2021年12月31日金曜日
死後の行き先 こんな発想も
離れていても変わらぬ思い(感覚)
軟水硬水
2021年12月30日木曜日
”昼夜逆転” そんな理由があったとは
セロトニンを増やす食べ物
勉強になります。 普段から階段を使ったり速足 歩幅を大きくで歩いたり、わざと少し遠回りをしたり、意識しています。 でも改めてスポーツという感じではないので菅、食べる方ならできるかな。というか結構一覧に上がっているものを意識して食べてました。 マイベターハーフ ハニーのためにも赤ちゃん・子どものためにも頑張らなくっちゃ。
2021年12月29日水曜日
2021年12月19日日曜日
「産土笑い」
「産土笑い」もう30年以上も前祖母から初めてこの言葉を教えてもらいました。 すぐ上の子からでも20数年ぶりにこの言葉を思い起こしています。 赤ちゃんはいくら見ていても飽きることはありません。まだこんなに小さいのに色々な表情を見せてくれるなぁ と感心します。 そのたくさんの表情の中でもニコッと笑顔を見せられると「わーっ可愛い⤴」とメロメロ デレデレ です。 その可愛い笑顔 表情を「産土笑い」と言うのだと教えてくれたのです。
赤ちゃんを抱き改めて思うナチスの残忍さ
赤ちゃんは元気です。 よく飲み、運動?手足をバタバタ、抱き上げるとすでに首を支えようとしていると感じるほどです。夜中の授乳は大変ですが、すべてが可愛くてがんばっています。 でも、いくら動きが活発でも寝かされた所からどこかに行くことも食べ物を自分で手に入れることもまだ出来ません。泣き声で人を呼び人にミルクを飲ませてもらい人におむつを替えてもらうしかありません。誰か周りの大人に助けてもらわなければ生きていけません。
改めてナチスの残虐さを覚えます。 ロベルト・ロッセリーニ監督の手による1946年の全6話からなるオムニバス作品「戦火のかなた」の一シーン、ポー川のとてもとても広い河口部、両岸に広がる葦原には水路が走ります。そこを舞台にしたエピソード、後方かく乱の任務を帯びたアメリカ兵と撃墜されたイギリス軍パイロット、そしてパルチザンの人たちが空腹を満たす為その一角にある支持者の一家を訪れる。その後ナチスが襲撃で、その家にいた人たちの中幼児がただ一人だけ生き残り➝わざと殺さず、葦原を走る水路を行き来する小舟が付く桟橋で泣き続けるシーンが出てくるのです。 自分一人では、一口の食べ物も一口の水も、どこかへ行って誰かに助けを求めることも出来ない小さな子だけをほおりだしていく。もちろん殺戮は残虐行為ですが、それ以上に喉が渇きお腹がすきいくら泣いても誰も助けに来てくれない状態で小さな子どもを、じわじわ弱って死んでいく状況で置いていく。 初めて見た時から忘れられない情景でしたが、この度赤ちゃんが与えられ改めて思い起こしました。
2021年11月21日日曜日
2021年11月20日土曜日
4党共闘の成否
この度の総選挙(衆議院選挙)は立憲民主党をはじめとする4党が共闘を組んだという事でこれまでとは別の関心を呼びました。 現行の選挙制度は、弊害の多い小選挙区制を取っている上に、低投票率であってもとにかく一票でも多く票を取った候補者が当選。その他の候補者が何人いようと、当選者以外の得票が圧倒的多数であってもそれはすべて死に票となってしまう仕組みになっています。 そうすると(各選挙区ごとの細かい事情はある) 自民党のみ政党支持率が40%を越え、他政党は一律一桁台の支持率と言う現状で個々バラバラに候補者を立てて当選できるわけがないと考えるのが当然の事。 ではどうするか。 各政党はそれぞれに主義主張そして目標を持っているけれど、まず一致できるところで手を結び選挙協力をするというのは有望な選択肢と言うわけです。 今回の場合はまさにそれでした。 たとえ憲法レベルの事であっても自分に都合のいい解釈をして決めてしまう。国会を開かない、国民無視 国政の私物化 隠ぺい体質、経済低迷 社会保障の後退 COVID-19の不手際。それらすべての元凶である9年に及ぶ安倍 菅政権の総括。そして総選挙直前に、ひと月にわたって総裁選・自民党をマスコミに取り上げてもらった上に、何か失策をする前のタイミングで解散総選挙に打って出た岸田新政権からの政権交代を目指すを一致点として共闘したのです。
前評判では、自民党はそうとうの議席減になるだろう場合によっては連立を組む公明党と合わせても過半数を割り込むかもしれないという話すら聞かれるほどでした。 ところが結果は前評判を大きく裏切って、自民党単独で過半数越えどころか安定多数確保。大阪を地盤とする維新の議席増。逆に立憲民主党は、枝野代表が責任を取って辞任するという議席減となってしまいまったのです。 選挙戦術としての共闘に対する見直し論もにぎやかです。 “共闘”
選挙協力は野合であるとか失敗だったとか共産党が嫌だと言うアレルギーが根強いとか いろいろ言われています。 でも、このたびは野党4党が手を組み200を超える選挙区で候補者を調整することができ。立憲民主党の議席減と言っても小選挙区では議席を増やし、当選まで至らなくともあとわずかというところまでの接戦を繰り広げたところも多くあったわけです。大物と言われる人を破っての当選もありましたし、共闘の成果は上がったと言っていいでしょう。立憲民主党の議席減は、共闘していなかったらもっと減っていたところを食い止めたと言ってもいいとさえ思えます。(立憲民主党が全体として改選前の議席を下回ってしまったのは比例区での得票が伸びなかったから、これが痛かった。)
立憲民主党の枝野代表が責任を取って辞任という事になりましたが、この際辞任した方が好いと思います。枝野代表は共闘の中心となるべき立場にありながら消極的でした。後ろ向きとさえ取られるような振る舞いも見られ、中途半端でした。 本当に政権交代を目指しているのかと思えるほどの低い“熱”でした。それが国民の心を打たなかった、変えるところまで行かなかったというのが正しい所だったのではないでしょうか。 個々の労働者の代弁者・団体じゃないの?と疑問符が付く連合の姿勢・発言で弱腰になってしまったのもいただけませんでした。 立憲民主党自身の自力のなさも明らかになりました。厳しいと言われた自民党には自力があり、立憲民主党は姿勢が中途半端なうえに実力が伴っていなくて自滅したというのが共闘の成否ではないでしょうか。
2021年11月7日日曜日
“家族の入院 退院”
“入院”なんて言うとびっくりしてしまいますが、この度は大丈夫。 入院には何か理由があるわけですから心配しなかったというのは正確ではありませんが、この度の入院は出産のため。40週には少し早かったのですが、3020gで無事生まれました。
退院後は部屋の雰囲気 方向も二人の生活リズムも様変わり。3時間ごと一日8回の授乳で夜は睡眠不足、二人とも大変です。 ただし、大変だけどそれ以上の子ども(赤ちゃん)の可愛さで頑張っています。
ふっと思いました。「こんなだったっけ」 顔の大きさはほんとに小さくて私のこぶしに収まります(頭まで入れればもちろん出てしまいますが)。写真の柿の大きさより小さいくらいなのです。首はさすがにくたくたと危なっかしい動きですが、手と足の動かし方 今にも寝返りしそうなほどに反り返る様は筋肉が相当強そうです。様々に気持ちを伝えてくれる泣き声・表情そして身のこなし。 考えてみると上の子の時は出産後しばらく実家に帰っていましたから、この時期のまさに周りの手助けがなければ何もできない危なっかしい、且つこちらをやる気に親に変えてくれるこの時期をよく知らなかったかもしれないと思いました。 大変だけどいやじゃありません、今回は今しか見られない可愛さをたっぷり見ています。
