの威を借りてという人たちも情けない)

教養人と言う人は各地何処にでもいたけれど、何処にいる 財を成した 高い地位に居るという事即ち教養のある人とならないところが絶妙なところ。 “金は出しても口は出さない”と言う言葉があるけれど、「年間10億お金を出している」から言ってもいいんだなんてのは、その言い方も含めてあまりにも直接的。 政 行 財いずれにおいても文化支援は不況になると真っ先にカットのこの国において、政策 制度 人柄、いい意味でのパトロンはいないのでしょう。

人品 教養というものは幅広く 難しいものだと改めて思います。

2020年9月27日日曜日

それを言っちゃあおしまいよ と もっと気づいてほしい

  


“自助”安倍前政権時菅官房長官として口にしていたのに重ねて現首相として口にした言葉。「自助・共助・公助」の中の自助、自分で自分を助ける。要するに助けが必要な時大変な時は自分でどうにかしなさいよ。 概して歴代の日本の権力者・行政は公助にあたる所の社会福祉(保障)に対しては消極的でした。本来は“最低基準”として定められたはずだったものが制度的に報酬の裏付けをしない対応をとったものだから何時の間にやら“最高基準”になってしまったのが現実ですから。 菅新首相が安倍内閣の官房長官時代から口にしていたことですしこの程度で驚いていてはだめなんでしょうが、この度国の運営の長の立場になった人が具体的運営はこれからというタイミングでまず口にしたのが 公助はしませんよ だったんですから、「それを言っちゃあおしまいよ」先が思いやられます。

今でいう所の新自由主義の発想による数々の改定(改悪)。その弊害が誰の目にも明らかになった・国民にとって大きな不幸となってしまったのが安倍政権とかぶってしまったCOVID-19 の感染拡大とその時の対応でした。 過去において、普及させるときには一時報酬を高めて=利益誘導をしてきました。それは実質、情報を早く入手することができてかつ対応する資金力のある所(この話の念頭に置いているのは医療の事)でした。そこで対応できない病院は淘汰され。看護師不足がまねかれた時にまた淘汰され。一見“福祉の充実”を図るかのように見せかけて、地域・自宅へ患者を追い出しておいてから「ベッドが多すぎる」とベッドを減らし。挙句の果てがベッドが少なくて効率が悪い→病院の統廃合、病院そのものを減らすと言っていたところに、この度のCOVID-19 があったものだから対応しきれず大混乱を招いてしまったわけです。 地域の公衆活動に大切な保健所の統廃合も致命的に進められていました。 予防ではなく、罹患したら病院へ。それも医療保険の改悪がこれでもかこれでもかと進められてきた中、特に安倍前政権下で一段と拡大した格差下で一人一人は悲惨な状態になってきています。 自助 一人一人はもう十分に頑張ってきました。一人一人も、家庭も地域コミュニティも精一杯がんばってきました。力を削ぎ取られて 共助 どうしたらいいの。 COVID-19 で間違いに気づいて公助に力を入れるというならわかります。ところがこの期に及んでも、公助に力を入れなければならない立場の人が自助を求める。行政の長として認識不足 責任放棄だと思います。

 

ところが支持率はと言うとこれがすごく高い。苦労人だとか人柄がいいとか云々。これまでの安倍政権下での数々の悪行、それを問題として取り上げても官房長官として「私はそうは思いません」「問題ないと思いますよ」で全て片付けてきた菅新総理。民意が示されても「よく説明して理解してもらう」「粛々と進める」の繰り返し。そのどこが“人柄がいい”なのでしょうか。 苦労人だとか言っても、COVID-19 で明らかになった問題にさえも真摯に対応しないのは、苦しめられている人々とは別の考え立場に立っているから。苦労している人々の立場とは別の“苦労”をしている人ですよ。 そういう事で言うと、誘導は有るにしても、国民の内のわずかを占める人の意向を優先する人に支持を与えてしまっている大多数の人達の目覚めを希求します。

2020年9月22日火曜日

菅新首相 の高支持率について

 


