2019年12月31日火曜日

雑感 2  五味五感 2/2


   “五感”という事で言うと、視覚と聴覚のこと。 テレビ(番組)は見ません。仕事もしていますし、何よりレンタル店の借り放題会員になっているものですから週23回 枚数で言うと1116枚のDVDを借りています。すべてが私の好みというわけではないのですが、再生している作品とそれを見ている家族のことが気になってついその場に居続けてしまう。その場にいると見てしまう。(ストーリーもありますし)見ると考えがまとまらない、というパターンになってしまうのです。 視覚と聴覚 それで、昔の耳・ラジオの時代はまだ他のことを しながら できたけど目・映像はだめだなぁとなったしだいです。 賑やかでだめそうな雑踏の中は意外と、と言うかかえって集中するんですけどね。こうしている今も身の回りにある様々なものを持っていけないからかなぁなんて思いますけれど。

それにしても、先のオーストリアのことでも出てきた150年前の頃と言うのは日本にとって節目の頃だったんですね。


五味
因みに 1塩味 2甘味 3酸味 4苦味 5辛味 で五味。
そこへ日本の場合はもう一つ 旨味を加えて6と言う事が今ではそう珍しくもないでしょうか。 この旨味。日本の文化、日本人の漠然とした感覚かと言うとそうでもなくて、イノシン酸 アミノ酸がうまみ成分、他とのバランスも抜きにはできません。あらわし方・数値もいろいろ解明されてきていますのでこの考え方日本以外でも定着していくのではないでしょうか。 

雑感 2 五味五感 1/2



  振り返るに。この秋の頃は3年ぶりに百の大台に乗るか!?なんて思ったのですが、それなりに訳が有りながらもばらつきがあって今一歩となってしまいました。 
   “想い”は持たなければいけない。そして伝えなければいけないと思っています。  そのためにも、伝える手段と技術を持ち わかってもらうよう努力しなければいけないと思っています。

 “感覚”

感覚には、1視覚 2聴覚 3嗅覚 4触覚 5味覚、日本の場合はそこへ第六感と言って気とか気配「何か気になる 何か変な感じがする」を加える考え方が有ります。 

このうちどれが大事かなんて論ずるのは愚の誇張、何を生業としているかどんな生活をしているかで比重が変わるという事は有るにしてもどれ一つとして要らない物はありません。どれ一つ欠けても不自由することは様々に見聞きしています。 ただこの間私はこんなことを感じています「考えをまとめるのに邪魔になるのは聴覚よりも視覚かなぁ」と。 昔は「ながら族」なんて言葉が有りました。受験勉強(と称して) しながら ラジオの深夜放送を聴いている。 勉強という事では本末転倒だったかもしれませんが。 影響力のあるパーソナリティが何人も誕生しました。私でさえ夜中まで放送を聴いた覚えがあります。時代だったのかもしれません。形も様々大きさも様々でしたが、社会・世相の動きを生み出したのは確かでした。

 150

 今年は新潟湊開港150周年にあたるんだそうです。それを記念して 新潟市歴史博物館 みなとぴあ を会場に「新潟開港150周年記念展~開港場新潟展~」というものが開催されました。 そこにも扱われていた白山公園(初代)のことと、私の引き継いできた記憶の相違があるという個人的に因縁の有る事を書いていました。 その際、念のためと思って以前は持っていなくて今他の縁で手元にある資料に目を通していたら記憶と違うところを見つけて、それを調べてからなんて思ったら進まなくなってしまったのです。 そればかりしている常でもありませんし、時季も悪くなって調べにも行けなくなって様々。やはり150周年にあたる今年書き上げるのがタイミングとしてはよかったのでしょうけど。

2019年12月28日土曜日

雑感


2019年 クリスマスはやわらかく明るい朝の日差しの中で「メリークリスマス」と声を交わして始まりました。 “冬至”を経て 再び光の時 が来る。ほんとにクリスマスなんだなぁと感じます。 冬至 はずっと知っていました。昔は今以上に季節感 歳時記 日常に様々な行事が息づいていましたから。長い年月をへて、日常の生活が変わりせわしくなったのでしょう今は昔ほど(小さかった頃)でなくなったと実感していますけれど。 生活が便利になるという事では進歩という事は歓迎すべきことなんでしょうが、アイデンテティ・文化という事ではもっと大切にしなければいけないことなんだと戒めています。 

私にとっては“冬至”というのは特別な思いがあります。儀式として何かするという程ではないのですが、復活 という所まで言わなくとも 再び という事では私自身の体験 私の周りを見回してもこの言葉の響きを肌までも感じることが幾度もあるからです。 そして「やはり“クリスマスには奇跡が起こる”」でしょうか。 今年もさまざまに災害が有りました、変化はしているのですが“紛争”はなくなることはありませんでした。それ以上に名前の伝わらないだけの多くの働き人がいるのは知った上であえて名前を出しますがアフガニスタンで中村哲さんが殺害されるという本当にもったいない悲劇もあったばかりです。 人の想いでは 神様… と思ってしまう事もありますがきっと何かお考えがあってのことなんだと時が満のを待つばかりです。

教会の紙誌の中に 光 に関することを見つけたので書き留めます。

聖書に出てくる 光 という意味のギリシャ語には二つあるんだそうです。 一つはフォース これは弱くはかない光、ろうそく や焚火や松明の光を示すそうです。写真、フォトグラフの語源ともなった言葉だそうです。 新作が公開され話題になっている映画作品で多くの人が知るに至ったこの言葉 すべてを超越する力 と受けとれるように用いられてきていますが、実はこの言葉が 弱くはかない とはびっくりしてしまいます。作品宣伝のためにわざとそのような訳を持ってきたのか、実際強大な敵に対しては小さく弱いかの光が決して吹き消されないさまを見ると本質はついているのかもしれません。 ちなみに二つ目はドクサ。栄光 威光 繁栄、強くまばゆい光を示すそうです。

2019年12月25日水曜日

日本の鬼瓦 朝鮮の三蔵法師御一行


 「なんだろう」と思ってはいたのです、その時も。 行く先々の建物(と言っても王室関係の)の屋根、その先端にかけて何やらのっている。 精緻な磁器と言うよりざらざらとした粗目の土を こて か何かでその質感を残しながら荒く形作った物
。 ちょうど一番前の人()に従っている風に、次は猿 その次も動物のように見えるものが一列につながっています。 全部が全部同じと言うわけでも無いようで、並びの列が少し長く終わりの方に少し大型のタイプの動物を模したのかと思われるものが連なっているものもありました。 いずれにしても、それらは いかつい というよりは愛嬌を感じさせてくれる造作物だなぁと思いましたが、その時はそこまで。

この秋、朱鷺メッセで発行されているフリーペーパー Tottoki guide(トッときガイド)2019 1112 vol.96 を手にし、目を通した連載記事「隣国情緒~北東アジアレポート~」のテーマは“朝鮮王朝時代の建物”でした。 そこに、以前目にし「なんだろう」と思いながらすっかり忘れていたあの造作物が取り上げられていたのです。 あれは、三蔵法師とその一行なんだそうです。