2021年10月31日日曜日
2021年10月30日土曜日
岸田傀儡政権誕生
特に今回はアップすればいいだけの所まで来ていながら、家族の入院と退院後の生活に追われ遅れに遅れてしまいました。 いまさらというところですが、この時はこう思ったという記録として。
何のことはない。この度の自由民主党(自民党)総裁選挙は、「御破算で、願いましては…」とか『すごろくで「振出しに戻る」』まさに「大山鳴動鼠一匹」状態でした。
議院内閣制をとる日本において過半数を超える議席・議員数を要する自民党の総裁を選ぶという事は事実上次の首相が決まるという事になるので他の政党の党首を選ぶ事とは意味合いが違うにしても、この間の報道各社の取り上げ方は尋常ではありませんでした。 菅内閣
安倍内閣がしてきた負の事柄 公約・政策がどうだったかかも併せて報道するならまだしも、それらには触れないだけでなく新総裁4候補についても粉飾して伝える。 その後誕生した岸田内閣は所信表明こそしたものの、具体的に何かをする暇もなく解散総選挙に打って出る戦術を取りました。 そうみてくると、衆議院解散を目前にしてその後の政権対応を見越してマスコミ界挙げて自民党の宣伝を競ってしてあげている、と言う様相でした。
岸田内閣は3A(安倍 麻生 甘利)三氏、特に安倍さんの傀儡政権などと言われています。売りだった「話をよく聞く」も「安倍さんの話をよく聞く」だったことがだんだん明らかになってきました。 組閣後具体的な政策の提案も執行もないままに国会・衆議院を解散してしまったのは、何もしない‐失敗しないうちに衆議院解散 総選挙という事は、国民からすれば判断材料を持たないままに選挙・投票をせざるを得ない状況という事になります。とは言え、そうするとなおの事安倍内閣 菅内閣の悪行の数々、COVID-19では後手後手中途半端、結局行き詰まり政権を放り出すことになってしまった前 元の政権のやったことを国民は忘れたわけではありませんので、安倍傀儡政権とまで言われている岸田政権は結局のところ前 元の政権のやったことで判断されざるを得ないことになってしまったわけです。 この度の戦術が果たして吉と出るか凶と出るか… 安倍・菅政権9年間と3Aの傀儡岸田政権という事で行けば凶となって当然ではありますが。
2021年10月16日土曜日
「ディフェンダー」と言う名前の持つ歴史と魅力
“新型”ディフェンダーを見かける事が出てきました。こちらでも購入する人が出てきたようですね。これもデザインなのでしょう、フロントボンネットのネームでディフェンダーという事はすぐわかりました。 車を止めて戻ってきたら隣に黒いボディのディフェンダーが止まっていて改めて見てみました。ボリュームのあるデザイン、大型で盛り上がり色のせいか小山のようです。 何十年ぶりかの新型が構想されているとき、新型は伝統のラダーフレームを採用しないということで賛否が分かれました。その時「十分な強度は確保している。現在では、そのデメリットよりもメリットの方が大きい。」という説明がなされていたのを覚えています。いずれにしても、日本においてその限界が見えるほどに走らせるなどという事は無いでしょう。
運転中にすれ違うのではなく、止まっているところでよく見ることができました。 道路で目にするディフェンダーは結構軽快そうに直進しているように感じます。決して安い車ではありませんが、きっと機能的にはいい車なんでしょう。で思ったことが有ります。
先代ディフェンダーとGを比較して、快適さとかGは月でも走れるとか一度Gに乗るともう戻ってこれないとかという記事を見たことが有ります。それでも先代ディフェンダーの持つ魅力、愛車としていることでの満足感は新型だとか快適性だけでは説明しきれない物でした。 この度の新型も、間違いなく機能 性能的にはくらべものにならない進化を遂げているのは間違ありません。でも私には、この車新型ディフェンダーが「ディフェンダー」と言う名前である必要性を感じないのです。 これだけの車なら新しい別の名前でよかった、「ディフェンダー」と言う名前はそのような魅力を引き継ぐ車にこそ残してもらいたかったと思ったのです。
2021年10月3日日曜日
自然災害の犠牲者と虐殺された犠牲者は同じではない
もう一月たってしまいました。早いものです。
“防災の日”は1923年(大正12年)9月1日の関東大震災を契機に定められ、毎年その前後には様々に啓発啓蒙の取り組み
避難・防災訓練が行われます。自然災害として神戸 東北そして次なる大震災の危機が叫ばれ、地球温暖化で以前とは全く別物になった強風 豪雨 土砂災害も頻発していますので、一層の取り組み強化が急務。 自然災害は人間の力としてはどうにも防ぐことできません。直後の避難(所)の問題、その後の政府・行政の対応はまだまだ不十分。復旧復興が遅々として進まないのは人災。人災は変えることができます。
ところで、防災の日が定められる契機となった“関東大震災”の時には、その混乱に乗じて憲兵隊甘粕大尉らによる「甘粕事件」
「亀戸事件」などによって社会運動家が虐殺され、多くの朝鮮人(加えて中国人 吃音により発声の悪かった日本人含む)が殺害された事件が起きています。ですから9月1日には関東大震災被害者の慰霊祭とは別に朝鮮人犠牲者の慰霊・追悼集会も毎年行われてきました。 この朝鮮人犠牲者追悼集会には歴代東京都知事が東京都の責任者
代表として慰霊と共に再びこのようなことが起きないよう自戒の意味も含めて追悼文を送って来たのですが、小池東京都知事は今年も朝鮮人犠牲者追悼集会に 追悼文を送りませんでした。 この都知事としての小池さんの行為はもっと取り扱われていいと思います。 科学に政治を持ち込んではいけないと同様に、歴史も政治的に都合のいいように言い換えてしまうのはしてはいけないこと。小池都知事は「都慰霊協会による大法要で十分」という認識を示していますがそれでは足りない。決して同じものではないという事を端的に言い表した発言が有りましたので紹介します。
毎月掲載の囲み記事
「風の案内人・9月1たちに考えたこと」韓国語翻訳者 斎藤真理子 新潟日報 2021年9月5日号より 抜粋 まずは ~今年も小池東京都知事は朝鮮人犠牲者追悼集会に追悼文を送らなかった。その理由は 都慰霊協会による大法要で十分だというもの。しかし、自然災害の犠牲者と虐殺された犠牲者は同様に扱ってはいけない物。~ この前段に ~「わがアリランの歌」金達寿(キムダルス)1945年、終戦間際のころの心情描写がある。当時金達寿は25歳。本土決戦となればどういう事になるか。そのどさくさにまた、あの関東大震災の時のようなことが起こりはしないか。おかみさんたちまでがまた竹槍訓練などさせられているのを見るにつけ、それも私たち朝鮮人には怖かった。 23年の関東大震災のとき、流言飛語に乗って朝鮮人を殺した人々が竹槍を使っていたことはよく知られている。また戦時下の竹槍訓練も有名な話だ。だが、この二つの竹槍が重なって見えた人々がいたとは、想像したことがなかった。 金達寿は関東大震災を経験していない。しかし虐殺のことはよく聞き知っていただろう。それに終戦の年は、関東大震災からまだ22年しか経過していない。20代前半で竹槍や鳶口を手に「朝鮮人狩り」をやった人たちは、この時まだ40代の壮年期なのだ。そう思うと、金の覚えた恐怖感が生々しい。~