「どうしてこんな数字が出るのかわからない」 とばかり言っていても事は進まないという事は重々承知だけれど、やっぱり安倍前首相辞任声明後の支持率上昇がわかりません。

 威勢よく打ち上げていた公約が一つとして具体的な成果を上げられなくとも「やっています」「道半ば」でごまかせてこれたのがCOVID-19 感染拡大に直面してその手も通用せず無能ぶりが多くの人の知る所となり、ついには支持率が急激に落ち込んでしまい再び体調不良を言い訳に政権を投げ出してしまった安倍さん。 辞任声明後の支持率調査はいずれも上昇。目を疑ってしまう20%以上上昇なんていうものもあってびっくりです。 確かに持病の悪化はあったのかもしれませんが、行き詰まりが原因で政権を投げ出さざるを得なかったのが実情なので、政治の私物化 格差拡大 政策等々の検証が必要です。責任の取り方が違うんじゃないでしょうか。一国の首相・政権に対して何も問うことなくただ「ご苦労様でした」で済ませて好いものやらと感じます。

こんな私の想いは取り立てて珍しいものではないと思うんですが、世の中にはこんな解釈もあるんだなぁとびっくりするような事を言う人が居たので紹介します。「結局多くの国民にとってマイナスになることばかり押し通し、公約はいずれも大言壮語に終わってしまった安倍()首相が最後にみんなの願いに答えた行動をとった、それは辞任したことだ。支持率が上がったのは、それを多くの国民が支持したからだ。」と言うのです。これは大勢ではないと推測しますが、数字の推移をそうゆうふうに見る見方もあるのかと思いました。

ところで、マスコミが煽り立てる通り自由民主党の新総裁に選出された前安倍内閣の菅官房長官は、議院内閣制の日本において現在の第一党・過半数を占めている自民党の総裁イコール新首相選びだったのですが、国民はもちろん自民党の党員 党友すら満足にかかわる事もできないまま菅前安倍内閣官房長官が第99代 新首相という事になったわけです。 菅新首相は茶番以外の何物でもない、新総裁選びの時から“安倍政権の政策を踏襲する”と言っていました。 やることなすことうまくいかなくなって(弊害を残して)辞任した安倍前首相。その政策を踏襲するという菅新首相、驚いたのはさっそく行われた支持率が軒並みすごいことになっていること。なんでも歴代3位 “大きな期待(話題)”で首相に返り咲いた前安倍首相の時よりも支持率が高いのだそうです。 やっぱりなんでこんな数字が出てくるのかわかりません。

2020年9月12日土曜日

吉田都さんを紹介する記事

  


私としては久しく目に触れることもなかった、吉田都さんを紹介する記事が目に留まりました。 もともと詳しい方ではない私ですが、英国ロイヤルバレエ団のプリンシパルを2010年まで15年にわたって務めて日本に帰ってきた後だったのでしょういろいろに紹介されていたのを私も目にしていました。 その後、2019年現役を引退し20209月より新国立劇場舞踊部門芸術監督に就任されたという事です。記事はそれを契機に書かれた物という事になるのでしょう。 その記事の中で印象に残ったところを忘れないようにとどめておこうと思い立ったというわけです。

長年にわたってバレエを続けてきた、そして、だれもが到達できるわけではない極みにも至ったという事が頭にあったのでしょう。 「私は一つのことを成し遂げるのに時間がかかる方です。 努力しなくてもたどり着ける人は、もったいないことにあっさりやめてしまうんです。」

 “階級”身分 棲み分け よく言えば専門とか尊重という言葉も少しは出てくるのかもしれませんが、日本そして普通に暮らしている人間にはそういうふるまいになれていないものだから 場慣れしない 落ち着かない気持ちになる感じなのでしょうか。 『ほつれた衣装を自分で直そうとして、衣装係に「私の仕事を奪わないで」とたしなめられた経験から「日本では稽古の後の消毒も(COVID-19 の下で)ダンサーが自分でしています。テクニックは世界レベルなのにどこか遠慮がちなのは、ダンサーという職業が成り立っていないからだと思います。」との思いを持っている。』

 