文中ではズバリ 災い除け というような文言は出て来ていませんが。 日本だと、屋根・棟の端というか先端にあるのはいかにも魔除け・災い除けのご利益の有りそうな形相の鬼瓦。 双方を比べてみると、魔除け災い除けという事では共通するものもあるのでしょうが、韓国の屋根に見るものの方はわざわい・悪いことを遠ざけるというだけでなく。人や動物・生き物のすべてが慕うくらいに徳のある人・知恵は呼び込む「どうぞいらしてください」というような感じがして好ましい。

2019年12月8日日曜日

「表現の不自由展 その後」のその後




2019.11.16 1354 東京新聞電子版によりますと。

 9月下旬からオーストリアの主都ウイーンにあるミーュージアム・クォーターを会場に、日本とオーストリアの国交150年記念事業として同国外務省の協力も経て開かれていた芸術展「ウイーン芸術展/ジャパン・アンリミテッド」に対する在オーストリア日本大使館による公認が取り消されたことが報道されていました。

 同展は、日本での政治社会批判の自由と限界に焦点を当てていて、東京電力福島第1原発事故や安倍政権を批判的に扱った作品などが展示されていたことが問題視されたとみられています。 芸術展で学芸員を務めているマルチェロ・ファラベゴリ氏は「愛知トリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展 その後」で取り上げられ批判されたた芸術家がウイーンの芸術展に参加していることが日本で指摘されたため、日本の国会議員が外務省に調査を要請、撤回につながったとみられる。」 作品については「欧州の感覚では無害だと思う。強権色を強める、ポーランドやハンガリー同様、日本でも検閲が強まって居るのを感じた。」とコメントしています。

 反社会行為・作品 人道上許されない行為・作品 暴力的行為を行った事を現認したからというのではなく、国内で横行している“問い合わせ”と同じ効果を発揮した形になった外務省に日本の国会議員が“調査を要請”したというのが発端のようです。公認取り消しは11月に入ってからのようですが、芸術展はすでに9月から、準備や公認申請はそれに先立ってという事になるわけですから、“調査要請”がきっかけになったとみられるというのは間違いないのではないでしょうか。問題が有れば、そもそも公認なんかしなかったでしょうし。

 自由な言動に対する圧力 報道に対する直接間接の規制は強まるばかり。国連や国際的な記者団体による問題の指摘、自由度のランクは下がる一方ですが、表現の自由 多様性を認めない 自分にとって都合の悪い歴史を否定する、ぎすぎすして余裕のない不寛容な姿勢がまたしても明らかになったという事でしょうか。 国内だけでなく国外でも同様な行動をとったという事では、ある意味行動に一貫性があるともいえるのかもしれません、こんなところでと情けなくもなりますけれど。

2019年11月30日土曜日

歴史否定主義


「歴史否定主義」歴史的事実 歴史そのものを完全に否定する考え方

       香山リカ(精神科医)



「歴史修正主義」という言葉は知っていました。 

「ナチスのユダヤ人虐殺はなかった」などと主張する人たちがいることを知っています。日本でも「従軍慰安婦(セクシャルスレィブ)の話はでっちあげだ」「南京(大虐殺)事件はなかった」と公然と主張する人たちがいます。 事実 証拠を突きつけられても 自分で証拠となる記録を破棄しておきながら“証拠がない” これまでの歴史上の事実を嘘だでっち上げだと修正してしまう人たちがいることを知っています。 ヘイトスピーチを繰り返す“ネトウヨ”。 その扇動に乗ってしまい匿名で多くの人を傷つけている人たちのいることを知っています。 

“地位ある人”“影響力のある人”は 人を惑わせる分追うべき責任も大きいと言えるでしょう。 そのような人たちのことこそまず言いたい言葉を見つけました。 

伊集院静さんのこと 2/2




とにかく長年心にあったものを表出した伊集院さんのエッセー集「一人で生きる 大人の流儀」第9巻につづられた言葉(想い)を聞いてみましょう。

「いま、韓国たたきやインターネット上での誹謗中傷で不満を解消する風潮が広がっています。こうした動きの中で気になるのは、攻撃が匿名でなされることです。匿名が成り立つのは、権力に対して命がけでモノを言うときくらい。中傷の快楽にひたるのは、人間として非常に下品なことです。」  過度に行き過ぎるのも困りものですが、日本には“恥の文化”恥じるという事があったと思います。確かにこんなことをしていたら恥ずかしい、人として下品な行為と言えるでしょう。

「日本人の中に、怒りの感情が薄れているのは問題です。いま、権力への怒りを示して一番頑張っているのは香港の人達でしょう。日本でも、数年前に若者が原発問題で声を上げ、官邸前に集まったりした。集まる人たちは減ったけれど、まだ可能性はあると思っています。怒りは常に持っていないと思います。」 本当にそう思います。どんどん生業も生活も悪くされるのに、せっかくの選挙制度が有るのに、なぜ選挙(投票)になるとその張本人に投票するのでしょう。どうせ投票したって と棄権するのは、結局のところ支持(消極的)と同じことだと気づかないのでしょうか。異議(怒り)を表明するのではなく、どうやりくりしようと一人悩むことしかしないのでしょうか。 こだわり続けないのでしょうか。

「私の父親は軍人を嫌っていました。軍人は軍人だ、良い軍人も悪い軍人もあるものかと。」 原因は間違いなく気候変動のせいだと私もその警告に賛同しますが、頻発する昔とは異なる災害。その時出動してくるのが世界の国々の軍事力比較で上位78位のあたりに位置するとされている日本で自衛隊と呼ばれている軍隊。 軍隊として訓練され統率の取れた自衛隊員(軍人)。災害救助に当たる自衛隊・隊員の奮闘が取り上げられるたびに、非日常の存在であるべき軍隊が日常の景色にされて来ていると感じます。迷彩服を着て活動する隊員、カーキ色に塗られた車両が走り回る災害現場。やっていることは土木作業・工事と変わらず、“困っているとき”ですから個々の隊員の奮闘ぶりも相まって自衛隊に対する認識も変わってきています。 でも本質は軍隊、決して土木会社の職員でも車両でもないという事を忘れてはならないと思います。

伊集院静さんのこと 1/2




先日たまたま伊集院静さん(作家)がレオナルド・ダビンチの足跡をたどり“思いの丈を吐露”しているところを目にしました。たまたまでしたしほんの短い時間でしたしどんなことを口にしていたかなどは今になると思い出すこともできないくらいなのですが。ダビンチの紹介というよりは、ダビンチの足跡をたどる形で自身の心情を語っているという感じがして心に残ったのです。 同じころ、好評を博しているエッセー集「一人で生きる 大人の流儀」第9巻を取り上げてのインタビューを目にする機会に恵まれました。 

著作そのものも含めて伊集院静さんについての知識は、高い人気を保ったまま結婚した女優・奥さんがその後病没し死別したことくらい。このことは私でも記憶にあるくらい当時結構な騒ぎになりましたから。 今回の第9巻に描きこまれた言葉はこれまで一人になって歩んできた生活・人生で到達・昇華した文言の数々だと思います。ずぅっとこのような思いが胸の中にあったんだと思います。 