もちろん関東大震災のときの朝鮮人虐殺のことは知っていました。東京都知事になった小池さんが朝鮮人犠牲者追悼集会に追悼文を送らなかった問題のことも知っていました。でもこんな明快な言い方ができていませんでした。
2021年9月20日月曜日
記念紙誌原稿 洗礼を受ける 8/8
長々と話してきました。 証明や証拠を遠くまで探しに行かなくともと気付くきっかけ、実は意外と簡単なんだよと気付くきっかけについて。 この度4人目の子どもが与えられることになった人が出席する礼拝に送迎し一緒に顔を出した時、そのスタイルのあまりに違うのにびっくり。そこで気付くことが有ったのです。 ある礼拝の帰りに聞いてみました「今日はどうだったの?」と。その返事は「楽しかった」でした。 礼拝で説教を聴いて、為になる有り難いという事は有っても楽しいという表現の仕方を私は知りませんでした。 神の前に頭を垂れ、神妙な様で祈る事は有っても、アップテンポの曲(讃美歌)に合わせて思い切り声を出し踊ることさえある礼拝は私の“礼拝”のイメージを覆してしまいました。 賛美歌を歌う時、見事なまでののコール&レスポンス。 祈り。祝福の時は一緒になって念を送るように手を掲げ、今日ここに再び集えたことを感謝する姿に感銘を受けました。 私はこの一人一人の姿、全体の雰囲気の中で「これでいいんだ」と改めて気づかされ確信しました。 私は ずっと自分に対してもまわりに対しても納得させる“証拠”を探していました。神の姿を求め声を求めていました。でもほんとは、ただひたすら感謝すればいい。生ある事今日ここに来れたこと、家族のこと仕事のこと、理由を付けたり説明しようなど考えずに、ただ喜び感謝すればいいのだとこの姿に接して確信しました。 自分を納得させるに足る証拠を探すではなくただ感謝すればよかった。 今は、様々な経験をすることによって証明を求めるのではなく神を感じるようになったことを感謝し子どもの名前を考えています。
記念紙誌原稿 洗礼を受ける 7/8
以前は、教会 教会員に 聖書に 証明を求めていました。 この神は信じるに足りるか 頭を垂れ洗礼を受けるに足りるか、教会に集う人達は と証を探し求めていました。 「私の身には重すぎる荷です」と取り去ってもらう事を神様に願う日々の後、救いを求め悩み苦しんでいる人と話す機会が有りました。その人は私なんかより“知識”も探求もしてきている人。何年にもわたり様々な宗教宗派を回ったその人は、一つ一つを比較し納得できる証拠を探し証明を求めていました。けれどいずれにも良いところが有り足りないところが有り、結局どれにも決められずにいました。 この どんぐりの背比べ状態に陥ってしまった人との出会は私に一層の確信をもたらしました。 なぜ“信仰を持っていても”受洗まで到達できないのか。それは、自分を納得させるできる証明・証拠を見つけようと探すからかじゃないかと思いました。 神のことを調べる証拠を見つけようとする行為、したくなる気持ちは良く理解はできます。でも今は、神 証明 証拠 を探すだけの時はだめだと思っています。証明を探す行いから始まってもいいけれど、「そんなものどうでもいい」となった時に、洗礼を受けられる(身に付く)のだ。」と思うようになりました。 人知を超えたところにある神の計画 人間の時間軸を超えた神の計画の前では、人間の知識 時間だけでは説明しきれるはずがないのです。 身体でも気持ちでも何か重荷を架せられる“棘”を与えられてこんなことを考えるようになれました。
記念紙誌原稿 洗礼を受ける 6/8
辛い時、このような時こそ教会へ行かなければ という考えはほんとによくわかるんです。そうしようと思いました。 けれど、しなければ しなければ に取りつかれ、とにかく強い疲労感。“いかなければ” “しなければ” に取りつかれてまた疲れてしまう悪い繰り返し。
で、これではだめだと 思い切って逆の発想「日曜はどこにもいかない、家にいる」と週に一度は完全休養を取ると決めました。それで気持ち的にはずいぶん楽になりました。 それでもいろいろ気になる、何も考えない
とはなりませんでした。このころはずっとこんなでした。 終わりが見えないままにそうこうしていたら、教会から週報が送られてくるようになりました。ある教会員から「近くに、籍はあるけれど教会に通って来れない人が居るから家庭集会に場所を貸してくれないか。」と言う事で家庭集会を行うようになりました。
私が行かなくなったら向こうから 教会の方から来てくれた。行かない時は神様の方から出かけて来てくれる、と神の執り成しを感謝しました。 それで気づきました、神は最初からここに居てくれた。探しに行くのではなく、ここいてくれることに気づくことが大切だったんだ、と。
記念紙誌原稿 洗礼を受ける 5/8
習いもので知り合いが増え、新しいことを知る喜びを思い出しました。そして、だんだんいいおじさんになっていたのでしょう。周りは若い人ばかり。でもその人たちの方が、技術的にも経験もルールにも詳しいのです。見て聴いて、教えて 助けて と頼むわけです。 昔を知る人に「昔と随分感じが変わった。」と言われたことが有ります。「助けて」と言えるようになったからかと思います。 ここへ到達するまでの辛い日々、もし私がクリスチャンでなかったら今こうしていなかったんじゃないかとほんとに思います。 神様は支えでした、救いでした。信仰を持つ大切さ、いざという時に頼れる教会・教会の人達の存在。“神”を感じ、確信が深まったのもこの経験があったからだと思います。 以前の私なら、問はれれば知識として神はこんな奇跡を起こしたと説明したと思います。目に映り耳に聴こえても認識できなければ意味がありません。ですから知識はあった方が絶対いいと思います。 けど知識さえあればいいというものでもありません。知識として証拠を示すだけでなく、それがなくてもと感じられるようになったら、などと言っている今の私は、知識を求めている人にとっては満足してもらえる説明はできなくなったかもしれません。私がどのように生き生活をしてきたか、どう救われ変わって来たか・・・ そして今あなたの前に居る、という話はできると思いますが。
記念紙誌原稿 洗礼を受ける 4/8
その後の出会いで子どもを与えられ、楽しく幸せな日々を送ることができました。長女 M 長男 Aの名前を考えたのはこのころでした。その後次女 Mを与えられ、Mと言う名前を考えたのもこのころでした。 ところがその家庭がまた新たな試練の元となったのです。神様はまだ足りないとさらなる試練を私に課してきたようです。 良かれと思うことが、子どもは別としてなんとも反応してもらえず徒労感でいっぱいに。あちらのお爺さんが亡くなり年を置いておばあさんお父さんが亡くなり、実家のお母さんを一人にしておけないとほぼ毎日家を空ける状態に。私の方は再度の転勤後の上司との関係で体調を崩し。中学進学したばかりの長男と高校受験の長女の面倒を見る。ほんとに精一杯でした。 結局私は5人で暮らしていた広い家に1人きりの生活になってしまいました。もともと体調が悪いところにこの激変、対応しきれず大変でした。 休職後、仕事を終えて帰って来ても明かりがついていない、火の気のない冷え冷えとした屋内。そんなところに帰りたくなくて、ほぼ毎日何らかの習いものかサークルに寄ってから帰るようにしていました。わざと遅くに帰って、夕食兼翌日のお弁当のおかずを作り、食べたらすぐ横になるという、決まった流れの毎日をただ繰り返していました。考えずに済む決まったパターンで毎日をやり過ごしていました。演劇・台本の役を演じて自分を休ませていました。辛かった。