 思うに今回の記事・言葉が目に留まったのは記事に乗せられていた写真の雰囲気が、以前の物と違って感じられたからだと思います。 以前目にしたものは、もちろん実績も実力もあるのは当然間違いのない誰もが認めることですが、周りに対して“私は違う”と発しているようで何か近寄りがたいものが感じられたのです。それが今回はいい具合に無くなってという事なのでしょうか。 指導する立場となればそれはそれでまた厳しいものがあるわけですが、現役を辞めるという事はこういう事か・雰囲気が変わるものかと感じるものが有ったのだと思います。

2020年9月8日火曜日

結局 最後まで責任を取らなかった責任者(安倍首相)

 


責任は私にある 間違ったことをしたら責任を取ります 説明責任を果たします と自分で言ったのに結局の所、最後まで逃げて隠れて何とかうやむやのまま終わりにしようとしています。 辞任せざるを得なくなったきっかけはCOVID-19に対して有効な具体策そして結果が出せず、いつもの “やります”“立ち上げます”の繰り返しでは繕いきれなくなり投げ出したという事につきます。 歴代最長となった安倍内閣の78か月の間に行ったこと・国政私物化のひどさ、やると言っておきながら進展の見られなかったこと、その弊害を明らかにしなければいけません。 ところが、自由民主党の安倍さんの次の総裁選び(日本は議院内閣制なので、実質次の首相を選ぶことでもある)も嘆かわしい状況です。

立候補を表明している人たちの安倍内閣の路線を継承するとはどういうことなのか。安倍内閣が何をしたのか、日本と言う国を国民の生活をどんなにしてしまったのかをよく見てください。それを継承すると言っているんですから空恐ろしい気持ちになります。

2020年9月7日月曜日

水木しげる の考える 最も病的な存在 とは

 


「軍隊というものが人類にとって最も病的な存在なのです。」

水木しげる

 

私でも知っている妖怪漫画の第一人者。 第二次世界大戦時、出兵先で腕を(切断)無くしながらもマラリア感染と飢餓から生還。この経験から書かれた作品も複数ある。

もともとそれほどに詳しいわけでもないし古いかもしれないけれど、私にとって怪奇物と言えば 楳津かずお 妖怪物と言えば 水木しげる の水木しげるさん。

もともと感受性の豊かな人だったのかもしれませんんが、戦場で“死線”を行き来してよりはっきり 起きても忘れない(覚えてる)ほどにまでなったのではないでしょうか。 このご時世ですから、この言葉がなぜ生まれて来たのか一層思います。

2020年9月5日土曜日

WHO・世界保健機構は2020年8月25日アフリカ(大陸)においてポリオウイルスが根絶されたと宣言


 WHO・世界保健機構は2020825日アフリカ(大陸)において野生株のポリオウイルスが根絶されたと宣言しました。(弱毒化したウイルスを使った生ワクチンを起因とする感染を除く) 世界においても、残り2カ国 アフガニスタンとパキスタンのみとなったそうです。 こうして少しずつ少しずつ根絶に近づいていく様は、50カ国の批准によっての発効を目指して後残り6カ国にまで到達した核兵器禁止条約を思い出させます。

 ちなみに、日本においてのポリオ発生は1980年を最後に確認されていないそうです。そういう事も有って、今ポリオワクチンと言うと弱毒性の不活化ワクチン接種に切り替わりましたが、昔は生ワクチンでした。 生ワクチンと言えば頭に浮かぶのは「日本母親大会」の事。 日本母親大会は、1954年のアメリカ(合衆国)によるビキニ水爆実験に衝撃を受け、翌1955年“原子戦争の危機から子どもの命を守る母親の大会”として始まりました。 日本母親大会を誕生させその趣旨の下に集う母親達(人たち)の働きで、196061年、当時のソビエト連邦からの“生ワクチン”の導入が叶いポリオ根絶に大きく貢献した、そんなことを思い出しました。