と、言うことを書いたのですが、画像検索のときについでに確認してみたら全然違う。これまで勝手に思い込み、それで書いていたら大恥をかくところでした。 でもその時はそんなイメージを持たせる切り口・口調だったんです。 この度初めて出自を知り、それが大元に有るのかな。生まれた街にも、訪れるあちらこちらにも、年に一月ほどしか帰らない時もあるという今居を構えている自宅・街も含めての生活(スタイル)がダビンチの生活。そして、終生手放すことなく筆を加え続けたと言われている3作品・3人の女性という辺りに、自分と同じ匂いを感じ取ったからこその探求と口調だったのかと考えさせられえました。

人それぞれ、様々だとは思いますが「心の中にモヤモヤはっきりしないけれど何かある」という思いになることはあるのではないでしょうか。普通はそれがなかなか思うように表せません。何とかしょうと努力しても「これじゃない(言葉以外にも様々な表現方法で)これじゃ伝わらない」と感じることがあるのではないでしょうか。それを表出する技術を持ち合わせているという所が一般の人達と“作家”の違いでしょうか。

以上は先の偶然から私の頭で勝手にこねくり返したものですが 

2019年11月24日日曜日

P 電力事情




同様のことは“電気”にも言えます。電気の場合は停電という事になるわけですが、停電しない 需要と供給が釣り合っている、個人消費の電気料金は賃金に見合った水準となっている。そして、海外資本を呼び込むため 産業育成のため他国と比較して“一番高い”という評判が立つのは避けたいところ。

停電の経験、「覚悟していたのに、思っていたより停電がないもんだな。」と後で思うこととなった一回だけ。これも先ほどの雨の時。 いきなり電気 家中の照明が全部消えて扇風機もストップ「来たか!」と思いました。幸いその時の停電は短い時間で復旧。停電と言うと、結局その一回だけでした。

併せてひと月くらいの日数になる私のフィリピン滞在での停電体験は一回だけですが、今後益々発展するだろう産業 経済、変化する生活様式で電力需要は拡大する一方ですから一層の電力供給体制が必要不可避なのは間違いありません。 加えて、以前エアコンについて「機械自体はあるんだけれど電気代が高いものだから使っていないお宅が多い」という事を書いたことがありますが、フィリピンは電気代の高い国なんだそうです。東南アジアの中でも高いと言われている電気料金も課題です。

電気代が高いという事は日々の生活だけでなく、工業化 経済発展にも大きく影響します。産業の振興発展には需要に見合う電気の安定供給はもちろん、電化機器を使おう(購入しよう)という気になる電気代が(安価)求められます。 

特に専門でなく取り違えているかもしれませんが、フィリピンの発電を担っている機関は日本で言う“公社”にあたるような組織が複数あるのかな。発電と送電は分離されているようです。{盗電もあるというようですし、送電()の有様を見ていると送電中のロスをなくす余地も大きそう} 原子力発電は過去において計画されたことが有りましたが、結局住民の総意で一度も稼働すること無く今に至っているバターン原子力発電所と言うものが有りました。 現在のフィリピンの発電供給量割合で言うと、化石燃料使用による火力発電総計に単独ではかなわないものの、水力、そして地熱発電の割合が他の国々に比べてかなり高いという事は初めて知りました。 供給に不安があるからなのか電気料金が高いからなのか、大手企業で自社発電をしているところも珍しくないようですが、その余剰電力の売電も日本で民間企業から緊急に電力を融通してもらうという事態が発生したときの感覚より取り立てて珍しい事の様ではないようです。

今のフィリピン、たとえば先進諸国と言われている国々が時間をかけ段階的に成してきたことを同時進行で取り組んでいるという事になるわけなので、取り組むべき課題も多く当然困難も沢山ありますが、私はいずれ明るい未来に到達するだろうと確信できる明るさと勢いを感じています。

2019年11月20日水曜日

P 計画断水


夏前にも耳にしていた断水の話。それが先日来、マニラ首都圏の各市・各地区輪番で一日当たり何時間と事前に通告したうえでの計画断水が継続して行われているという話が有りました。 原因としては「水源地・取水しているダム近郊の降水が例年のようになく水位が下りこのままの降水量だと年明け早々にも大変になる」という事で計画的な断水を行いダムの水を温存するという事だそうです。

 雨と言うと初めてフィリピンに行った10月に、空港ターミナルビルを出たところで感じたモワッとした空気が、お世話になる方の家に着くあたりで見事にザーッと雨(温かい雨でした)が降った時 空気が浄化され車や住宅街のライトがきれいに目に映ったという経験があるだけ。 雨と言うとその時一回限りだったので、飲料用の水は別途購入とは言え食器洗いや洗濯 トイレに全部水道を使っていたので「こんなにお天気ばかり続いているのに、どこから水を引いてくるのだろう大きな河?大きなダム?」などと思っていました。

 計画断水と言うとこんな話を思い出します。 昔東京でも同じようなことが行われたことが有るのですが、そのころ東京は毎日毎日雨降りで、それを伝えるニュースを見ている感覚では水不足なんて全然イメージできませんでした。それを納得させてくれた説明が「“東京の水瓶”となっているダムのあたりでの降水がない、取水しているダムの水位が下がっている。」という話。そういう事だったのか、水(水道)はそういうふうに作られやって来ているのかと納得した覚えがあります。 

この度のマニラ首都圏での断水(計画断水)も同じ要因・対策として行われているわけですが、マニラ首都圏の拡大と人口も大きく増えそれに伴っての水の消費量も増える一方なので根本的な手を打たない限り深刻な水不足は常態化していくでしょう。

因みに、別途購入していた飲料水は水道水を浄化した物だったようです。日本の感覚では(水道代は払っているのですが)お金を出して買うというとミネラル水というイメージがあるものでついついそう思い込んでいました。

写真は、家の前に設置された水道メーター・水道管です。道も全部コンクリ―で覆われていましたし、いざ漏水だなんだというときは大変だなぁと思いました。下水()も道の脇の方に小さな穴があけられているだけ、詰まることは無いのかな?大雨が降った時は追い付かないんじゃないのかなと心配になりました。

2019年11月6日水曜日

4種類の警備業務


ほんとに記憶・頭に浮かばなくなった時のためにメモしておくだけ。 何かの着になる・思い出そうとした時ようにここに取っておくというだけなのですが、まさに言葉の備忘録。

「警備業法」

警備業法は全8章・60条と附則がからなっていますが、その第3章にそれぞれの業務ごとに1号から4号まで4種類の業務が定められていました。

1号業務 空港保安 施設警備

2号業務 雑踏 交通誘導警備

3号業務 貴重品等運搬業務 

4号業務 身辺警備

言われてみれば至極納得ですが、正直なところこのように分けて規定されているとは思ってもみませんでした。 確かに対象も異なれば行う事 必要とする知識技能も異なる事に気づきます。 共通する基本的な教育 業務別教育を受けて業務につき、その後も現任教育が課せられています。 事故・事件が起きないようにと言うのがもちろん第一ですがもし起きた時という事も有りますし、昔は結構目にした気がする農閑期に行政から発注された近隣の小土木工事でおばさんが片手間に赤い旗を振る時代ではなくなっていたという事ですね。 確かに今交通誘導は、一日 もっと短くて半日で終わるような小さな工事や保守でもみんなユニフォームを着て真っ黒に日焼けした人たちが当たっています。 1から4号に分けられているそれぞれの業務にあたっている人たちの雰囲気 立ち居振る舞いも違いますね。