記念紙誌原稿 洗礼を受ける 3/8
大学では社会保障を学びました。 教会、礼拝は大学の教職員も通う教会に行きましたが何か物足りなさを感じ、他に何カ所か行ってみたもののなんとなく足が遠のいてしまいました。 初めて親元を離れての大学生活、その後の学生生活は今思えばせっかくの機会をと思うことも多々ありますが、読みたい本もいっぱい 興味のある事 やりたいことがいっぱいありました。 “解放の神学”の動きには大いに惹かれました。クリスチャンとして、教会の外 社会で何かしなければ、と考えました。「科学とヒューマニズム」という言葉も印象に残っています。 実際の所は、想い先行でどれだけできたかという所ですが。何処へ行っても何を話してもクリスチャンとして というこだわりは持っていたつもりです。
卒業、そして就業・社会へ。大学を終えて進んだ先は医療の世界でした。 神様は、そんな学生時代を経た私に気づかせようとでもしたのでしょうか。今に続く“試練”が始まりました。 社会人になるとやはり違うものです。学生の時から準備してきた人でさえ最初から問題なくという事は無いんでしょうが、社会人としての自覚も不十分・学生時代の延長で来たような私は周りからどう思われていたでしょう。人との付き合い方も、学生時代のような会いたくない人とは合わなければいいなんてことは通用しません。もちろん仕事は覚えなければいけません、上司
同僚 職場には様々な関係が有ります。まわりと同じようにふるまえていない私を感じていました。全部だめというわけではないんだけれどちょっと違うかな。そんなつもりじゃないんだけどな、と。 社会に出て早々の様々な体験で、この後の数年は身体的にも精神的にも大変でした。 でも何とか耐えられえたのは、やっぱり帰るべきところは教会
踏みとどまれたのは教会、とはっきり思えました。
記念紙誌原稿 洗礼を受ける 2/8
話し戻って。 今思えば、何だったんだろうと思うばかり、経緯を思い出すことさえできませんが。中学3年の時に一度洗礼を受けたいと申し出たことが有りました。 その時は、申し出ては見たもののその後牧師の方からも私の方も、次どうするか具体的な進展を見ることもなくうやむやになってしまいました。「中3」という事を考え併せてみると、受験を控え、初めて自分の方から“何かに”と意識した結果の出来事だったのかもしれません。
高校入学後、ラグビー部に入部。並行して聖書研究の集まりにも顔を出していました。多くの人と語り合い、“知識”としても聖書を読んだと思います。 母
T(Y)は、とにかく私の願いをかなえることを第1にしてくれました。それに対して感謝するでもなくわがままで知識ばかり増やしていた私は、入学の時の「あなたがここを選んだのではなくて、神様があなたを選らんでここに居る。」という言葉の深さを理解しないままに、高3になった4月1日の礼拝で受洗しました。 当日、無事洗礼が終わり皆さんに紹介という事で、振り返った時「失敗した!」と身体が熱くなりました。これまで洗礼を目標にいろいろやって来たけれど、受洗がゴールではなくてスタート。洗礼は、確かに大きな節目ではあるけれど、クリスチャンとしての生活・人生はここからなんだと気づいたのです。 この時のことはよく覚えています。これが初めてどこにも書かれていない何か得体のしれない大きな存在を感じた瞬間でした。
記念紙誌原稿 洗礼を受ける 1/8
今年、実に24年の間を開けて4人目の子どもを恵まれました。(縁あって5年前に良き伴侶を得て。) もともと子どもは4人を望んでいて、真理を喜ぶ で MAKI 神の証人 で AKASHI 真理の言葉 で MAKOTO、そして4人目には 真理の名前 で MANA という名前を考えていました。 広く周りに
神を示す 明らかにする、伝えなさい 神様のために働きなさいよ と言う想いで考えた名前。意味有る良い名前であるのは間違いありません。
けれど今は新な想い
発想で4人目の子どもの名前を考えています。 いろいろあったから… 私も変わったなぁ と考えています。
私はN教会付属のS幼稚舎に通い、小学校に進んでからも祖母
Tと一緒に日曜学校に通っていました。祖父 Sは、無教会派だったこともあるのか欠かさず礼拝にということは無かったように記憶しているのですが、私が教会から帰ると何時も大きい缶の蓋を開け“ロシア・ケーキ”だったのでしょうか普段目にするものより大きいクッキーを一つ選ばせてくれました。楽しく思い出される
いい思い出です。 中学校に入ると、日曜学校に通う中学生自体が少なかった上に男子は私一人だけ。教会に行って誰かに会うとか教会に行って何かをするというような事も無く、なんとなく足が遠のいてしまいました。 そのころの礼拝説教はまさに聖書研究。聞く人が聴けば非常に意味のある話だったのでしょうが、中学生の私には全然面白くない時間でした。そんな私でしたが、祖母のTは毎週必ず日曜礼拝に誘ってくれていました。
話は横道にそれます。 そのころの教会は祖母も含めて名物おばあさんが幾人いました。みなお気に入りの席が決まっていて、そこで説教を一言一句ノートに書き留めているのです。祖母のノートを見たことが有りますが、縦書きでびっしり書き留めているそのノート「これほんとに後で見るんだろうか」と感じた覚えがあります。
2021年9月4日土曜日
その後 小池東京都知事を見ていると 「あなたに聞いているんですけど」というもどかしさを感じます。
小池さんは、東京オリンピック開催が日程に入り、住民要求・課題山積の中で東京都知事になり。カタカナ言葉で話題提供はしたけれど、COVID-19の蔓延 感染爆発に具体的な有効策を立てられないままにここまで来ています。
2020年初頭以降COVID-19に関して安倍前首相による唐突な全国一斉休校、供給が復活し始めた頃に一家族にわずか2枚というアベノマスク。悪しき前例多くして、経済・生活 COVID-19感染爆発・医療に具体的で有効な対策を何らとれず、無能さが誰の目にも明らかになり、どうにもならなくなり政権放り出し。後を引き継いだ菅首相は無能さもそっくり引き継いで感染拡大。 小池東京都知事は、最初のころは耳慣れないカタカナ語を持ち出して派手に人前・マスコミに出。自分は責任を取らなくて済むような形で、営業自粛のお願い・要請をしていました。けれど、感染は拡大し、それでもまだ波が今より小さかった時にホッとしているばかりで、そのチャンスに対策を打たないものだから今の医療ひっ迫状態になってしまいました。都知事選再選に向けての宣伝の様相ありありの、億それも二けたの大金をかけての広報にはさすがに費用対効果に疑義が生じたものの、「効果はあった」と言う自己評価に終始。 何とか責任を取らずに済む言葉を選び、ごまかすために流行語にもなった「やってる感」のみの会見で耳慣れないカタカナ言葉のキャッチフレーズを繰り出す。 感染拡大が大いに危惧される中オリンピックを開催しておきながら、会見では
オリンピック観戦はテレビでと言い、出歩くな 営業するな の“お願い”を繰り返す。 したいのにできない現状をそのままに、「若者のワクチン接種率が低い」と言って猛反発を受け口をつぐんでしまう。