2020年8月29日土曜日

安倍首相辞任

安倍首相の辞任会見。 突然・いきなりと言えばいきなりの辞任発表ではありましたけれど、(自民党総裁)任期途中という事を考えると 唐突 という言葉の方が似つかわしいでしょうか。COVID-19 で大変なこのタイミング、行政の長たる首相という立場を考えるとどうしようもなくなって 投げ出した と言った方がより妥当でしょう。 安倍首相が持潰瘍性大腸炎・病気を理由に持ち出しましたが、病気を辞任の言い訳に使ってほしくありません。 やることなすこと的外れ遅れ遅れで小出しでと言う今のCOVID-19 の非常時対応のできない今以前から、災害復旧 社会経済 それで光の当たり始めた拉致被害者問題 北方領土問題は、立ち上げます やりますやります を繰り返すばかり 何年たっても具体的進展が有りません。 国のあり方、特定秘密保護法 消費税税率の2度にわたる引き上げと景気悪化 安保法制 TTP共謀罪 働き方改革の名の下での数々の改悪、モリカケ桜 権力の私物化。そのすべてが、問題のある選挙制度に助けられての国会での多数派の形成と数に任せて十分な議論を尽くさずごり押し。そして、(国会を開かない)それすらもしないで閣議決定で重要法案を決めてたという印象が残ります。 これらすべて、間違っていました 間違いを犯しましたと詫び、首相としての責務を果たせませんでしたという事を たことを辞任の理由にしてほしい、と思います。

 

2020年8月26日水曜日

論調変化の兆し 安倍首相・内閣の支持率の続落不支持率の上昇

   マスコミ各社の調査結果での安倍首相・内閣の支持率の続落 不支持率の上昇というパターンは続いています。 新型ウイルスCOVID-19 感染の拡大下、安倍首相のやることは的外れで遅れ遅れで小出しのままで、完全に“肝心の時に役に立たない”という評価が定まった結果を反映した動き(数字)なのでしょう。 国会非開催はスキャンダル追及を回避するためと言うのが見え見え。それどころか、衆目の前に出てくることさえ意図的に控え、COVID-19 対策で露呈した無能ぶりの結果で苦境が続く人達の今・これからへの認識力のなさ。 これまでの数々の問題に対してと同様、過去に学ぶこともなく、未来を想像する力(想い)もないままです。注目を集められるという認識で幾度も取り上げてきたいくつもの政策。そのいずれもが、言い出してから何年たっても「○○を立ち上げます」とか「○○します」の繰り返し。立ち上げてから何をした、具体的に何が変わったと感じられないままここまで来てしまいました。 COVID-19 のパンデミックに関して世界各国での取り組みが報道されています。それは私たちに、政策の是非とリーダーの資質を知らせるところとなりました。 国別感染者数を見てみると、なんといってもダントツ1位はアメリカ(合衆国)。続いてブラジル インド ロシアと続くのを目にすると、以前からいろいろ物議を醸していた御仁と言う共通点があります。でもこれが悲しい現実。日本の安倍首相も、今公式発表の感染者数として悪いベスト4から離れてはいるものの対策の至らなさで無能ぶり、無知をさらけ出してしまい残念なリーダーになっています。 安倍首相の振る舞いを最近は やっている感 と言うようですが全くその通り、口に出すだけ言うだけでやったつもりになっています。 






マスコミ報道変わってきたように思います。 これまでの経験から言って、マスコミはよく取材をしています、けれど取材をして情報をたくさん持っていても報道するとは限りません。 スコミは“中立 中道”という曖昧な言葉で変な幻想が持たせています。どう扱うか、どの記事を載せるかをすべてコントロールしています。今後は多少変わっていくのでしょうか。 → アベノミクスに対しても閣議決定だけで勝手な決定を繰り返すことに対しても、次から次へと出てくるスキャンダルそしてCOVID-19 への対応のことでもこれまでとは異なる論調で取り上げられ報道されることが増えてくると思います。ただし、残念ながらマスコミ本来の望ましい姿に立ち返ったからという事ではなくだと思います。 “勝ち馬に乗る”という言葉が有ります“おぼれる犬は石もて打て”という言葉もあります。これまで安倍首相に取り入っていた分 忖度していた分大きく揺り戻しが来て“手の平を返す”ように変わるのでしょうか。  

正確な報道がされることを望むばかりです。