2019年10月26日土曜日

パロル  ber month

 10月でした。その時強く印象に残ったのは 手続きを終えてターミナルビルを出てすぐ気づいた“クリスマス飾り”。 どう見ても大きなクリスマス飾りなのですが、まだ10月。日本の感覚で言うとまだまだ先。 日本でこういう飾りつけを目にするようになるのは、このところ急に盛んになったハロウィーンが終わって11月に入ってからでしょうか。
フィリピンに初めて行ったのは

 フィリピンには「“bermonth」という言葉が有るんだそうです。 “月”の名前の最後に“ber”が付いている月。つまり12月=December に向けてSeptember 9月からクリスマスを迎える準備、「クリスマスが来るよ イエス様の誕生を喜ぶ準備をしなさい」という事だそうです。

 そしてクリスマス飾りでは“パロル”というものがあります。 空港で目にしたのは大きなリースでしたが、とても華やか日本語で言うと“動く電飾”とでも言ったらイメージができるでしょうか。(パロル もとはスペイン語のランタンという意味だそうです) ただ点滅させるだけでなく、光が流れるように演出して点滅させてみたりモーターを使って回転させたり…  日本の教会で感じる 厳粛な雰囲気と言うより 嬉しい その気持ちを表すお祭りという事なのでしょうか。 パロルでお祝いするのはフィリピン全土ではなくて決まった地域だけと紹介しているものもありましたが、(メトロ)マニラから700800㎞も離れた彼女の地元・実家でも飾るそうです。 色々話を聞くにつけ、フィリピンのクリスマスを見てみたいという思いが強くなるばかりなのですが、ルソン島パンパンガ州サン・フェルデナンドで12月に行われる「サン・フェルデナンド ジャイアント・ランタン・フェスティバル」というものもぜひ観てみたいものです。

日中でしたので実際に点灯しているタイミングではなく華やかさは伝わりませんが、道路わきにパロルを作って販売もしているお店かなというものを目にしたのは3月、こんな時期から! さすがキリスト教国 ラテンの国 フィリピン 違うなぁと感じました。

2019年10月21日月曜日

スコットランドの払った代償は大きかった


 ラグビーワールドカップ2019日本大会 全20チームが、プールAD4つに分かれて各5チーム総当たりのうち上位2チームが決勝リーグに進むことができる一次リーグ。 ティア1の伝統有る強豪チームスコットランドが、プールAでの敗退の瀬戸際に立たされラグビースタイルの信義に劣る言動で、大会前には想像もできなかった大きな犠牲を払ってしまいました。

 一連の“騒動”は、これまでにない広域で甚大な被害をもたらしいまだに復旧はおろか全貌もつかめない台風19号の被害。もっとも影響すると思われる101213日に予定されていた試合を中止(両者引き分け扱い)するかもしれないとし、その発表に対してスコットランド協会のマーク・ドットソン最高経営責任者が日程を変更・順延してでも開催することを要望。その上に、当初の予定通り開催しない順延もしないなら法的手段に訴えるという考えを表明したことから始まりました。 その言動に対してラグビー競技の国際統括団体は、他の19協会と同様に(スコットランドも)一次リーグにおいては試合日程の順延はないとの申し合わせに同意している。「開催に向けて全力を挙げているときに残念」と言う声明を出していました。 
貌もつかみ切れていないほどに被害を出した台風

 その後の経緯では 12日に予定されていた2試合は中止13日の試合も台風の影響が横浜よりも遅くに残っていた岩手県・釜石の試合も中止。 スコットランド日本戦の予定されていた横浜は、話では2,000人にも上るスタッフの奮闘で運営に一部の変更を加えるだけでの開催が行えたとの由。

 試合に臨む姿勢で、日本チームは台風で被災した多くの人達を力づけるためという大きな目的をみんなが共有したので一段とパフォーンスが上がり、対するスコットランドはとにかく勝たなければ決勝進出はないという瀬戸際で見苦しいことに 約束したことは守るというラグビースタイル(今回の場合は事前の協約も取り交わしていたのに) 過去に1度しか負けたことがない日本ならと相手を見下し相手を尊重も敬意も払わないという姿勢が多くの反発を呼んでしまい選手の士気は下がっていたのではないでしょうか。

 つまり、日程通り開催された試合でスコットランドは21(日本は28)で試合に負けてしまったんだけれど、試合前にすでに勝負に負けていたと思っています。

 

今回の一連の事でスコットランドの払った代償は大きかった。 多くのラグビー愛好家の反発を呼んでしまいました。試合にも負け、2019ワールドカップ日本大会一次リーグ敗退となってしまいました。 その上、獲得したポイントの内6ないし7点を剥奪するという事が検討されているようです。もしそうなると一次リーグAプールの3位から降格という事になり、各プールで上位2チームに入って決勝リーグにすすめなかったとしても3位であれば次回ワールドカップに地区予選を経ることなく進出することができるという特典を失うことになってしまうのだそうです。 今回の一連の出来事でスコットランド は これまで築き上げ保ってきた栄光を台無しにしてしまったと思います。スコットランドの払った代償は大きかった。 ラグビーはそういうものでもあるのです。



今回の対日本戦、もしスコットランドの勝利だったとしても後味の悪いものだったでしょう。でももし戦わなかったら…  もし戦うことなく終わっていたならばらラグビーワールドカップ2019日本大会の悲劇 として語り継がれたでしょう、でも実際は全く違う展開となってしまいスコットランドの強さは本当に神話になってしまいました。

2019年10月19日土曜日

実はアメリカ合衆国・テキサスにあるパリ






映画「パリ、テキサス」パリとテキサスの話かと思ったら、実はアメリカ合衆国・テキサスにあるパリという事でした。



「アメリカのトランプ大統領」という言い方がどうにも引っかかって仕方が有りませんでした。トランプ大統領と言えばアメリカ合衆国の大統領だろうにと思っていました。



イギリスのボリス首相が国会を開会しなかったのは正しくないという決定をしました。ハッと気づきました。そう言えば イギリスのボリス首相は“イギリスのトランプ”と言われていたな。ブラジルのボルソナロ大統領は“ブラジルのトランプ”と言われていたな。 たびたびの開催要求を意図的に無視して委員会も国会本会議も開かなかった安倍首相は“日本のトランプ”と言われていたな、と。 どの国の大統領とか首相というのではなくやり方 やっていることをもって、つまりトランプ流ということでしょうか。 今更!と言われそうですが。

トランプと付けて呼ばれる人たちはいずれも 和解ではなく対立を 協調ではなく分断を マスコミ敵視(同時に懐柔) 歴史の事実を自分の解釈で変えてしまい 地球温暖化については じゃぁなぜこんなになるのかという気候変動 を目の前にしても科学者・多くの被害者の意見を受け入れない。新自由主義による経済・生活破壊 等々。 未来に対してどれだけ強い影響()を持っているのか、その立場も責任も気づいていません。それらみんなが共通していることに気づきました。