会見で「感染がすごい勢いで増えている」どうするのかと問われれば「感染者が増えています。まさに感染爆発状態です。」と返してくる。だから聞いているのにもかかわらず。 相槌とも違う
聞かれたことに答えるのではなく相手の言ったことを繰り返す。 感染者の爆発的増加、進まないワクチン接種、ついに始まった医療崩壊 在宅療養死者の増大。 最近ではお得意の「やっている感」のみの会見すら減少。だからどうするのか、当事者のその口から聞きたいと思って聞いているのに他人事。 東京都はもちろん“首都圏”でとらえれば、日本全体の中でもすごい割合の人口規模
経済規模の知事として、結果以前の対応からして不適格と言わざるを得ません。
2021年8月25日水曜日
言葉の備忘録 「相づち(槌)」
言葉の備忘録
「相づち(槌)」
鍛冶作業において師匠に相対して位置する弟子・助手が絶妙なタイミングで
“槌”(ハンマー)を打つ様。
北海道・恵庭市にある日本キリスト教団
島松伝道所の「島松だより」Vol.46 2021年5月2日号に掲載されていた辻中明子牧師の「待っていると、そうなる」を読んでいて、これは言葉の備忘録に入れておかなくちゃと言う言葉を見つけました。それは「相づち」と言う言葉。 考えてみれば、日常に相づちを打つ“行為”はとても大切なもの。円滑な人間関係を築き保つために不可欠と言われている行為。 でも意外とその語源と言うか、どういうことか説明してと言われると出て来ない言われのように思いました。聞けば「そうか!」と思うんですが、今の時代
鍛冶屋さんを目にする事も有りませんし、相槌も普段は相づちとしていたような。
さてこの島松だよりの巻頭言にあたる辻中牧師の文章を読み進めると他にも書き留めておきたいことが書かれていました。 精神科医として45年間相談を受ける・聴く仕事をされて来た高塚直裕さんの講演を聴いて触発された想い。「相談を聴く」この相談を聴くという事の大前提「相談者は、その方なりの解決策を必ず持ってる。まだそれに気づいていないだけです。(決断していないだけ)」「時間がかかっても、相談者が決めた解決策が、なんといっても一番いい。」「聴く側は相談者に何をしてあげられるかではなく、どう理解するかが重要。相談者は話していくうちに必ず解決法を見つけます。(決定する)」 「聴くコツは、相手に関心を持つ事、こちらの価値判断は後回しにすること、聞き手は自分の感情をセンサーとし、自分の心の動きを確認したとき、相槌が打てます。」さて、私の日常はどうだろう~と続き「答えや助言を先に言いたくなる。受け止める前に否定したり質問したり、話を遮ったりする。」などと続きます。 *言葉尻を一部言い替えました。( )内は追加しました。
このあたりのこと、私もそう思います。 思い悩み 繰り言を続けていても、人に会うという行動を起こした人 自分の口を開き相談という所まで行った人は、すでに自分で結論を見つけている 決めている段階だと自分の経験から言っても思います。人に相談するところまで行った時は、すでに自分の中で何かを見つけた時。 相談、口にすることで決断するための最後の一押しをしてもらう・行動に移るという段階に到達しているんです。すでに自分の中では結論が出ているんだけれど聞いてもらいたい。 できれば 同意してもらいたい。 この段階まで来ると実は意外と、あれやこれや言ってもらいたくない んじゃないかと思います。 それに、そこで良かれと思ってアドバイスしたとしても、もし本人にとって思わしくない結果となったら大変なことになってしまいます。他人はそこまで責任はとれません、○○してくれたから許す なんてことはないんですよ。 そんなことを思いました。
タバコ 約束 嫌悪の気持ち
2021年8月22日日曜日
買い被り その後 菅首相
やはり、間違いなく買い被りだったようです。
菅首相・総理大臣は先日の会見で「感染拡大の防止を最優先に」(防止を最優先)と言わなければないところを「感染拡大を最優先に」(拡大を最優先)と言ってしまいました。 今まさに大きな問題のCOVID-19の感染爆発、感染をいかに防ぐか すでに危機的状態になってしまった医療体制をどうするかがずっと求められている状況下でのこの発言、どうしようもありません。 この、どう言いつくろいようもない間違い発言ですが仮に、「人間だから言い間違う事も有る」としても、事が明らかになった時訂正しない(今はされている)釈明もしないというのはだめですね。 ちなみに、官邸ホームページにも一度その発言のままで乗ってしまったそうです(未見)、ノーチェック 完全に誰も何も言わない(言ってくれない)裸の王様状態。
周りを見も聞きもしないで気づかない 思いもつかないまま(想像力の欠如)。発言は、自分でもよく考えた上のものでないから先日の平和式典の様に何とも思わず平気で読み飛ばしてしまう、話している最中におかしいと気づかない(“口下手”とは全く違いますよ、そもそも話すという事自体が満足にできていない。)。国の責任者、地位も権力もある立場に就いた人としてはどうしようもない。そもそもがそのような立場に立てる人ではない、地位に就く人ではなかったんでしょう。 前首相安倍さんの品性のない態度
問題発言は誰の目にも明らか目立ちました。その陰で最強の官房長官などともてはやされ、ほんの(ちょうど)1年前には議院内閣制の日本においてイコール首相を決める事になる国会議員の過半数以上を占める最大政党自民党の総裁決定の過程では雪崩を打って圧倒的多数の支持を集めた菅さんでしたが、首相になりいざ表に出てみたらやることなすこと後手後手で小出し、具体性に欠け有効な手立てが打てないままここまで来てしまいました。 COVID-19はまれにみる難題なのは誰が考えても明らかな事です。けれど、自身が考えられなくとも多くの指摘・世界中でより有効な対策をとっている国もある中、少しでもいいところを学ぼう取り入れようという姿勢はありません。 その上、首相としての想いが全然伝わって来ません。 発言(質問)自体許さない、問題ない必要ないの一言で片づけてしまって答えない(話さない)。(大いに問題あり
難有りではあった安倍前首相と比べると発言量自体少ない) それは、周りの話を聞かない 聞かないから課題がわからない、何が問題か何を聴かれたか知らないから
答える言葉も浮かばない。話す気がない、そもそも話すという人間関係の場 経験がなかったからだったのを回りが深読みし 取り違えていたわけです。 これほどまでに“学ぶ姿勢”が無いようでは、今後
周りを見 話を聞いて良い方に変わるという事も考えられません。今の事態にこの首相 まさに国難。
2021年8月14日土曜日
買い被り だとは思いますが
COVID-19「原則自宅療養」へを聴いて、菅首相に対する見方が変わりました。 やることなすこと後手後手 無為無策。中身がないから聞かれたことに答えられない、何を言っているのかわからない頓珍漢な事ばかり話して伝わってこないダメな首相とばかり思っていました。ところがどっこい。実は先へ先へと考えていて「国は医療体制の拡充には一切関知しません、入院はできません全部自分の家でやって。ここへもって来たかった、そしてその通りに持ってきた。」と見直しました(?)。 無為無策 効果的な政策が打てない。やることなすこと後手後手。質問することすら制限しておいて、それでも聞かれたことに対してすらはぐらかしてまともに答えない。これまで話さないことでスタイルを確立してきたせいもあり、いざ話そうとしても慣れてなくて伝わってこない。挙句の果てに、先日の広島平和集会の時は、用意された原稿を丸々一ページ読み飛ばす、原爆=ゲンバク を ゲンパツ=原発と読み間違う、長崎集会には開始時間に遅れてしまうという体たらく。