2019年10月12日土曜日

独自の文化を保っているベルベルの人達


 2題 その2 裁判記録破棄」で触れたところですが、今回は“植民地”と言うと一つ覚えのアミカル・カブラルとのかかわりで一言。
つい先ごろ一年にわたるエクス・アン・プロバンスでの研究を終えて帰国した小山田紀子 新潟国際情報大学教授の「人の移動から見るフランス・アルジエリア関係」と題する講演については、記録する・資料を保存する・資料を貴重なもの大切な財産と考える視点で日本と違うなぁという事で、先日の「その後

 

今回の講演で「7世紀以降のアラブ()の征西により現在の西方アラブと言われる地域の アラブ化が進んだ。アラブ化(語)によりコーランが読めるようになりイスラム教徒化が進んだ。もともとこの地域に居たベルベル人たちのイスラム教徒化が進んだ。」ということを聞きました。 なのにその後10世紀間、19世紀に入ってからのフランスの植民地時代へて1962年の独立、そして現在に至ってもアルジェリアにはベルベル語しか話さないアルジェリア人アラブ語しか話さないアルジェリア人がいる・同じアルジェリア人同士でありながら文化 言語 の独自性を保っている。いやアミカル・カブラルを頭において言うならばベルベル語(文化・民族)が生きているという話にびっくりしたというわけです。

2019年10月6日日曜日

 フィリピンで見かけた 架装前の車台


いよいよ新しいディフェンダーの登場です。 唯一無二の存在だった前のディフェンダーが長年にわたってポリシーを保ったまま愛されてきた車でしたから、機能的には現代に合わせて好いものになるのでしょうが新しければいい(快適さが増すことは間違いないでしょうが)みんなに選ばれるというものでもありませんので。特に道具としての用の美を持ち、ストーリの有るディフェンダーのような車は、“ニューモデル”としていくら優れていても後継として認められるかどうかは別次元の話が有りますから。 今回のモデルチェンジによってボディデザインが変わったのは当然目を引きますが、フレームがラダーフレームからモノコックフレームに変わったという事も話題となっています。今回採用されたモノコックフレーム採用だって十分に検討され間違いのないものなのでしょうが、ディフェンダーの持っていたストーリーのイメージから言って何も気にならないと言ったら嘘になるでしょうね。 いまだに納期一年以上のジムニーがモデルチェンジでもラダーフレームにこだわったのは好意的に受け入れられ新たなストーリーとなった例もあります。 以前のディフエンダーが90 110 130とホイールベースの違うものを持っていた、かつ様々に作り分けられた車種を持っていたのは(ただ載せ替えればいいだけなんて簡単でないことはわかっていますが)上と下が別々で要望・用途に対応しやすかったから?なんてことも思ったりします。



写真はフィリピンで見たもの。架装前の車台ですね。

日本でも骨組み・まさに梯子=ラダーフレームにタイヤがついて、前の方にシートとハンドル ペダル メーターパネルがむき出しドライバーもそのまま、フレームの後ろ端にエンジンがむき出しで乗せられている、間には何もない物が走っているところを見て「車ってこれだけで走るものなんだ!」と驚いた覚えがあります。 車はカタログにある完成車を売る自動車メーカーだけでなく、用途・注文に応じて様々に架装して仕上げるメーカーがあります。 フィリピンのこの車台はどのような車両に仕上げられるのでしょうか。

2019年9月24日火曜日

WFPとの出会い





“衣食住” 教育や医療もとも思いますが、生きていくうえで必要な物を端的に言いえた言葉でしょうか。 “衣”という事では、たった一枚しかないものだから着替えることもかなわず裸になってサリーを洗う少女を写した写真を目にしたことがあります。この様子では少女の生き生活していく困難は推して知るべしです。日々どうやって食べ物を手にしているでしょう。 “食” 子どもが子ども時代を生きるのではなく、労働力として遇されている。未来のために、教育 学校に休まないで通うのに給食を出すと効果があるということを聞いたことがあります。

ここからがWFPとの出会いの話。 ケニア・ナイロビのマゴソスクールは音楽教育にも力を入れていて、ケニアの大会でも上位に入る実力校。その他、現在のマゴソスクールができるきっかけを作り今も運営にかかわっているリリアンさんによると「子どもたちに一日一食だけでも食べさせたい」と給食にも力を入れているそうです。 給食は確か一食10円見当 通ってくる子ども達は300人ほどとのことですが、それが毎日毎日でずっと続けていくことですから大変なことだとすぐわかります。 その時に「国連WFPの援助を受けられるようになってほんとに助かる」と耳にしたのが初めてでした。 その帰り道でした。前方に、白い国連の車・WFPの車が食糧の詰まった袋を下ろしているのが目に留まりました。左に伸びる細い道の奥の方にカトリック系の学校があるのだそうです。 国連には様々な組織がありますが、私にとってこの出会い以来WFPWHOUNICEF UNESCOなどと同様になじみのある組織(名前)となりました。

2019年9月16日月曜日

その後 2題 その2 裁判記録破棄


   85日。その後の推移は、愛知トリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に比べると小さい気がします。知る範囲では、新潟の弁護士会が異議申し立てをしたという事が一度目に触れただけ。私が知らないだけで他にも多数の動きがあることを願うばかりです。
一度書き上げたのがちょうど一月ほど過ぎたころでした。 一面トップに「憲法裁判の記録破棄」という記事がこちらの地元紙・新潟日報に載ったのが

参考までに以下に記事の一部を転載させてもらいます。

裁判所の規定は重要裁判記録の保存を義務付け、専門家は違反の疑いを指摘する。著名裁判記録の破棄は東京地裁で一部判明していたが、全国規模で捨てられていたことが分かったのは初めて。米国などでは重要裁判記録は原則永年保存され閲覧できる。元原告ら当事者から「重要な記録で残すべきだった。残念だ」などの声が上がっている。 ~ 今回廃棄がわかった中には長沼ナイキや沖縄代理署名のほか、法律を違憲とした広島薬局距離制限訴訟や国籍法違憲訴訟、裁判官の政治的活動制限と表現の自由が論じられた麹町中内申書訴訟がある。 ~   多数の廃棄が適切か否かについて最高裁は「(廃棄は)各裁判所の個別の判断」として回答を避けた。

以上、記事の一部ですが、私の考えでは全文の中でこれはとどめておきたいという所を紹介しました。 記事によりますと、裁判の判決文は保存してあるという事ですが、そこに至るすべての資料・記録が破棄された。つまり、どういう経緯を経て裁判が提訴され行われたのかの事実関係の様々な資料がすべてなくなってしまったという事。 もともと、住民側の訴えで行われた裁判はたとえ下級審で住民側が勝訴したとしても上級審では国側勝利に覆ってしまうという多分に三権分立が怪しいなかで、関係する住民の意向や技術的な事実だけで判断すればそうはならないだろう結果・判決が“政治的判断”で導き出されているとしか言えない悲しい現実があります。 十分に三権が独自性を保っていない現状・力関係において政治的判断なされるという事はその当時の時代や社会においてはありえる(有る)ことです。望ましいことではありませんがそれが歴史なわけです。 後に社会情勢が変わった時、時代の推移を経て様々に検証しようとなった時、すべての資料が破棄されていたとなると事実・技術的判断とは異なる裁判結果がそれこそ政治的判断によって導き出されたのか本来はどう結論付けるべきだったのかそれらすべてを検証することが不可能になったという事になります。 記事に紹介されていた裁判の数々を思い起こしてみると、そこに触れてほしくなかったからこそ破棄したとしか取れません。この度の事、後ろめたいものがあるからこその行為だったことは間違いないと思うのですが、記録 保存に対する日本人の良くない面をまた見てしまった思いです。

というような文を書き上げたものの、今一つ思いが書き切れていないような気がしてアップロードが遅れ遅れになっていました。 そんな時、前々から予定していた、新潟国際情報大学教授 小山田紀子さんによる「人の移動から見るフランス・アルジェリア関係」という講演会で、チュニジア・アルジェリア・モロッコという西方アラブが8世紀初めにアラブ・ムスリムの支配下に入った。その後18世紀後半・フランス革命期の社会混乱状態の中で、地中海沿岸 特にマルセイユを中心とする地中海沿岸において食糧(小麦)交易で結びつきが強まり、1830年にフランスの植民地となった。独立は132年後の1962年という話を聴きました。 そのアルジェリア独立にさいしてフランスは90トンにも及ぶ関係資料をエクス・アン・プロバンスに有る国立国際海外文書館(ANON)に移送したというのです。植民地としていた間の負の物もあっただろうに資料をすべて保存するというその姿勢は日本とは大きく違うものだと思いました。

2019年9月4日水曜日

その後 2題 その1


   2019の中の企画展「表現の不自由展・その後」そのものが開催直後突然中止となってから一月が立ちました。 現職の市長の立場としては不見識な発言。その後警察に告発されましたが、力づくで展示をやめさせる意図での脅迫・テロ予告。この手の抗議=脅迫・テロ予告はなぜこうもやすやすと通ってしまうのかといつも思います。逆の声は通らないというのに。 会見では平和の少女像を引き合いに出して「不快な思いをした」と言っていました。 その理由は、作品の出来・完成度に対してではなくこの彫像がつくられるに至った背景をこの人は知っているがゆえに不快になったという事だと思います。
愛知トリエンナーレ

 作品に触れて「不快感を覚える」という事は “美術・芸術の変遷”において初めてのことではありません。 印象派(その運動)が初めて現れ批判されたことそしてその後の変遷を振り返れば、先のことはわからないものだとわかるのではないでしょうか。

 このたび取り上げられた「平和の少女像」は発想・書式・技巧として新しいものだとかこの作品の前と後では美術史が変わるという作品ではないと思います。 けれどこの度のことでそれが一層強められた思いが込められて誕生した作品であることは間違いありません。  

それゆえ賛否両論やり玉に挙がった芸術家 作品もあります。芸術家はその作品を通して、音楽家は音楽で俳優はその演技・作品で社会に働きかけてきました。ナチスドイツによる一般人に対しての無差別爆撃に触発されて描きあげたピカソのゲルニカが独裁者フランコ総統の死後ようやく故国スペインで展示されるようになったこと。カザルスの平和に対する姿勢などが思い起こされます。

2019年9月3日火曜日

P これもひとくくりにしてパジャックと呼んでいいのでしょうか? “おまけ”



話し戻して。このパジャックのおばさんのパイナップルのむき方が目から鱗、すごく印象に残っています。 ごつごつの皮を厚めにそぎ落として、それでも残るぶつぶつのヒゲ()をらせん状に溝を掘るようにむいていく、参考になりました。

実は大根もそうなんです。甘い大根かそれとも辛い大根かを見極める時、このラセン状のヒゲの間隔の広いか狭いかで見極めることを思い出しました。 青首の甘い大根がすっかり一般的になった昨今ですが、辛みの利いた大根の方がお料理の味を一段と際立たせるという事も有りますのでこの選別法を知っているといいですよ。  


ちなみに広いのが甘くて狭いのが辛い大根です。 

P これもひとくくりにしてパジャックと呼んでいいのでしょうか?


昔の日本には行商品物別に特有の呼び声が有りました。その音を聞くと、頭の中に自然と言葉が浮かんでしまうラッパを使う事もありました。それらを聞くと遠くからでもこれから○○屋さんが来るんだなとわかったものです。 残念ながら、今の日本ではスピーカーで「○○の販売でお邪魔しています…」等々を流しながらトラック型やワンボックスワゴン型の軽自動車で回ってくるのに変わってしまいましたが、遠くからでも来るのがわかります。でも今目の前までやって来た、野菜や果物を積んだパジャックには全然気づきませんでした。 自転車なのでエンジンの音もしませんし、静かにゆっくりゆっくり回っていてどうやって知らせているのか? 人の輪ができました。大事な財産として代々受け継がれていくルート・顔なじみというものが日本の行商にはありました。こちらにもそれと同じようなものがあるのでしょうか。 私ものぞいてみましたが、バナナだけとかジャガイモだけというのではなくてまあまあの品数をもって回っていると思いました。これだけあれば十分足りるのではないでしょうか。 

ところで、このパジャックの自転車は輪の小さい自転車。 日本でももちろんこれくらいの小さな輪の自転車も多数走っています。俗に“ママチャリ”と呼ばれたりもしていますが、実際には折りたたみができるものや小さな子供を乗せるシートが付いたもの変速機の有無等々様々なタイプが走っています。でも日本で自転車と言うと26とか27インチという印象。 当初、全然目にしないのでこちらフィリピンにはないのかなぁとも思うほど。聞いてみたら、このタイプ無いことは無いけれど珍しいとのことでした。 結果、こちらフィリピンでそのようなタイプ・趣味性の高い自転車を目にしたのはイントラムロスでたまたま出会った女性一向(後で聞いたら国会議員だという事でした)が乗っていたくらい。

2019年9月1日日曜日

「なくそテ原発柏崎大集会2019」


台風に見舞われたお盆からそして天気予報では明日からまた雨が続くという合間の今日(91)、残念ながら体調が今一つ優れなくて参加することはできなかったのですが、新潟の原発立地地・柏崎で「なくそテ原発柏崎大集会2019」の日でした。 今年の集会は、経済学者で慶応大学の名誉教授でもある金子勝さんが「原発を止めないと 日本は成長できない」という演題で話すという事でこれまでに増して参加したい集会でした。 危険で厄介な原発というのは今更改めて言うまでもないことですが、福島第1原発の後さすがに無謬的な原発の安全神話は後退したものの、未だ政府 財界それに“有識者”と言う人まで一緒になっての“からくり”で新しい基準を満たせば安全だ地球温暖化にも()発電コストでも原発は優位なのだという主張が存在しています。 この間世界は脱原発と再生可能エネルギー選択に歩みだしました。でも原発に固執したままの日本は、再生可能エネルギーに関しての考え方も技術的な面でも大きく後れを取ってしまい、いろいろな意味で取り残され発展の機会を逃しているという事を見聞きしていたのでこの度の口演ぜひ聴いてみたいと思ったのです。 残念です。でも歴史の流れから言ってこのような機会は今後一層増えると確信しています。

2019年8月28日水曜日

P  こちらのバナナは一房35ペソ 






バナナの行商が回ってきました。計りがありますのでg幾らと決まっているのでしょうが、目安として一房35ペソとなっているようです。 指に挟んでいるのは20ペソ札。ちょっとした支払い、チップでもインターの支払いでもよく目にするお金(紙幣)。この持ち方は何か都合がいいのでしょうか。かっこいい スタイルなのかな!?