でも今回ハッと気づきました。世界で唯一の被爆国なのになぜ核兵器禁止条約を批准するどころか足を引っ張るのか。核兵器に関して
糊でページがくっついていたなんて情けない理由まで言い訳にしたのか。これうっかりミスをしたんじゃなくて、本心から読みたくない、関わりたくなかったから、みっともないほどの流を付けてまでその通りにした。 すでに医療崩壊が始まっているという医療の現場、当事者からの訴えにお定まりの「そうは思わない」と有効な具体策を打たない、一向に耳を貸さない。 特に飲食店の窮状に対しても一向に、そして明確な責任の所在を示さない対応しかしてこないで、
自粛 自粛の“お願い”だけを繰り返すだけ。 具体的な対策を立てないままに、相手によって言質を簡単に言い替える朝令暮改の二枚舌。
菅首相は、もともと就任早々「自助・共助・公助 全部自分でしてください国(公助)は当てにしないでください」と発言した人でしたから、ワクチン注射も十分な医療体制も取るつもりはないと端から考えていたんだという事がよーくわかりました。 “深慮遠謀”
さすが。 何を言われようが自分の考えを押し通す すごい人 と改めて感心しました! ほめ殺し? 買い被り? 最初からできる人はいないけれど、どんな状況になっても、周りからどれだけ諫言されようと変わらない。できません。
2021年8月9日月曜日
そもそも を忘れない
短い期間ではありましたが、「大阪版表現の不自由展その後」が取り組まれました。 大きな話題となり物議をかもした「愛知トリエンナーレ」の時と同じような経過をたどり大いに気をもみました。幸いこの度の会場使用取り消し処分に対しては、処分のタイミングがあまりにも直近過ぎ主催者側が対応できないこと、取り消し処分の理由として挙げていた「妨害行為」に対する会場側の対応が不十分であるとして、大阪地裁 高裁 そして最高裁においても会場使用取り消しを取り消す決定がなされ無事開催することができたという経緯が有りました。
この度の裁判所判断は、妨害行為をするぞと脅迫、“偏っている”とか“反対の人が居る”と言う口実に対して、そういう事柄であるならば尚の事広く様々な意見
立場の人に対するべきだという考えが表明され、これまでにない画期的な判断が下されたと私は評価しています。 妨害行為、爆破予告や恫喝恐喝 大音量での街頭宣伝などに対しては犯罪行為であるとして対応し安全対策を十分に図るべきと義務付けました。 これ、実は当たり前のことなのに、強い態度
暴力的な人に対しては弱く出る という本来とは反対の頓珍漢な対応をしていたんだよと諭したわけで評価します。(正しくは「強きをくじき弱気を助く」)
蛇足かもしれませんが、これら一連の経緯に対して大阪府の吉村知事は不満である旨の会見を開きました。吉村知事。テレビにはよく出るけど、市や府の運営に関しては大いに問題あり。COVID-19対応でも会見で「イソジンでうがいをすれば大丈夫」などと言って大いに物議をかもし、実は医療崩壊をまねいてしまって多くの方が命を落とす事態を招いている知事さん。 そんな人が、自分の意に沿わない催しに対しては、(たとえ“一件”でも)妨害行為があるとそれを口実に催しの方をやめさせてしまおうとしたわけです。これじゃ「弱気をくじき強きを助」ですよね。 開催しようとする人たちの事は、暴力に訴えることはしないで申し入れをするだけ
署名を集めるだけの人達と高をくくっているのでしょう。 でもこの一人一人は、どの団体の誰それと言うわけではなくごく普通の市井の人にすぎないけれど、そもそもの問題を忘れないしこだわる事を捨てない人達ですけどね。
2021年7月31日土曜日
残念な結果となった なでしこジャパン と おりひめジャパン の違い
なでしこジャパンの試合を見せてもらいました。 ワールドカップで優勝したころの、速いパス回しからの攻撃、最後まで走り回るひたむきさに魅了されたのを思い出します。体格ではどうしても違いのある所を、相手を上回る運動量とチームワークを持ち味に戦い抜いていたわけです。そのイメージがあったものですから、サッカーをやっている人に言わせれば男子の試合は全然違うよと言われながらも、この度のオリンピックでの試合を見せてもらったわけです。 結果は、勝ったか負けたか以前に「これじゃ勝てない。」負けるにしても負け方がある なんで奪われるまでいつまでもパスばっかりしてるんだとストレスがたまるばっかり。見ていて面白くなかったし、応援する気にもなりませんでした。 確かに、ワールドカップで優勝したころのなでしこの速いパス回しは優位点だったんだと思うけれど、時が経ち他の国々のチームに対しての優位点ではなくなってしまったのでしょう。今回見せてもらったのでは、パスはただパスをしているだけ。それも体力回復のための時間稼ぎを目的にボールを回しているようにしか見えませんでした。 守りは100% 完全にうまくいっても負けないだけ勝てないわけなのに、それもしきれないでボールを奪われ一気に攻め切られてしまう場面が幾度あったでしょうか。パスだけでシュートしないんだから点が取れるわけが有りません。相手からすれば、一向に攻めてこないでパスを続けているだけとわかっているんだから余裕をもって守備でも攻撃でも態勢を整えられるというわけです。今何が必要かに気づかないまま「何かおかしい」と頭をひねったままに時間ばかりが過ぎていったように見えました、あれでは勝てません。 結果は残念な負けとなりましたが、45年ぶりとなったハンドボールの方が、試合時間も短いとはいえテンポも良いし今何をしたらいいか何が必要かを一人一人が認識し動いていたと思いました。
2021年7月23日金曜日
どんどん人が辞めていくのはこれだからだな
家族がある福祉施設に勤め始めて4年がたちました。見ていて、言葉の問題を抱えながらもよく頑張ってると思います。ただこの職場、この4年の間に随分人が入れ替わっていて、自分より長い人はたった一人しかいないとか。 悪性腫瘍で亡くなられた方を含めてそれぞれに理由が有りました。人の入れ替わりはどの職場でもあります。でも4年でこれだけ人が入れ替わるのはどうでしょうか。業務の継続性、会社のアイデンティティを保つという意味でも決していいことではないと私は思います。 ですから「誰誰さんが辞めた。」「新しい人が来た。」と聞くたびに「よく人が変わる所だなぁ、大丈夫かなぁ。」と思っていました。
4年目を迎える今年の冬に、新年度から正規職員にと言う話をもらいました。 正職になれば給与も、劇的にと言う程ではありませんが増えます。仕事の範囲・時間も増えます、何より責任が重くなります。けれど、健康保険
厚生年金が付くのがありがたいと感謝しました。 そのころ妊娠がわかり、なんと嬉しい春と感謝、喜んだものです。ただ、口には出せませんでしたが、これから正職に変わるというタイミングが気にはなりましたが。(職場に妊娠を報告したら「またパートに戻りますか。」と副社長から言われ
やっぱり! と思いました。)
2021年7月10日土曜日
バッテリーから始まって 2/2
それから約2年。ちょうど2年の区切りを前に電話がきだしました。夜は入らないんだけれど、仕事中 帰宅の運転中、家事で忙しい時2台に。結局の所「もうすぐ2年たちますよ・・・」と言うセールスの電話でした。 使用中のiPhoneに不具合も無かったし性能的にも十分。変えるつもりはなかったのですが、このタイミング以外で変えると新旧2台分の機種代金を払わなければならないというような“実に恐ろしいことを言います。ただし、「今のタイミングで機種変更してそれまでの物を下取りに出せば値引きもある、残りの機種代金を支払う必要もない」と言うのです。 頭にまたバッテリーのことが浮かびました「次の2年の間にバッテリーが持たなくなったらどうしよう。」と。結果、iPhone10MAXの機種変更をすることにしました。もう1台のギャラクシー・ノート10の契約は2年のはずなので、月々の支払いが少しは減るかなぁと楽しみにしていました。機種代金の支払いさえ住んでいればどのタイミングでも同じですしね。 ところが、ギャラクシーの方も4年契約だと言われ同じくバッテリーの心配から急きょ予定変更。 事程左様にバッテリーの問題は大きい。
当日早く着いたので、予約時間を待つ間にギャラクシー・ノート10のモデルチェンジ版の20を手に取りました。一段と機能充実、あれもできるこれもできるがてんこ盛り。きっと良いんでしょう。けれど私にはここまでの機能は要らないなぁ。今のでもたくさんある機能を使い切っていないんですもの。
予約時間になり、何度も電話をしてきた人と初めて対面。最初に聞かれたのが「今の使い方はどうですか」→私は「今の機種でも機能を使い切っていない。普段は
電話 ネット EメールにSMS。写真はデジカメで撮るし、機能を使い切ってませんよね。契約見直しで毎月の支払いが少しでも減るとありがたい。」と答えました。 最初にこう聞かれたという事で、私にとっての最善の提案がされるのかとがぜん期待が高まりました。だって、ほって置けばやっぱり最新型に手が伸びてしまうタイプですもの。 所がなんと、お勧めはギャラクシーノートの20だとのこと。 今の機種の新型となれば特に拒否するものではありません。今の月々の支払いと変わらない金額でできるそうです。「それはありがとう」? どういうライフスタイル、使い方をしているから…と言うような話は一切ありませんでした。タブレットでサインしたら途端にそっけない感じ。急用が入ったのかな? 新しい機種の設定も何となくこんなこともわからないの!とさえ感じるほど。 「お使いになってその後お困りの事不具合はありませんか?」なんってアフターフォローは一切なし。あんなに電話してきたのに! こちらから問い合わせても「それはこちらではわかりません。直接問い合わせてください。」で終わり。前はこんな対応だった? とにかく印象が悪い。 送られてきたアンケートに答える気になりません。最近はネットのau関係から何となく目をそらしがち。 バッテリーの話から始まって後味の悪い話になってしまいました。もうやめます。
バッテリーから始まって 1/2
使い方を聞いておきながら、必要以上に機能満載の高額機種を契約させる
私ってそんなに“高齢者”
という対応をしておきながら、その後どうですかのアフターフォローは無。
いまだに 後味の悪さが残っています。 先日、auが業販店を高価格帯機種の販売実績で評価しているという記事を目にして思い当たることが有りました。 それと言うのも、この冬ちょうど2年のタイミングで機種変更をした時の悪印象がいまだに残っていて、この記事を目にした時「そういう裏があったのか」と納得した次第だったからです。
遡れば4年前、家族用にエクスペリアを新規契約したことからでした。 そのエクスペリアが、使い始めて1年を過ぎたあたりからバッテリーが1日持たなくなってしまったのです。今の機器の性能向上から言ってこれは早すぎる。 “バッテリー”
今は昔と違って自分で交換することはできません、ショップ(メーカー)に依頼するしかありません(一部交換できる機種もある)。 交換にかかる期間は約ひと月。ひと月は長い。その間なしでは不便だし… それで、思い切って機種変更することにしました。今度の機種は使う人の希望もあってiPhone。それの10Maxに決めました。エクスペリアも決して安い機種ではありませんでしたが、10Maxはもっと高い。今は色々なプランがあるんですね わからないくらい。 機種代金は、2年じゃなくて4年の支払でした。4年でも月々の支払いは決して安いものではありませんでしたが、喜んでくれたし“本当はiPhoneが欲しい”と言ったという事はいい意味で遠慮が無くなったという事かと私もうれしい気持ちになりました。
2021年6月27日日曜日
聞き馴染みの無いカタカナ言葉にはご用心
対応する日本語がちゃんとあるのに必要以上にカタカナ、それも往々にして日本以外では通用しない“和製英語”が横行しています。そのいい例が、この度のCOVID-19に関しての小池都知事の言動。 古く徳川家による政権・江戸幕府から天皇家による政権・明治政府に変わり文明開化の掛け声のもと物心両面一気に多くの物が取り込まれました。それ以降、どうしても日本語の方に相当するものがなく、翻訳もしきれず外国語を直接カタカナに置き換えたケースはあります。文字を見た目、デザインとして取り上げるという事も有ります。 でも昨今の動静はそれだけではありません。日本語にも同義のものが有り概念としてもある物でも、わざと本質を隠すため 自分の至らなさを隠すため 自分をひけらかすため、わざとわからないような単語を出してくる。(それがまた、響きを優先するものだから本来の使い方とは異なっていることも往々にしてある情けなさ)
小池都知事の話には具体的手立てが伴っていなくて「それで結局どうなの?」となってしまいますが確かにパフォーマンスとして話題になります。 片や菅首相は、たくさんしゃべればいい パフォーマンスとして成立すればいいというわけではありませんが、相も変わらず 場当たり 後手後手 先の見通しが立たない (決断しない)の繰り返し。 これに関しては先日「菅首相の話にはロードマップがない。だから場当たり的 先の見通しが立てられないのだ。」と言う言葉が聞こえてきました。それでこんなことを思ったのです。 先行きの見通し、予定 計画。「ロードマップ」と言う言葉には確かにそういう意味 使い方もありました。でも一般には「ロードマップ」と言うと素直に「道路地図」ととってしまうんじゃないでしょうか。日本語にも「行程表」と言う言葉がありますし。
本来の用法、本質を見えないようにしたという事では「TPP」のことを取り上げないわけにはいきません。TPPの「T」、この場合の本当の意味ではトランス-“太平洋を越えて” と言うどちらかと言うと対アメリカ合衆国と言う事だったのに、日本の国民の前には“環太平洋”
太平洋を囲む国々の という別の言葉で紹介されました。太平洋を越えてアメリカ合衆国とその他の国と言う利害関係で言うと相反する関係にある協定を、平等の立場で協力し合ってというものに、すり替えて“約し”(?) 本質を隠したわけです。 事程左様に、為政者―偽政者が、これまで聞いたことのない
カタカナ言葉で発言するときは 眉につばを付けて聞くようにしなければいけません。
2021年6月14日月曜日
レッドリボン要らなくなったの!! 外免切り替え顛末記 2/2
2019年。フイリピンのカード式の免許証の更新時期に合わせて帰国。 免許証の更新手続き、国際免許証そしてもちろん“レッドリボン” 長かった~。「1週間で持ってきますよ!」 そういう人もいたのかもしれませんが、私の場合はここまでで2年かかりました。