先日書いた“カリトン”の上の部分だけをトライシクルの荷台に乗せた物(に見える)にバナナを乗せています。このトライシクルは乗用とは異なる荷台・荷物を載せる仕様です。ミネラルウォーターの配達も、パーティのレンタル機器の運搬も同様のトライシクルが使われていました。 ただし、この手のトライシクルに人が載っているのも目にしましたから荷物のみというわけでもないようです。車でも“定員”という考え方は厳しく無いみたいで、おおらかというか実用的という所でしょうか。 ぴたりその物の呼び方もあると思うのですが、聞いた人に言わせるとあれもトライシクルだという事で一蹴されてしまいました。確かにトライでシクルなのは間違いないのですがあるんじゃないかなぁ。そんなことを気にする(気にしない)のもお国柄の違いでしょうか。

ところで、残念ながらせっかく買ったバナナでしたけれど、私の口には入りませんでした。

青くて大きい(太い)調理用のバナナだったら違ったのかもしれませんが、この生食用の熟れたモンキーバナナ、私が外で写真を撮っている間にみんなのお腹に収まったようでした。残念。

2019年8月25日日曜日

P ガードマン余話 “姿勢”




 
もちろん日本でも姿勢の良い人が居るしフィリピンでも姿勢の悪い人が居るでしょうけれど、印象としては猫背とか足元の地面ばかり見て歩いている人は印象にありません。 日本でヒールの高い靴を履いている女性を見ていると「せっかく高い靴を履いているのに膝が曲がったままだからもったいないなぁ」と思うことがしょっちゅうあるんですけど、こちら(フィリピン)で見かけた人たちはみな膝裏がピンと伸びていて気持ちがいいくらい。  履きなれているせい?! とも思ってみましたが、日常・普段は日本で言うところの“ビーチサンダルですべて事足りる”という感じですので、みんながみんなそういうわけでもないでしょうし。ちゃんと顔を上げて前を見てさっさと歩かないといろんな意味で危ないのか、こういう靴を履いた時はどうするという事がマナーとして身についているという事なのでしょうか。 とにかく、膝が伸びて姿勢が良いとそれだけでも素敵に私には見えます。

P ガードマン




 空港から始まって行く先行く先、ホテルでもお店でもいたるところで同じ制服の人が居ました。 最初は「警察が多い国だなぁ」と思っていました。だって隠してではありませんよ拳銃ホルダーがはっきり見えるように腰につけられているし、繁華街の質屋さんの前のところにいた人銀行のドアを入ったところにいた人は2連の散弾銃じゃなくて連射できるタイプのショットガンを手にして立っているんですから日本の感覚でいえば警察と思って当然だったと思います。 ただ、あまりにもあちこちで目につく、そのうえお店に入る時はドアを開けて向かへ入れてさえくれるに至って「ほんとに警察!?」と思って聞いてみたら「あの制服はみんなガードマン」との事でした。 ちなみに、警官とガードマンの見分け方ですが、警官の服はベージュだそうです。アンビュランスは幾種類も見かけたしパトカーも見たけれど、どこかで目にしているのかもしれませんが警察の人・警官そのものは見た覚えがはっきりとはないんです。 これも日本の感覚ですが、銀行はまだしも日本領事館にもこの人たちがいました。その時はまだ、改めて考えるまでもなく警察の人とばかり思っていましたけれど、後に考えればここまで民間なの!とびっくりです。




 この“ガードマン”。仕事として考えると、ケニア(ナイロビ)の時もすごく多かった覚えがあります。正確にはフィリピンで目にした姿勢が良くて同じ制服をかっこよく着こなしている“ガードマンの人たち”という事ではなくて門番や守衛と言った人たち・職種にまで広げての方が正確だと思いますが、朝仕事を終えて帰ってくる人や夕方出かける人を目にしました。ナイロビのジャシー・日本語学院やキベラで会った人達、そして聞いた話では。

 つまり、治安からくる必要性もあるのでしょうけれど、これだけかかわる人が多い・多くできるという事はそれだけ人を雇うにかかる経費が安い・人件費が安い、賃金が安いから回していけるのだと思いました。 日本の労働者の賃金も働いている割にはまだまだ低く抑えられていると思いますが、ケニアもフィリピンも統計資料的には日本よりもまだまだ低い数字となっていますから。

 それにしてもフィリピンのガードマンの人たち、お腹周りのたっぷりした人もいるけどみんな姿勢が良いしかっこ良いですよ。この仕事・制服に誇りを持っているんでしょうね。

2019年8月21日水曜日

矢口史靖監督最新作「ダンス・ウイズ・ミー」 

先日偶然矢口史靖監督の新作「ダンス・ウイズ・ミー」の一部シーンを目にして、賞も取ったし話題になった(宣伝した)「ラ・ラ・ランド」での欲求不満解消のつもりで観に行きました。 この作品誕生の起因は、作中で主人公に直接言わせてもいますがミュージカル映画の「話の途中で突然歌い踊りだす不自然さ」だったそうです。その不自然さ を生かして矢口監督お得意の作品を作ろうとしたのか、ミュージカル映画の不自然さを他の人にも感じさせようとしたのか、さて出来上がった作品はどうだったでしょうか。  今の日本、世界で評価されるダンサーが次々出てきているのは知っていますけれど、個々のダンサー・ダンスは素晴らしくともミュージカル映画となるとどうでしょう。一本のミュージカル映画としての長尺、観客の鑑賞に耐えられるものが出来上がるのか。映画となるとかかわるスタッフも多様な人たちになるし・・・と思いました。 

結果。 矢口監督の以前の作品にもあった要らない間 わざとらしさ で流れがストップさせられるという事はほぼ抑えられスムーズな進行だったと思います。 ダンスシーンは、まさに“ミュージカル”の歌ってそして特に踊ってを途切れさせないでと思うほど楽しませてもらいました。 “広がり”という事では感じることが有りました。いつも何らかの壁というか視線を遮るようなものがあって、ハリウッド映画・ボリウッド映画 昔のレビューのような広がり奥行き人数で違いを感じました。あえてそういう演出だったのかもしれませんが。 特筆は宝田明さん。 日本の作品の主人公はどうしてこうも若い人限定なのか。大人の女性とは違うけれど主人公はもちろんいい出来なんですがそんなことを思います。 印象に強かったのが導入部からの宝田明さん。宝田さんって歳は幾つだったっけ?とびっくり。生きるか死ぬかに置かれた戦争体験のある人だからもちろん若くない。歳なりの踊りと歌声、役になりきっての自然な感じではないんですが、それが舞台・演技を観てる!って感じさせてくれたのです。映画はある意味虚構の世界、一時それを観せてくれているのだと思い出しました。 ベテラン、年齢のいった大人だから出せる味というものでしょうか。
最後のロールで流れたビッグバンドジャズの演奏もよかったですよ。久しぶりのジャズクラリネットの音色、久方ぶりにクラリネットの入ったジャズを聴き返してみようと思いました。

2019年8月19日月曜日

P  パン・デ・サール・“塩のパン”