再来日後、今度は国際免許証があるからさっそく練習。と思ったら、冗談でなくカーブでのハンドルの戻しが足りなくてほんとに一台だめにしてしまいました。 「やっぱり自動車学校からでないとダメだ!」と心を決めて問い合わせたものの「テキストも講義も仮免の試験も日本語なのでダメ。」と断られ。じゃあせめて、ペーパードライバーが久しぶりに運転を再開する時ようの講習も目的が違うからダメ、と言われてしまいました。 それで考えあぐねた末自動車運転教習所に行くことに。 教習所は、免許センターに隣接し何カ所かありました。実際に試験の行われるコースで運転練習、手続きや試験・コースのこと等々アドバイスをもらうこともできました。教習は1回1時間5,500円、20回近く通いました。その後、直接センターのコースを借りて練習もしました。こちらは1時間1,200円。これも毎週、1時間2時間と通いました。 受験枠がいっぱいで予約が取れないという話も教習所で初めて知りました。結局受験予約は、年を越してからの日程でやっと予約ができました。
年が変わり予約日当日。今度はレッドリボンも添えて申請。(レッドリボンはこれまで苦労しただけあって立派でありがたみのある物) ところが妙なことを聞かれたんです。「これは5月以降の物ですかどうですか?」と言うのです。聞けば「今はレッドリボンがいらなくなった。」と言うじゃありませんか! びっくり ショック。やっとレッドリボンを持ってきたのにとほんと思いました。でもまぁ2019年5月より前に発行の物は変わらず添えて出してもらうとのことでしたので無駄にはなりませんでしたが。
最初は筆記試験、10問のうち8問正解で合格。もちろんJAFの冊子などで事前に勉強はしましたが、運転教習所の人に「常識問題だし大丈夫ですよ」と言われて臨んだものの正解が6問で不合格。当月にはもう予約が取れなくて合格は翌月にずれ込みました。 筆記試験後の実技試験一回目は車線間違いでスタート直後にアウト。(このコースは私でも間違えそうな造り) その後も“落ちては翌月再受験”が続きました。あまり続くものだから「15回も受けた人が居るから」と変な慰められ方をする始末。 結果として6回目でやっと合格でした。一度合格すると半年有効の筆記試験ですが、また申請し直して試験かなぁと思っていたのでギリギリでした。「合格です!」と言われた時はうれしかったー。
2021年6月13日日曜日
レッドリボン要らなくなったの!! 外免切り替え顛末記 1/2
おかげさまでフィリピンで取得した自動車運転免許の日本の運転免許への“外免切り替え”がやっと終わり1年たちました。 切り替えまでいろいろありました。苦労している人が多いのはウェブを見て知っていました。その数々のエピソード“苦労”を見ていて同じだなぁと感じたのは、運転技術もさることながら例えば自動車学校を利用しようとしたときの言葉の問題が大きな問題。(扱い言語は一律ではありませんが、免許センターでは日本語以外での受験加) 後、同様のケースは珍しい事ではないようでしたが“レッドリボン”でしょうか。
振り返れば、2015年「介護の仕事がしたい」と初来日。パソコンの方は問題なかったものの車の免許がない(運転は必須ではないけれど)。医療 福祉において特に大切な人柄 人間性は問題なし。とは言え言葉は大きなネック・・・ と書いてくると様々なことが思い出されるんですがここは思い切って外免切り替えに絞って。
婚約そして結婚が具体的になって、日本語の取得の事
運転免許の事などいろいろ相談しました。 結果として運転免許は、フィリピンで免許を取ってそれを切り替えることにしました。 これは順調に免許を取得(あっけないほど)。日本での外免切り替え申請に滞りの無いように連絡を取り合いながら書類の準備をしました。フィリピンでは合格手続き時の領収書が証明として大切で、日本の様なプラスチックのカード型の運転免許“証”は必須ではないとのことでしたが念のためそれも取得してもらいました。でもレッドリボンがどうしてもそろわなかったんです。人を介してではありますが、担当部局に確かめても「これで大丈夫だ。問題ない。」でどうにもなりません。(確かにそうだと思います。間違いないと保証 証明している書類そのものを重ねて間違いないと保証 証明する書類というのはいったい何なんでしょう。) 結局、フィリピンで2016年に取得した免許を日本で切り替え出来たのが2020年にまでずれ込んだのはこのレッドリボンの存在でした。 2017年3月、外免切り替えに必要な書類をそろえて運転免許センター窓口へ行き申請。1時間も待ったでしょうか「書類審査は完璧です。」よかった!
ところが続いて「ただ一つだけたりない。レッドリボンが」と、今完璧だって言ったのは?と思いました。 それは「確認したけれどこれでいいと言われたんだ」と言うものの
らちが明きません。話では、こういうケースは珍しくないとのこと。そしてこうも言っていました「みんな一週間くらいで持ってきますよ。」と。そうは言われてもとても信じらません。
それでも念のため、フィリピンに居る知り合いに聞き、ネットでフィリピンLTOも調べてみたものの手詰まりで時ばかりが過ぎていきました。まさかこんな事態になると思わなかったので、国際免許証を取得しておかなかったのが悔やまれますがそれも後の祭り。
2021年5月25日火曜日
妊娠 本当に感謝です
産婦人科クリニックに来ています。と言ってもこのご時世ですから、中に入れるのは本人のみ。送って来て帰る人もいますが、私は車で待機です。車で待つというのは、寒い冬もつらいものが有りますがこれからの時期は日差しも強く暑くて大変です。 思うに子どもがいない二人だけの生活だからでしょうか、私達は木婚式 結婚して5年という事になるわけですが未だ新婚気分です。休日、一週間働いて迎えるいつもよりゆっくりの朝「子どもがいたらこんなにゆっくりしてられないよね」とよく話していました。 それがこの度「おめでとうございます。妊娠です。」という事で、彼女はあっちに連絡こっちに連絡で大騒ぎでした。 妊娠は結局の所「神様の考えしだいだけれど、だめかなぁ」などと思った時期もあったのですが感謝です。 きっかけは臭い特にネギ類で吐き気を覚え受診して分かったしだいです。 以前急に酸っぱい梅干を食べだしたり、柑橘類を食べだしたとき「もしや!」 と思い受診したものの何の兆候もなかったことが有ったので期待も半分と言う感じだったのですが今回は妊娠でした。 年齢の順番で行けば、いくら私が頑張ると言ったところでいかんともしがたいものが有りますが、私自身生まれてくる子どもに何時まで一緒に居てやれるかという気がかりは別として、彼女がこの家で一人になり寂しい思いをしないで済む様に慣れたでしょうか。 そして、古い発想かもしれないけれど、私につながるものが与えられたことは本当に感謝です。
2021年4月28日水曜日
そもそも認識がないんだからどうしょうもない
「私としたことが!」 ちゃんと謝らないからいつまでも許してもらえない。 「殴った方は忘れても殴られた方は忘れない」・・・ なんてことを言って来ましたが、「歴史修正主義」のことを見聞していて気づいたのです。 歴史修正主義の信奉者にはそもそも自分の思いに合致する歴史しか見えていないので、謝るも何もそういう発想が最初からなかったのだと気づきました。 歴史修正主義の人たちには、政府・軍がかかわった従軍慰安婦は存在していない。だから謝る必要も保証も必要無いという事になるわけです。