朝、向かいのお爺さんが
茶色の紙袋を手にして私を手招きしています。 このお爺さん、顔が合えば挨拶をしていた人。自分も一つ食べながら、袋の口をこちらに向けてすすめてくれます。一ついただきました。 卵の白身を塗らないで焼き上げるのでしょう焼き色のついた背中も含めて全体が柔らかな食感、初めて口にする少ししょっぱい味のパン「パンデサール」。 大きさは日本のロールパンと同じくらい。食感はこちらの方がもう少し密な感じ、蒸しパンよりかな。今回口にした物は一つ5ペソ。実物は見ていないけれどこれより少し小ぶりの丸いものもあってそちらは2ペソ。  日本のロールパンは甘くてやわらかくてこれはこれでおいしくて好きだけれど、食事・主食という事だとパンデサールのはっきりと自己主張しない薄い塩味のパンの方が日本で言えばお米のご飯 ケニアでいえばウガリみたいで合いそうです。手にした印象は “焼きたてと言うより出来立て”と言う方に近いでしょうか。  それにしても、このあたりにもベーカリが有ったというのですが
どこにあったんでしょうか。全然気づきませんでした。

2019年8月15日木曜日

P 家具屋さん








 道路脇に家具屋さんが有ったのですが、その品物の並べ方を見てケニアを思い出してしまいました。家具屋さんと言っても当然ケニア・ナイロビもマニラも大小さまざまな店舗がありますが、この規模・扱い商品の品ぞろえのところは自然と似てくるという事なのでしょうか。 ケニアの時(どこでもというわけではなく行った先がたまたまなのでしょうけれど)木製ベッドや椅子を店先に並べている家具屋さんが結構印象的でした。 食べ物と違って家具はしょっちゅう買うものではありませんがフィリピンはどうなのでしょうか。聞いてみたら「結構買う」との由。人口がどんどん増えている・家族家庭の数が増えているからかなぁ、増えていく時はこんなものなのかなぁと思いました。





2019年8月14日水曜日

P 手押し車 =カリトン(kariton)




実測したわけではありませんが、大きさはちょうどコンパネ一枚切らずに丸々使ったと思われる大きさ。その淵を細板で物が転げ落ちないようにしてあります。移動は押手となるバーで押したり引いたりします。 私が見たものは車輪そのものもゴム製のタイヤではなくて木製かと思われるおもちゃみたいな車輪がつけられています、ちょうど子どもがお菓子等の入っていた箱で作った自動車に同じく箱から丸く切った物付けた感じです。小さいので走破性はそう高くないでしょうが、押して移動しているところも目にしましたから機能はしているようです。 この写真の物は地上高が随分低くなっていますが、トライシクルでバナナを売りに来た人の物は荷台に乗せる形で高くなっていました、サイズも少し小さめ。 基本コンパネ一枚サイズの物があって、必要に応じて手を加えるという事なのかもしれません。

P ジャガイモ売り  ジャガイモ=パタタス(patatas) 


     

街を走っているとき変わった台車を目にしてシャッターを切りました。 車窓から見ただけ、手に取ったわけではありませんがぱっと見日本のスーパーではあまり店頭に並ぶことのない小さ目のジャガイモを売っているようです。 こちらではポテト=ジャガイモのことをパタタス(patatas)と言うそうです。ちなみに日本で言うサツマイモ=スィートポテトはカモーテ(kamote)。 主食として一番みんなが好きなのはお米のご飯。パンも食べますし麺類の種類も豊富です。 ポテト=ジャガイモはお料理(副食)にも結構使うそうですが、主食扱いで食されることもあるそうです。話を聴いた人に言わせると山の方でその傾向が強いかなぁとも言っていました。

2019年8月13日火曜日

P タホ屋さん (taho)




 
「面白いものを見せてあげる」と言われて表に出てみたら、温かいお豆腐に黒蜜をかけて食べる タホ を売るタホ屋さんでした。 お豆腐をこんなふうにして食べるのは初めてだろうと想像できたという事は、日本のお豆腐の食べ方を知っている人だったんでしょうね。

日本でお豆腐と言えば豆乳に苦汁を入れて抱えるほどの大きさの型枠に流し込み、大きな水槽で冷やすもの。流通の段階でも温度が上がって痛まないように注意しています。 身体にいい 健康ブーム 高たんぱく低カロリー。理由は様々あると思いますが、食材の一部を豆腐に置き換えたり、新しく考案されたお料理もたくさんあります。 でもこのタホ、日本で言うとちょうど絹ごし豆腐の食感の物をおぼろ豆腐・寄せ豆腐様にして黒蜜をかけて食べる。それも生暖かい状態でと言うのは初めて口にしました。お料理そのものというよりデザートの位置付けの物ですね。 タホは結構深い寸胴鍋に入っていました。見た感じからすると、この寸胴鍋に豆乳を入れ凝固剤を入れて作った、あるいは合わせたものをすぐ入れたそのままなのでしょう。そこから注文に応
じて、備え付けあるいは持参のカップに蓮華・ヘラ用の物でかき出して入れ黒蜜+その他をかけ、味が均一になるようにかくはんする。値段は5ペソでした。

  *タホ(taho)はあくまでもタホで
   あって、お豆腐にはトーフ(to-fu)と
   いう名前があります。
*お年寄りの利用する施設でのおやつの一品に加えてもいいなぁと思いました。

2019年8月11日日曜日

P 仕事あれこれ羅列で紹介




 

みんなで楽しむ“夜は長い”し、この調子じゃ朝はゆっくりしなけりゃ身体がもたなくて結局“宵っ張りの朝寝坊”!?なんて思ったらあに図らんや 朝早くから動き出し仕事に出かける人も多いんです。 早くから明るくなるし朝のうちは過ごしやすい。マニラ首都圏まで働きに出かける人は交通渋滞分の時間を見ておかなければならないのでゆっくりもして居られないのもあるのでしょうか。

 仕事あれこれ。これから話す仕事のあれこれは、当然ながら私が今回目にした…という事になります。大規模な製造業・工場、工業地帯は行っていません、アメリカ イギリスに続いて3番目に英語を話す国民の多い国・フィリピンの強みを生かしてのコールセンターも見ていませんのでご承知おきください。

 話し戻して、まずは羅列的に。まず挙げておきたいのは、ケニアと似てると感じて印象に残っているガードマン。そして家具屋さん。 お店を構えてという規模ではなくて日銭を稼ぐという感じで行商・物売りの人たち。天秤棒で品物を担いで。小さな車(車輪)の付いた木製で荷台の低い代車(kariton?)でのジャガイモ販売。今度は高い荷台のバナナの販売。街中では、売店の他にも屋台や何か言われてらすぐ移動できるようになのか自転車の荷台に品物を積んだまま道端で売っているのもみました。 道の一角を占めるような売店まで行きませんが、歩道に沿って細長く品物を並べているお店(?)もありました。 自転車に側車を付けた三輪自転車に野菜 果物を積んで回ってくるのも目にしました。この人のパイナップルの皮をむくお手並みは「ああやってむくといいのか!」と勉強になりました。 この側車付き三輪自転車はパジャック、ジプニー同様大活躍なのが三輪バイク・トライシクル。トライシクルは人を乗せるタクシー洋の使い方だけでなく、荷物を載せるトラック洋の使い方もされ大活躍です。